第三章 氷の輪廻編
第三章 第1話 氷底の胎動
――夜明けのあと、世界はひとときの静寂に包まれていた。
溶け始めた氷壁の向こうで、人々の笑い声がわずかに響く。
けれどその足もと、
王都の地下深く――氷の底では、別の鼓動が始まっていた。
それはまるで、遠い昔に凍りついた心臓が、
ゆっくりと目を覚ますような音だった。
◆
王城の書庫。
クラリッサは、月明かりの下で古文書を広げていた。
頁の端は霜に覆われ、
触れると冷気が皮膚に食い込む。
「……やはり、そうだったのね。」
彼女の指先が震えた。
その文字にはこう記されていた――
> 『王国の血脈は二つに分かたれた。
一つは“光”の王系、もう一つは“氷”の王系。
光が継がれるたび、氷は深く沈み、
再び光が溢れた時――氷もまた目覚める。』
クラリッサの唇が震える。
「……つまり、エルマーが光を取り戻した今――」
背後の扉が静かに開いた。
入ってきたのはセリーヌ。
「姉上、また古文書を……?」
「ええ。だけど、読めば読むほど不安になるの。」
クラリッサは本を閉じた。
「“氷巫王”――千年前、この国を創った最初の王。
彼は死後、封印されたはずよ。
けれど……この封印、
どうも“光の王”の力に連動している。」
セリーヌの表情がこわばる。
「じゃあ……エルマー陛下の戴冠が、封印を……?」
クラリッサは沈黙した。
窓の外、遠くの空で光が一瞬、陰る。
◆
一方そのころ――北方氷原。
雪嵐の夜、白い大地を裂くように
黒い亀裂が走っていた。
凍土の下から、低い唸り声が響く。
その中心に、氷の棺があった。
透明な氷の中に眠る男。
蒼白い髪と、薄く開いた瞳。
――“氷巫王スヴェル・ノルド”。
その胸の奥で、ゆっくりと何かが灯った。
淡い青の光――まるで魂が再び流れ出すように。
> 「……光が……戻ったか。」
その声は風とともに霧散する。
彼の手の中で、氷が砕け始めた。
> 「ならば……闇もまた、生まれ出るべき時。」
氷の地を揺らす地鳴りが走る。
雪原の上に、無数の氷の柱が立ち上がり、
それらはまるで“王の軍勢”のように並び始めた。
冷気が空を裂き、北の星を覆い隠す。
◆
翌朝。
エルマーは王城のバルコニーで空を見上げていた。
昨日まで澄んでいた空が、今は薄く灰色を帯びている。
「……風が冷たい。」
彼の隣に、クラリッサが現れる。
「エルマー。あなたの即位と同時に、
北方の氷原が再び活動を始めたわ。」
「氷原が……?」
クラリッサは静かに頷く。
「封印が揺らいでいる。
あなたの中の“光”が強くなるほど、
眠っていた“氷の王”もまた力を取り戻していくのよ。」
エルマーは拳を握る。
「つまり、僕の存在そのものが……
新たな災厄を呼び覚ましているということか。」
クラリッサは黙って頷く。
沈黙のあと、エルマーは微笑んだ。
「……それでもいい。
この手で光を掴んだ以上、
闇に責任を持つのも王の務めだ。」
彼の瞳に映るのは、遠く北方の空。
そこにはまだ見ぬ嵐の予感が渦巻いていた。
セリーヌが走り込んでくる。
「陛下! 北の関所から報告です――!
氷の塔が再び姿を現したと!」
「……来たか。」
風が、王のマントを翻した。
「出立の準備を。
クラリッサ、セリーヌ――共に来てほしい。」
二人はうなずいた。
雪が、静かに降り始める。
そのひとひらひとひらが、
まるで世界の鼓動のように、静かに警鐘を鳴らしていた。
> ――氷の底が、再び動き出す。
そして、運命の輪はもう止まらない。
氷結のフロストリア王国記 @rakugonin
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