第5話 聖女様の「契約」と、新たなる火種

 「『S級討伐の功労者は、カイト・シズクである』……とね」

アリア様が放った言葉が、狭い物置の中で反響する。

僕の思考は、完全に停止した。

「え、あ、あの……アリア様? い、今、なんとおっしゃいまし……」

「学園長に、推薦状を出すと言ったのよ」

「そ、そそそ、それは……!?」

「あなたがS級魔物を討伐したという、ありのままの事実を。ゼノンが手柄を横取りしたという、真実を」

アリア様は、どこまでも真剣な目で僕を見つめている。

冗談でも、脅しでもない。

本気だ。

(終わった……! 本当に終わった!)

この推薦状が受理されたが最後、僕は「無能な荷物持ち」から「S級魔物を倒した英雄(ゼノンを出し抜いた卑怯者)」として、全校生徒の注目の的になる。

ゼノン・ダレスからの報復(物理)は確実。

平穏な学園生活どころか、命の保証すらない。

「だ、だめです! アリア様! それだけは!」

僕は、床に転がったままの無様な格好で、アリア様の足元にすがりつこうとした。

(さすがにそれはみっともないな、と理性が働き、寸前で思いとどまったが)

「なぜダメなの?」

アリア様は、心底不思議そうに首を傾げた。

「あなたは、これだけの力がありながら、なぜそれを隠すの? なぜ、あの傲慢なゼノンに手柄を譲るような真似をするの?」

「そ、それは……! 僕は、ただ……」

(平穏に、目立たず、卒業したいだけなんです……!)


「……なるほど」

僕が言葉に詰まった瞬間、アリア様は、なぜか一人で納得したように、ポン、と手を打った。

(え? なにが「なるほど」なの!?)

「そうだったのね。……気づかなかったわ」

彼女は、僕を射抜いていた冷たい視線をふっと緩め、代わりに、どこか同情するような、哀れむような、慈愛に満ちた(?)目で僕を見下ろした。

(なんか、とんでもない勘違いが始まってないか!?)

「アリア様……?」

「……あなた、何かに縛られているのね?」

「は?」

「魔法契約(ギアス)か、あるいは、一族に伝わる『呪い』か何か……。あなたのその強大な力を、公の場で使うことを禁じる、何らかの『制約』が」

(そんなもの、一切ない!!!)

「だから、あなたは自分の力を隠し、あえて『無能』を演じ、手柄を他人に譲渡している……。違う?」

(違いすぎる!!)

僕は、心の叫びを必死に飲み込んだ。

だが、アリア様の勘違いは、さらに加速していく。

「S級魔物の前で、私をかばい続けた勇気。そして、自分の力を隠し通す、鉄の意志。……カイト、あなた、とんでもない苦労を……」

アリア様が、僕の肩に、そっと手を置こうとする。

(やばい! このままだと「悲劇のヒーロー」としてロックオンされる!)


「ち、違います! アリア様!」

僕は、彼女の手が触れるより早く、勢いよく立ち上がった。

「僕が力を隠しているのは、ただ……!」

「ただ?」

「目立ちたくない! 平穏に暮らしたい! それだけなんです!」

僕は、ついに本音を叫んでしまった。

「S級魔物を倒したなんてバレたら、ゼノン様に目をつけられて、平穏な学園生活が送れなくなるじゃないですか! 僕は、ただ、静かに卒業したいんです!」

「……」

アリア様は、きょとん、と目を丸くした。

「……本気で、言っているの?」

「本気です!」

「あんな強大な力を持っていて、ゼノンごときに怯えている、と?」

「ごとき、じゃないです! A級ですよ! 僕は戦闘値ゼロの無能なんです! お願いです、推薦状だけは!」

僕は、この日何度目かの土下座をしようと膝を折った。

その瞬間。

「……フッ」

「え?」

「フフッ……あははっ! そう!」

アリア様が、突然、肩を震わせて笑い出した。

あの氷の聖女様が、信じられないほど楽しそうに。

「あなた、面白いわね、カイト! まさか、そこまで完璧な『嘘』で、私を煙に巻こうとするなんて!」

「(バレてる!?) い、いや、嘘じゃ……」

「もういいわ」

アリア様は、クスクスと笑いをこらえると、僕に人差し指を突きつけた。

「わかったわ。あなたのその『設定』、乗ってあげる」

「せ、設定……?」

「あなたが『目立ちたくない平穏主義者』で、『ゼノンに怯える無能な荷物持ち』だという、その『設定』よ」

アリア様は、僕の必死の告白を、「強者のジョーク(手の込んだ嘘)」だと勘違いしたらしい。

(ああ、もうダメだ……!)


「推薦状は、出さないであげる」

「ほ、本当ですか!?」

「ええ。あなたが、そこまでして『平穏』を望むなら。その『設定』を守りたいなら」

僕は、地獄の底から天国へ引き上げられたような気分だった。

(助かった……! とりあえず、助かった!)

「ただし、条件があるわ」

「……条件、ですか?」

嫌な予感しかしない。

「ええ。あなたは、私に『嘘』をついた。私を試したわ」

(いや、試したのはそっちでは……)

「だから、罰として……ううん、取引よ。あなたの『秘密』を私が守ってあげる代わりに、あなたは、私の『専属』になりなさい」

「……せんぞく?」

「そう。『聖女アリア・フォン・エルロード専属・荷物持ち』よ」

「は?」

「あなたは『無能な荷物持ち』なんでしょう? なら、荷物を運ぶのが仕事よね。これからは、私の荷物だけを運びなさい」

それは、一見すると「聖女様のそばにいられる」という、男子生徒にとっては夢のような申し出に聞こえるかもしれない。

だが、僕にとっては、死刑宣告に等しかった。

「そ、それだけは……!」

「なぜ? あなたの『設定』通りじゃない」

「アリア様の『専属』なんてことになったら、それこそ目立ってしまって、平穏が……!」

「あら。ゼノンの『共用』荷物持ちと、私の『専属』荷物持ち、どっちがマシかしら?」

アリア様は、悪戯っぽく笑う。

(この人、S級聖女じゃなくて、S級小悪魔だ……!)

「……わかり、ました」

僕は、力なく首をうなだれた。

推薦状で即死するよりは、聖女様の監視下で窒息死する方が、まだマシだ。

「よろしい」

アリア様は、満足そうに頷いた。

その、まさにその時だった。

「——アリア様!」

物置の扉が、蹴破られんばかりの勢いで開かれた。


そこに立っていたのは、顔を真っ赤にして怒りに震える、偽りの英雄——ゼノン・ダレス、その人だった。

「アリア様! こんな薄汚い物置で、その『無能』と何を……!」

ゼノンは、祝賀会の主役であるはずなのに、アリア様の姿が見えないため、必死に探していたらしい。

そして、よりにもよって、一番見られたくない相手に、一番見られたくない状況(聖女様と密室で二人きり)を、見られてしまった。

「ゼノン」

アリア様は、僕の前に一歩出ると、冷ややかにゼノンを見据えた。

「彼に、無礼な口を利かないで」

「なっ!? アリア様、なぜそいつをかばうのですか!」

「かばう? 事実を言ったまでよ。——そして、あなたに紹介するわ」

アリア様は、僕の腕を(やんわりと)掴むと、ゼノンの前に引きずり出した。

「彼、カイト・シズク。今日から、私の『専属ポーター』よ」

「……は?」

「だから、ゼノン。あなたはもう、彼に指図することも、彼を『無能』と呼ぶことも、一切許さないわ。……私の『所有物』に、手を出さないでちょうだい」

ゼノンの顔から、怒りがスッと消え、代わりに、ドス黒い嫉妬と殺意が浮かび上がった。

その視線が、アリア様ではなく、僕——カイト・シズクに突き刺さる。

(終わった……!)

僕は、今度こそ、物理的な意味での「平穏な学園生活の終わり」を、はっきりと悟ったのだった。

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