第4話 聖女様の「テスト」と、完璧な「事故」

 ダンジョン実習から生還した僕たちを待っていたのは、学園中を駆け巡る「号外」だった。

『ゼノン・ダレス、S級魔物を単独討伐! 1年生にして歴史的快挙!』

「聞いたか? あのゼノン様が……」

「ああ、S級だぞ! しかもアリア様を守りながらだって!」

「まさに英雄だ……!」

学園のメインホールは、偽りの英雄を称賛する声で満ち溢れていた。

当のゼノンは、教師や上級生に取り囲まれ、

「フン。S級といえど、アリア様を守る俺の決意の前では、赤子同然だったな」

などと、僕が作ったストーリー(とゼノン自身の嘘)を、さも真実かのように語っている。

(よし、完璧だ……)

僕は、その熱狂の輪からそっと離れ、壁と一体化する。

誰も「戦闘値ゼロ」の荷物持ちのことなど気にも留めない。

これこそが僕の望んだ平穏。あとは、あの聖女様さえ諦めてくれれば……。

僕は誰にも気づかれないよう、生徒たちの波をすり抜け、荷物置き場(という名の物置)へ向かう。

重い背嚢(はいのう)をようやく下ろし、床に座り込んだ。

(疲れた……。スキルは使ってないはずなのに、精神的な疲労が限界だ)

S級魔物と対峙するより、アリア様の追及をかわし、ゼノンに手柄を押し付ける方が、よっぽど神経を使う。

(今日はもう、このまま寮に帰って寝よう。明日になれば、あのアリア様も、今日のことは……)

「——カイト」

「ひゃいっ!」

物置の、閉じた扉のすぐ外から。

氷のように透き通った声が響き、僕は情けない悲鳴を上げた。

ゆっくりと扉が開く。

そこに立っていたのは、S級魔物より恐ろしい、学園最強の聖女アリア・フォン・エルロード様、ご本人だった。

「あ、アリア様!? な、なぜここに……。ゼノン様への祝賀会なら、メインホールで……」

「あの茶番に、私が出ると思う?」

ピシャリ、と扉が閉められる。

狭い物置に、アリア様と僕の二人きり。

彼女が持ち込む、気品ある石鹸の香りが、埃っぽい空気を上書きしていく。

(終わった。人生が終わった。密室だ)

「単刀直入に聞くわ」

アリア様は、僕が寄りかかっていた壁の横に、ドン、と手をついた。

いわゆる「壁ドン」だが、その迫力はS級魔物(ミノタウロス)の戦斧(せんぷ)より上だ。

「あの防御魔法。あなたがやったわね?」

「め、滅相もございません! 僕は戦闘値ゼロの……」

「そのセリフは聞き飽きた」

アリア様は、僕の目を真っ直ぐに見据える。

その瞳は、ダンジョンで見た「疑念」の色から、「確信」の色に変わっていた。

「あなたは、私やゼノン……ううん、あの教師も含めて、全員がパニックになっている中、ただ一人、冷静だった」

(い、いや、僕もめちゃくちゃパニックでしたけど!?)

「あなたは、私がS級の攻撃で死ぬと判断し、あの完璧なタイミングで、S級の攻撃を完全に防ぐ『何か』を使った」

(【絶対防御(イージス)】ですね……)

「そして、私があなたに気を取られている隙に、天井を崩落させ、すべてをゼノンの手柄に見せかけた。……違う?」

(全問正解!!!)

僕は、あまりの完璧な推理に、意識が遠くなりそうだった。

この人、聖女じゃなくて探偵になった方がいいんじゃないか!?

「ど、どうしてそれを……」

「見ていたからよ。あなたが、あの物陰で、一瞬だけ指を天井に向けたのを」

(見られてたーーー!!)

終わった。完全に終わった。

僕の平穏な学園生活は、入学してたった数日で、S級聖女様の手によって終了を告げられた。

「あ、あの……」

僕が何か言い訳をしようと口を開いた、その瞬間。

「——【聖光(ホーリーライト)】」

アリア様が、無詠唱でB級の攻撃魔法を発動した。

目も眩むような聖なる光が、僕の目の前で弾けようとしていた。

(なっ!?)

本能的な恐怖で体が強張る。

だが、アリア様は、それを僕に向かって放つことはしなかった。

光は、僕の頭上……物置の天井スレスレの壁に着弾し、石材をわずかに焦がした。

「……避けなかったわね」

アリア様が、冷たく言った。

「え?」

「今のはB級魔法。戦闘値ゼロのあなたが直撃すれば、無事では済まない。でも、あなたは避けなかった。なぜ?」

(いや、避けるとか避けないとか、そういう問題じゃ……)

「答えは二つ。一つ、あなたが本当に無能で、死を覚悟したか。二つ、あなたが『私(アリア)は、本気で攻撃はしてこない』と確信していたか」

アリア様は、僕の答えを待たずに続けた。

「ダンジョンでのあなたもそうだった。あなたは、S級魔物の攻撃は防いだけれど、私のことは、まるで脅威ではないと判断していた。……違う?」

(ああ、違う、違うんだ……! あなたが一番恐ろしいんだ!)

「試させてもらうわ、カイト」

アリア様が、腰に差していた実習用のレイピア(細剣)を、音もなく抜いた。

「この狭い物置で、私の剣を避けられるなら、あなたの『無能』は嘘になる。避けられないなら……」

彼女はそこで言葉を切った。

(避けられないなら、どうなるんですか!?)

「——行くわよ!」

「えええええ!?」

アリア様の剣の切っ先が、僕の右肩めがけて真っ直ぐに突き込まれる。

速い! A級のゼノンより、よっぽど速い!

(やばい、死ぬ!)

僕は、スキルを使うか、平穏を諦めるかの、究極の二択を迫られた。

僕が選んだのは——。

(【影足(シャドウステップ)】……出力、0.1%!)

これは、学園の廊下で、A級の騎士科の生徒とすれ違った際にコピーしたD級回避スキル【ステップ】が、A級【影足】に進化したものだ。

僕がスキルを発動した瞬間。

ガタッ!!

僕が座っていた床には、たまたま、古びたモップが転がっていた。

僕は、そのモップの柄(え)に、完璧なタイミングで足を滑らせた。

「うわあああっ!?」

ツルンッ。

僕の身体は、アリア様のレイピアの突きを、紙一重でかわす形で、床に無様に転がった。

完璧な「事故」だった。

キィン、と。

僕がいた場所の壁に、アリア様のレイピアが突き刺さる。

「……」

アリア様は、壁に突き刺さった剣と、床で尻餅をついている僕を、信じられないという目で見比べていた。

「い、痛たた……。す、すみません、アリア様! モップがこんなところに……」

僕は必死に、無能なドジっ子を演じる。

「……」

アリア様は、壁から剣を引き抜くと、ゆっくりと鞘に納めた。

(やった……! 騙せた! これで『本当に無能なやつ』だと……)

「……そう。モップ、ね」

アリア様が、僕を見下ろしながら、フッと、小さく息を漏らした。

(え?)

「すごいわ、あなた」

「は、はい?」

「今の私の突きを、『モップに滑って転ぶ』という、完璧な『事故』で避けるなんて」

(バレてるーーーーー!!!)

「聖女アリア、生涯の不覚だわ。まさか、S級魔物より、あなたの『無能のフリ』の方が、よっぽど手強いなんて」

彼女は、僕が掴んだのとは別の意味で、何かを確信してしまっていた。

「あ、あの、アリア様……?」

「もういいわ」

アリア様は、僕に背を向け、扉に手をかけた。

「学園長に、推薦状を出すことにしたわ」

「推薦状?」

「『S級討伐の功労者は、ゼノン・ダレスではなく、荷物持ちのカイト・シズクである』……とね」

「えええええええええええええ!?」

僕の、平穏な学園生活の終わりを告げる、無慈悲な宣告が、狭い物置に響き渡った。

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