第6話 聖女様の「専属」と、エリートの「嫌がらせ」

「——私の『所有物』に、手を出さないでちょうだい」

あの日、あの物置で。

アリア様がそう宣言して以来、僕の学園生活は「平穏」とは正反対のものになっていた。

「カイト、朝よ。私の教室まで荷物を運んで」

「カイト、教科書が重いわ。寮の部屋までお願い」

「カイト、今日の紅茶はダージリンにして。あそこの売店のはダメよ、王都の専門店で買ってきて」

(これのどこが「荷物持ち(ポーター)」なんだ!? 「専属の雑用係(パシリ)」じゃないか!)

僕は、心の中で何度目かわからない絶叫を上げた。

アリア様は、「専属」という言葉を盾に、ありとあらゆる口実をつけて僕をそばに置こうとする。

当然、学園内での注目度は最悪だ。

「おい、見ろよ……また聖女アリア様と一緒だぞ、あの荷物持ち」

「なんでアリア様が、あんな戦闘値ゼロの奴と……」

「くそっ、羨ましい……いや、不敬だぞ!」

どこを歩いても突き刺さる、嫉妬、羨望、そして侮蔑の視線。

僕が望んだ「壁と一体化する生活」は、完全に崩壊した。

そして、その視線の中で、最も粘着質で、最も危険な視線を放つ男がいた。

——ゼノン・ダレスだ。

あの日以来、ゼノンはアリア様に直接話しかけることこそ減ったが、その怒りの矛先は、すべて僕、カイト・シズクに向けられていた。

「おっと、すまない。そこに『無能』がいるとは気づかなかった」

ガシャン!

学食のトレイを持った僕に、ゼノンがわざとらしく肩をぶつけてきた。

僕の昼食(300円の学食Aランチ)が、床に無残に散らばる。

(……やったな)

「あらあら、カイト君。手が滑ったのかい? 『荷物持ち』なのに、荷物も運べないなんて、本当に『無能』なんだねぇ」

ゼノンの取り巻きたちが、ゲラゲラと下品な笑い声を上げる。

(【絶対時間(クロノ・ワールド)】発動。対象、ゼノン・ダレス。未来予測起動)

(——3秒後、ゼノンは僕の足元に唾を吐きかける)

(——許容できない)

僕は、コピーしたS級時間操作スキルを脳内で起動し、回避策を導き出す。

「……すみません。僕が不注意でした」

僕は、床に散らばった食事を(もったいないなと思いつつ)無視し、ゼノンに深々と頭を下げた。

ゼノンが、僕の足元に唾を吐きかけようと、息を吸い込んだ、まさにその瞬間。

「——カイト!」

凛とした声が、学食に響き渡った。

アリア様だ。

「あなた、そんなところで何を……」

「ア、アリア様!?」

ゼノンは、唾を吐きかけようとした口を慌てて閉じ、聖女様に向き直る。

その顔は、憎悪から「完璧な優等生」のそれに一瞬で切り替わっていた。

「アリア様! こいつが、俺の行く手を遮りまして! 『無能』は周りが見えないから困りますな!」

(どの口がそれを言うんだ……)

「そう。あなたの進路を妨害したのね?」

アリア様は、床に散らばった僕の昼食と、ゼノン、そして僕をゆっくりと見比べた。

「では、なぜあなたの靴は、カイトの食事を踏みつけているのかしら?」

「……え?」

ゼノンが足元を見ると、彼は、僕が落とした食事(ミートソースパスタ)のど真ん中に、仁王立ちになっていた。高級そうな白い革靴が、真っ赤に染まっている。

「なっ……!?」

「わざわざ食事を踏みつけ、その上で『進路妨害だ』と主張する。ダレス公爵家の作法とは、随分と野蛮なのね」

「ち、違う! これは、こいつが俺の足元に……!」

ゼノンは必死に言い訳をしようとするが、アリア様の氷の視線に射抜かれ、言葉を失う。

(助かった……。いや、助かってない!)

アリア様が僕を庇えば庇うほど、ゼノンの憎悪は僕に蓄積されていく。

現に、ゼノンはアリア様には何も言えず、代わりに僕を、今にも殺しそうな目で睨みつけていた。

(お願いだから、もう僕を放置してください……!)

「カイト、行くわよ」

「は、はい!」

僕は、床の昼食に黙祷を捧げ、アリア様の後に続いた。

背中に突き刺さるゼノンの視線が、物理的なダメージを与えてきそうだった。

***

その日の放課後。

僕は、アリア様の「お茶会」に使う(としか思えない)高級な茶器一式を運ぶため、中庭を歩いていた。

(なんで僕がこんな……。平穏が欲しい……)

僕が角を曲がろうとした、その瞬間。

(【危険感知(センス・デンジャー)】A級。発動)

(——感知。右前方、3メートル。魔力反応、C級。風魔法【ウィンド・カッター】)

「うわっ!」

僕は、誰がどう見ても「石につまずいた」としか思えない完璧な動作で、その場に盛大に転んだ。

シュンッ!

僕が転んだコンマ1秒後。

僕がさっきまでいた空間を、鋭い風の刃が通り過ぎていった。

もし転んでいなければ、僕の顔はズタズタになっていただろう。

(危なかった……!)

「……チッ。運のいい奴め」

物陰から、ゼノンの取り巻き(昨日、学食で笑っていたうちの一人)が舌打ちするのが聞こえた。

(わざとだ。僕がここを通るのを待ち伏せして……!)

これは、もはや「嫌がらせ」ではない。「傷害未遂」だ。

僕は、割れていないか心配だった茶器(アリア様に弁償させられたら死ぬ)を抱え、急いでその場を立ち去ろうとした。

「——待ちなさい」

だが、僕の背後から、第三者の声が響いた。

ゼノンの取り巻きでも、僕でも、アリア様でもない。

——学園長だ。

「今のは、確かに【ウィンド・カッター】だったな。生徒同士の私闘は、たとえC級魔法であっても、見過ごせん」

厳格な声と共に、初老の紳士(学園長)が姿を現した。

(やばい! 騒ぎが大きくなる!)

「学園長! こいつです! こいつがカイト・シズクに!」

(あれ?)

物陰から、なぜかアリア様が姿を現し、ゼノンの取り巻きを指差していた。

(いつからいたんですか!?)

「アリア・フォン・エルロードか。……ふむ」

学園長は、取り巻き生徒と、無様に転んだままの僕を見比べた。

「学園長。私は、彼(取り巻き)が、カイトに向けて故意に魔法を放った瞬間を、確かに見ました」

「なっ!? ア、アリア様! 俺は、ただ練習を……!」

「練習? 生徒が通る通路の角で? 殺傷能力のある魔法の?」

「うぐっ……」

取り巻きは、聖女様の完璧な正論に言葉を失う。

「学園長。厳正な処分を望みます」

「……うむ。承知した。君は、学級委員として、後で詳細を報告に来なさい」

取り巻き生徒は、顔面蒼白のまま、学園長に連行されていった。

僕は、ようやく立ち上がり、服の埃を払った。

「あ、あの……アリア様。ありがとうございました」

「……」

「アリア様?」

アリア様は、僕を助けてくれたというのに、なぜか不機嫌な顔で僕を睨みつけていた。

「……あなた、なぜ避けなかったの?」

「え? いや、だから、石につまずいて……」

「嘘は、もう聞き飽きたわ」

アリア様は、僕が転んでいた場所を指差した。

「そこには、石ころ一つないわ。あなたは、つまずく『フリ』をして、完璧なタイミングで風の刃を避けた」

(バレてる……!)

「どうして? どうしてあなたは、あんなC級魔法ごときに、反撃の一つもせず、無様に転んでみせるの?」

「い、いや、僕は戦闘値ゼロなので……」

「まだ言うの!」

アリア様の声が、中庭に響いた。

「あなたは、私にまで隠すつもり!? 私が、あなたの『秘密』を守ると、物置で約束したはずよ!」

(ああ、違う! 違うんだアリア様! あなたの勘違い(悲劇のヒーロー設定)が重すぎて、こっちは秘密(平穏希求)を明かせないんだ!)

「……もういいわ」

アリア様は、何かを諦めたように、深くため息をついた。

「ゼノンの差し金ね。彼、本気であなたを潰すつもりだわ」

「……」

「こうなったら、私があいつを……」

アリア様の目に、危険な光が宿る。

(やばい! この人が動いたら、余計に話がこじれる!)

「あ、アリア様!」

僕は慌てて彼女を止めた。

「だ、大丈夫です! 僕のことは、僕が自分でなんとかしますから!」

「……あなたに、何ができるというの? 『戦闘値ゼロ』のフリをしながら」

「そ、それは……! とにかく、アリア様の手を煩わせるわけにはいきません!」

僕の必死の抗議に、アリア様は、じっと僕の目を見つめ返してきた。

そして、フッと、小さく微笑んだ。

「……そう。なら、見せてもらうわ。あなたの『なんとかする』っていうのを」

(え?)

「ゼノンが、あなたを呼び出していたわ。『決闘』の申し込みをする、と」

(……は?)

僕の耳に、とんでもない爆弾が投下された。

「アリア様、今……」

「第3演習場よ。今すぐ行きなさい」

「いや、でも……!」

「これは、『専属』としての『命令』よ、カイト」

アリア様は、僕に背を向け、有無を言わさぬ口調でそう告げた。

僕は、割れたら死ぬ茶器を抱えたまま、最悪の決戦の地へと、強制的に向かわされることになったのだった。

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