第4話 白銀の誓約

王都を包む氷の霧が、ゆっくりと晴れはじめていた。

砕けた氷冠の残響が遠くで響く。

クラリッサは崩れかけた回廊の上で、沈黙する弟を見つめていた。


彼の胸には、淡い光の紋章――“氷の継承印”が刻まれている。

それはまるで、失われた弟シリウスの記憶が宿っているかのように、時折淡く明滅した。


「……彼の力を吸収したのね」

クラリッサの声は、震えていた。


エルマーは目を閉じ、静かに頷く。

「はい。でもこれは“奪った”んじゃない。

 ……“託された”んです」


その言葉に、クラリッサの心が一瞬、痛んだ。

彼の瞳に浮かぶのは悲しみでも怒りでもなく――祈りのような優しさだった。


「弟は最後に、僕の中に“何か”を残した。

 それが何なのか、まだ分かりません。

 けれど……この力を使って、必ずこの国を癒やしてみせます」


彼の声が雪の中に溶けていく。

凍りついた街路を見下ろすと、民たちがゆっくりと集まり始めていた。

氷を砕き、倒れた旗を立て直す人々の姿。


クラリッサはその光景に胸を熱くしながら、

エルマーの隣に並び立った。


「……もう王族の血など関係ない。

 この国を動かすのは、あなたの優しさと、人々の希望よ」


エルマーはその言葉に微笑み、

右手の剣を静かに地面へ突き立てた。


「ならば、ここに“誓約”を立てましょう。

 この剣が朽ちるまで、僕はこの国を守り続ける」


クラリッサは彼の手に自分の手を重ね、

そっと目を閉じた。


「私も誓うわ。

 あなたの“光”となって、どんな闇にも屈しない」


風が吹き抜け、砕けた氷片が舞い上がる。

それはまるで、白銀の羽が二人を包むようだった。



その夜、王都の中心――旧王城の広間では、

民が集まり、小さな灯火が並んでいた。

新しい時代の始まりを祝うための、静かな儀式。


エルマーは壇上に立ち、ゆっくりと口を開いた。


「この国を覆っていた氷は、確かに父と、そして僕たち王族の罪から生まれた。

 けれど――氷は光を映すものでもある。

 だからこそ、僕は願う。

 この国が、もう一度光を映せるように」


彼が掲げた剣が、柔らかな白光を放った。

広間に集まった民の瞳に、その光が反射する。

誰もが息を呑み、静かに涙を流した。


クラリッサは少し離れた場所で、その姿を見つめていた。

“王の器”とはこういうことなのだと、初めて心の底から理解した。


(……あのとき、あなたを失わなくて本当によかった)


涙を堪えながら、そっと微笑む。

すると、風が一筋、髪を揺らした。

――雪が、もう降っていない。



儀式の後、二人は城のバルコニーに立っていた。

夜空には淡い極光が広がり、白銀の街を優しく照らしている。


「きれいね……」とクラリッサが呟く。


エルマーは隣で小さく頷き、空を見上げた。

「氷が溶けていく音が、聞こえますか?」


「ええ。まるで、国そのものが息を吹き返しているみたい」


静かな時間が流れた。

二人の間を、白い光の粒が通り過ぎていく。


クラリッサはそっと手を伸ばし、

弟の指先を軽く握った。


「エルマー……。あなたの手、あたたかいわ」


「姉上が、光をくれたからです」


その答えに、クラリッサは小さく笑い、

彼の肩に頭を預けた。


夜風が二人の外套を揺らす。

白銀の街に、ようやく春の息吹が訪れようとしていた。

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