第3話 揺れる副会長

 生徒会室に、ペンの走る音だけが響いていた。

 夕陽が差し込む窓際で、クラリッサ・ヴァン=ルクレールは書類を黙々と整理していた。

 隣の机には、静かに書き物をしているセリナ・アーデンの姿。

 いつの間にか――この光景が日常になっていた。


「クラリッサ様、予算報告書の確認をお願いできますか?」

 穏やかな声。

 まるで命令ではなく、頼みごとのような響きに、クラリッサは一瞬だけ手を止めた。


「……あなた、本当に人の扱いが上手ね」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「ふん、図々しい」


 口ではそう言いながらも、どこか頬が熱かった。

 あの日、負けた悔しさは消えていない。

 けれど、彼女の誠実さと努力を見るたびに、心の奥に小さなざわめきが生まれていく。


 ――あの子は、本気で学院を変える気だ。

 ――そして、私を置いていく。


 そんな思いが、胸を締めつけた。


◇ ◇ ◇


 翌日。

 昼休みの中庭。

 セリナは学生たちと談笑していた。笑顔を向けるその姿は、以前のような孤独な少女ではない。

 周囲には信頼と尊敬が満ちていた。


 クラリッサは木陰からその光景を見つめていた。

 目の前の光景がまぶしすぎて、思わず日傘を傾ける。


「まるで、主人公みたいね……」


 思わず零れた独り言に、すぐ隣から声が返った。


「そう見えるのは、貴女が彼女をちゃんと見ているからですよ」


 現れたのはルーク・エルドレイン。

 柔らかな笑みと、どこかからかうような目つき。

 クラリッサは眉をひそめる。


「……学生騎士が女子の噂話に混じるなんて、暇なのかしら?」

「警備中です。怪しい視線を感じたもので」

「ふざけないで」


 そう言いながらも、クラリッサの心はなぜか落ち着かない。

 この少年が、セリナの隣に立つ姿を思い浮かべるたびに、胸の奥が妙にざわつくのだ。


「貴女は、セリナをどう思ってるんです?」

 ルークの問いに、クラリッサは目を細めた。


「……愚かで、危うい。でも――眩しい」

「へえ、それは褒め言葉に聞こえますね」

「勝手に解釈しないで」


 ルークは軽く笑い、帽子を押さえて立ち去った。

 クラリッサは彼の背を見送りながら、小さくため息をついた。


 ――何をしているの、私。

 あの平民を見下していたのは、他ならぬこの私じゃない。

 それなのに、どうしていま、胸が痛むの?


◇ ◇ ◇


 夜。生徒会室に灯がともる。

 クラリッサが残業していると、扉がノックされた。


「クラリッサ様、まだお仕事中ですか?」

「ええ。あなたこそ、こんな時間に」


 セリナが差し出したのは、小さな紙袋。

「これ、厨房の方がくださったんです。夜食にどうぞ」


 クラリッサは驚いて言葉を失った。

 平民出身の少女が、貴族の自分に気遣いを向ける――

 その事実が、どんな賛辞よりも重く感じられた。


「……あなた、本当に変な人ね」

「よく言われます」

「ふふ……そうでしょうね」


 二人の間に、わずかな笑いが生まれる。

 長い沈黙のあと、クラリッサは小さく呟いた。


「もし……もし私が、あなたの邪魔をしたら、どうする?」

 セリナは一瞬だけ驚いたが、すぐに真剣な瞳で答えた。


「その時は――全力で、止めます」


 その言葉を聞いた瞬間、クラリッサの胸の奥で何かが弾けた。

 敗北の痛みでも、嫉妬でもない。

 もっと、複雑で、温かく、どうしようもない感情。


 ――ああ、これが“揺らぐ”ってことなのね。


 夜風が窓を叩き、カーテンがふわりと揺れた。

 クラリッサの瞳の奥に映るのは、かつて見下していた少女の姿。

 そして、自分でも気づかぬうちに、微笑んでいた。

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