第15話 霧の湖畔と、ダブルベッドの攻防戦

馬車に揺られること半日。

僕たちが到着したルナリア湖は、かつての美しい避暑地の面影はなく、視界数メートルも怪しいほどの濃霧に包まれていた。

「……酷い邪気ね」

馬車を降りたアリア様が、眉をひそめて呟く。

その通りだ。僕の【危険感知】は、湖の中心から漂う異質な魔力をビリビリと捉えている。

(A級……いや、S級に近い反応があるな)

だが、今の僕にとっての最大の脅威は、魔物ではない。

「ようこそお越しくださいました、聖女アリア様! そして……お連れ様の、ご夫君様(・・・)でいらっしゃいますか?」

湖畔に佇む、王家御用達の高級ホテル『ルナ・パレス』。

その支配人が、揉み手をしながら僕たちを出迎えた。

「ち、違います! 僕はただの護衛で……」

「ええ。私の『パートナー』よ」

アリア様が、僕の腕にギュッと抱きつきながら、満面の笑みで肯定した。

「彼とは、片時も離れられないの(物理的にも精神的にも)」

「おお! 左様でございましたか! 聖女様のロマンス、誠におめでとうございます!」

支配人がハンカチで感涙を拭う。

(違う! 誤解だ! 訂正してくれアリア様!)

「つきましては、当ホテル最高級の『ロイヤルスイート』をご用意いたしました。湖を一望できる露天風呂と、キングサイズのダブルベッド(・・・・・・)を完備しております」

「ダブル……?」

僕が青ざめる横で、アリア様は満足げに頷いた。

「完璧ね。護衛任務には『密着』が不可欠だもの。ね、カイト?」

***

通された部屋は、僕の学生寮の部屋が10個は入りそうな豪華なスイートだった。

そして、部屋の中央には、無駄に巨大で、無駄にフカフカそうな天蓋付きベッドが鎮座している。

「……カイト。少し休憩しましょうか」

アリア様は、旅の疲れも見せず、窓際のソファに腰掛けた。

そして、流れるような動作で、着ていた法衣のボタンを外し始めた。

「えっ? アリア様!?」

「何? 着替えるだけよ。……汗をかいちゃったから」

パラリ、と法衣が床に落ちる。

その下は、薄手のキャミソールと、タイトなスカート。

白い肌が、部屋の照明に照らされて艶めかしく光る。

「カイト。昨日の『続き』……忘れてないわよね?」

アリア様が、上目遣いで僕を見つめ、自分の鎖骨のあたりを指先でなぞる。

その指は、ゆっくりと下へ、胸の谷間へと滑り落ちていく。

「馬車の中で約束したでしょう? 今夜の宿で……って」

逃げ場はない。

ここは完全な密室。マーガレットさんもいない。

そして、目の前には、潤んだ瞳で誘惑してくる(本人は治療のつもりらしいが)聖女様。

「……わかりました。ですが、あくまで『治療』ですからね。変な声を出さないでくださいよ」

「善処するわ……ふふっ」

僕は覚悟を決め、アリア様の正面に立った。

彼女はソファに深く体を預け、無防備に胸を張る。

「まずは、デコルテからお願い……」

僕の手が、アリア様の鎖骨に触れる。

熱い。

想像以上の体温が、指先から伝わってくる。

「んっ……♡」

触れただけで、アリア様が小さく震えた。

僕は、リンパの流れに沿って、親指で優しく圧をかける。

鎖骨の下、大胸筋の上部。

そこは、魔力の通り道であり、同時に女性の性感帯に近い場所でもある。

「あぁ……カイトの指、熱い……奥まで響くわ……♡」

「力を抜いてください、アリア様」

「抜いてるわよぉ……んくっ♡」

僕が少し指を滑らせ、胸の膨らみの始まり部分を押し流すと、アリア様はクタクタになった人形のように首を後ろに反らせた。

無防備に晒された白い喉元。

乱れた銀髪が、汗ばんだ肌に張り付く。

「そこ……もっと……♡ もっと強くして……♡」

アリア様が、僕の手首を掴み、自分の胸へと押し付けようとする。

「ちょ、アリア様! それ以上は!」

「いいの……カイトなら……全部、触っていいの……」

彼女の瞳は、もうトロンと溶けていた。

聖女としての威厳など欠片もない。ただ快楽と、僕への執着に身を委ねる一人の女性の顔だ。

柔らかい感触が、手のひら全体に広がる。

理性の限界アラートが鳴り響く。

これ以上進めば、僕は「守護騎士」ではなく「獣」になってしまう。

(くそっ! なんでこの人はこんなに無防備なんだ!)

僕が、撤退か陥落かの瀬戸際に立たされた、その時。

——ガタタッ!!

窓ガラスが微かに振動した。

いや、部屋全体が揺れている?

「……っ!?」

アリア様が、快楽の余韻を残したまま、ビクリと目を見開いた。

「カイト……今の……」

「……魔力干渉です」

僕は、瞬時に「男の顔」から「守護騎士(最強)」の顔へと切り替え、アリア様をソファから抱き上げて窓から離れた。

その直後。

バリーンッ!!

強化ガラス製の窓が粉々に砕け散り、濃霧と共に、無数の「黒い触手」が部屋になだれ込んできた。

「きゃあっ!?」

「下がっていてください!」

触手は、明らかにアリア様——聖女の魔力を狙って、殺到してくる。

(この霧の正体は、これか……!)

僕は、アリア様をベッドの陰に隠すと、部屋にあった銀のナイフ(フルーツ用)を手に取った。

「カイト! 逃げて! あなたじゃ無理よ!」

アリア様が叫ぶ。

彼女の目には、僕が「果物ナイフで魔物に立ち向かう無謀な荷物持ち」に見えているはずだ。

(……安心してください、アリア様。あなたのマッサージを邪魔した罪は、万死に値する)

僕は、襲い来る触手の群れを睨みつけた。

アリア様からは死角になる位置で、僕はナイフにS級魔力をほんの少しだけ纏わせる。

(【切断(スラッシュ)】——出力0.01%)

僕が一閃した、その刹那。

部屋を埋め尽くそうとしていた触手が、数百もの断片に細切れになり、霧散した。

「え……?」

アリア様が、呆然と声を漏らす。

僕は、フルーツナイフをくるりと回し、何事もなかったかのように言った。

「……凄いですね、アリア様。あなたの『聖なる加護』が、魔物を追い払ったみたいです」

「……私の、加護?」

「ええ。僕がナイフを構えたら、急に魔物が苦しみだして消えました。さすがは聖女様だ」

苦しい言い訳だとは思う。

だが、今はそれどころではない。

窓の外、濃霧の向こうに、この触手の本体——巨大な気配が蠢(うごめ)いている。

「行きましょう、アリア様。どうやらこの避暑地は、僕たちの『夜の続き』を許してくれないようです」

アリア様は、はだけた服を直しながら、頬を膨らませた。

「……絶対に許さないわ。私のカイトとの時間を邪魔するなんて」

聖女様が、本気で怒った。

僕たちは、甘い空気を振り払い、濃霧渦巻く湖畔へと飛び出した。

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