やあ、批判! 君の汚名を返上しよう~伯爵と巡る、言葉を癒す時間旅行~
ゴリル@哲学する猿人
第1話 カント:その静謐なる部屋
やあ!久しぶりだね。ん?初対面だと?
ああ、君はそうかもしれないな。
だが、私にとって「いつ会ったのか」など、些細な問題なのだよ。
今日は、君と少し不思議な旅に出ようと思っていてね。
「言語の瑕」を癒す時間の旅だ。
嫌だと言っても無駄だよ。もう始まっているからね!
名前?私の名前など、どうでもよかろう。
しかしまあ、呼び難いというなら、そうだな……伯爵とでも呼んでくれたまえ!
君は「批判的思考」という言葉を知っているかね?
そう、クリティカルシンキングの日本語訳だ。
君もネットやビジネス書で目にするようになっただろう。
ではこの「批判的思考」――どう感じる?
ほら!君は今、少し身構えた。
「批判」という語を聞いた瞬間にね。
何故だかわかるかい?
これが今回、我々が旅に出る理由さ。
批判という言葉にはね、不当ともいえる「大きな瑕」がある。
「批判的に考えてください」
こう言われたら、君はどう感じる?
まるで「否定しろ」「粗を探せ」「対立姿勢を崩すな」と、命じられているような気がするだろう?
この言葉は攻撃的で、否定的で、どこか居心地が悪い。
この語が持つ響き。
それは英語の「critical thinking」の本来の意図とは、別物と言っていい。
いや、日本語の歴史的文脈から見ても、「批判」のニュアンスは大きく変わってしまったのだ。
ではなぜ、日本では批判がここまでネガティブに響くようになったのか?
その手掛かりの一端を……ほら、彼が知っているよ――
『やあカント、邪魔するよ』
「伯爵!いや、待ちたまえ。今度は誰を連れてきたのだ?」
『ああ、この子かい?まあ、同行の見学者のようなものさ』
「見学?私の書斎を?……まあいい。君の同行者は、いつも奇妙なものだからな」
紹介しよう。彼はイマヌエル・カント。
18世紀、プロイセン王国の哲学者だ。
そして『純粋理性批判』――Kritik der reinen Vernunftの作者でもある。
この本が、全ての始まりなのだよ。
『さてカント。Kritikについて、少し説明してやってくれないか』
「Kritikか!ああ、それなら喜んで!」
「Kritik。それはギリシャ語のκρίνω《クリノー》、『判断する』に由来している。理性の限界を見極め、誤謬を解体し、再構成を行う。実に精微な、理性の道具だ」
『Kritik、君のような哲学者に相応しい、美しい響きだね。じゃあ、また寄らせてもらうよ。ありがとうカント』
「相変わらず嵐のような男だね、君は。今度はゆっくりと、語り合おうじゃないか」
カントが説明したκρίνω《クリノー》、これがcriticalの語源にもなっている。
この語源がラテン語のcriticus(判断する人)を経て、フランス語のcritique、そして英語のcriticalへと発展した。
この時代、語が背負っていた意味は「区別・判断する」であり、ネガティブどころかポジティブな哲学用語だ。
その後、criticalは二つの方向へ分化する。
一つは認知的な「分析・評価・批評」といった「批判的」意味。
もう一つは状況的な「生死・成否を分ける臨界点=重大」という意味だ。
君のような現代人には、後者の意味を採用した「クリティカルダメージ」が馴染み深いだろう?
まあこうして「critical」は、状況や文脈により「批判的な」と「重要な・重大な」の、両方の意味を持つようになったわけだ。
例えば、「critical thinking(批判的思考)」は判断・分析力を指し、「critical condition(重篤な状態)」は生死を分ける重大な様態を指す。
これは双方とも「どちらに転ぶかを見極める判断点」という、共通項を有している。
では次は、日本における「批判」の原義を見に江戸時代へ行こう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます