第三章 氷の輪廻編

第三章 第1話 氷底の胎動

――夜明けのあと、世界はひとときの静寂に包まれていた。


溶け始めた氷壁の向こうで、人々の笑い声がわずかに響く。

けれどその足もと、

王都の地下深く――氷の底では、別の鼓動が始まっていた。


それはまるで、遠い昔に凍りついた心臓が、

ゆっくりと目を覚ますような音だった。



王城の書庫。

クラリッサは、月明かりの下で古文書を広げていた。


頁の端は霜に覆われ、

触れると冷気が皮膚に食い込む。


「……やはり、そうだったのね。」


彼女の指先が震えた。

その文字にはこう記されていた――


> 『王国の血脈は二つに分かたれた。

一つは“光”の王系、もう一つは“氷”の王系。

光が継がれるたび、氷は深く沈み、

再び光が溢れた時――氷もまた目覚める。』




クラリッサの唇が震える。

「……つまり、エルマーが光を取り戻した今――」


背後の扉が静かに開いた。

入ってきたのはセリーヌ。


「姉上、また古文書を……?」


「ええ。だけど、読めば読むほど不安になるの。」

クラリッサは本を閉じた。


「“氷巫王”――千年前、この国を創った最初の王。

 彼は死後、封印されたはずよ。

 けれど……この封印、

 どうも“光の王”の力に連動している。」


セリーヌの表情がこわばる。

「じゃあ……エルマー陛下の戴冠が、封印を……?」


クラリッサは沈黙した。

窓の外、遠くの空で光が一瞬、陰る。



一方そのころ――北方氷原。


雪嵐の夜、白い大地を裂くように

黒い亀裂が走っていた。


凍土の下から、低い唸り声が響く。

その中心に、氷の棺があった。


透明な氷の中に眠る男。

蒼白い髪と、薄く開いた瞳。


――“氷巫王スヴェル・ノルド”。


その胸の奥で、ゆっくりと何かが灯った。

淡い青の光――まるで魂が再び流れ出すように。


> 「……光が……戻ったか。」




その声は風とともに霧散する。

彼の手の中で、氷が砕け始めた。


> 「ならば……闇もまた、生まれ出るべき時。」




氷の地を揺らす地鳴りが走る。

雪原の上に、無数の氷の柱が立ち上がり、

それらはまるで“王の軍勢”のように並び始めた。


冷気が空を裂き、北の星を覆い隠す。



翌朝。


エルマーは王城のバルコニーで空を見上げていた。

昨日まで澄んでいた空が、今は薄く灰色を帯びている。


「……風が冷たい。」


彼の隣に、クラリッサが現れる。

「エルマー。あなたの即位と同時に、

 北方の氷原が再び活動を始めたわ。」


「氷原が……?」


クラリッサは静かに頷く。

「封印が揺らいでいる。

 あなたの中の“光”が強くなるほど、

 眠っていた“氷の王”もまた力を取り戻していくのよ。」


エルマーは拳を握る。

「つまり、僕の存在そのものが……

 新たな災厄を呼び覚ましているということか。」


クラリッサは黙って頷く。


沈黙のあと、エルマーは微笑んだ。

「……それでもいい。

 この手で光を掴んだ以上、

 闇に責任を持つのも王の務めだ。」


彼の瞳に映るのは、遠く北方の空。

そこにはまだ見ぬ嵐の予感が渦巻いていた。


セリーヌが走り込んでくる。

「陛下! 北の関所から報告です――!

 氷の塔が再び姿を現したと!」


「……来たか。」


風が、王のマントを翻した。


「出立の準備を。

 クラリッサ、セリーヌ――共に来てほしい。」


二人はうなずいた。


雪が、静かに降り始める。

そのひとひらひとひらが、

まるで世界の鼓動のように、静かに警鐘を鳴らしていた。


> ――氷の底が、再び動き出す。




そして、運命の輪はもう止まらない。

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氷結のフロストリア王国記 @rakugonin

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