第36話:想集片


 気付くと、ウォルフは記憶の奔流の中にいた。〈運命の証〉の記憶は何度か潜った事が有る。銃に蓄えられた記憶は、例えるなら底の見えない海だ。様々な記憶がウォルフをすり抜けて行く。


 ――『〈運命の証〉』編、『ウィラード蜂起』編、『銀河の遺産』編、『ザ・ラスト・ガンスリンガー』編、『鬼神業』編、『三人の女神』編、『〈宿命の兆〉』編、『運命の男、宿命の修羅』編。この世界ではそういう名を付けられた数々の過去達。


 そして。


『そんなの、そんなの嘘だ! だって、アイツは何も言わずに……アタイの頼みを』

『……言えなかったんだろうさ。皆の前では、最後まで強い男でいたかったんだろう』

『じゃ、じゃあ本当にウォルフは……』

『……死んだよ。オレやお前を助ける為にな』


 自分の死後残された、レオパルドとシスカの記憶だ。

 咲き誇る過去の花々の中、そこにまるで貝の様に手足をたたみ、身体を震わせる少女がいた。零れ落ちる涙を両の手の平で受けるものの、時折隙間から落ちる雫が床に溜まりを作っている。それは恐らく、彼がバアルで果てた後の事だ。〈怪鳥号〉の暗い一室でシスカはただ涙を流し続けていた。


『ごめん……』 

 

 枯れた喉から漏れる謝罪の言葉。ウォルフは理解していた。きっと、シスカは自分も含めた皆がいつも通りに帰って来る物だと思ってたに違いない。最後には笑い合っていると思っていたのだ。ましてや、自分の寿命が尽きかけてるなど想像すらしてなかっただろう。

 愚かな少女だと思う。だが、故にその笑顔を守ってやりたかった。……漫画で見たのとは違う生のこの光景に、ウォルフの心は僅かに曇った。


『相棒』


 そこにいる男は、ウォルフと寸分違わぬ顔をしていた。レオパルドはウォルフの死を告げたその時から、シスカの隣に座っていた。彼女の俯いた顔の、その目が大きく見開かれた理由は『相棒』という言葉だった。彼等がこの旅を始めた時から、今まで彼はその言葉でシスカを呼んだ事は無かったのだから。


『相棒、こいつが海賊稼業ってヤツだ。本で読むのとは違う。現実はこんな死は幾らでも転がっている血の池地獄だ。……ウォルフなんてまだ序の口だ。次はお前かもしれない、オレかもしれない。命有る物は何れ全て死に絶え、何も残らぬ虚無となって去って行く。これが死の味さ』


 シスカはそっと彼の顔を見る。普段陽気なレオパルドは、今は何もかもをそぎ落とした表情をしていた。この道を歩く限り、人の死が付いて回るに違いない。この時彼女は初めて自分が飛び込んだ世界の真実を知ったのだと、ウォルフは理解した。


『多分よ、アイツは近い内に死んだだろうな。身体はとっくに限界を迎えていた。だが、その死を安らかにする事がオレには出来た筈なんだ』


 そして、レオパルドはその決定的な言葉を口にする。


『アイツを殺したのはウィラードだけじゃない。オレもアイツを殺したんだ』


 一息置いて。


『でもだからこそ、オレはその死を無駄にしてはいけない。ヤツはオレを助ける為に来て果てた。ならせめて、その背中に恥じてはならない様に生きなきゃならない。……ましてやこのままウィラードに奴の誇りを踏みにじらせ続ける訳にはいかないんだ』


 そしてレオパルドは赤いコートの裏側からある物を取り出した。シスカも、他ならぬウォルフもそれを知っている。それをレオパルドは手の中で一回転させシスカに渡した。


『シスカ。オレの相棒、お前に頼みが有る』


 レオパルドの顔に涙は無かった。有るのは覚悟と決意だけ。ウィラードを殺す、何に換えても……その決意に満ちていた。


『お前に、オレの魂を預ける。先の戦いで壊れちまったこいつを使える様にしてくれ』


 シスカもウォルフも、その言葉の意味を知っていた。レオパルドは今に至るまで、自分の銃を誰かに触らせた事は一度も無い。何時だって銃の整備は自分一人でやって来た。命を繋ぎ運命を決める物故、銃だけは自分の手で行わなくてはならないと言って。


『頼む、ウィラードに勝つにはお前の力が必要なんだ』


 シスカは目元に溜まった涙を手の甲で拭う。しばし後、決意の表情と共にそれを手にした。


『アタイ、やるよ』


 それがレオパルド・スランジバックとウィラード・クロックワークの最後の戦いの、直前の出来事である。それら全てを通り抜け、辿り着いたその先は――


 赤く冴えた月の光が降り注ぐ。地には廃墟の数々。風が運ぶのは埃の混じった血の匂い。ウォルフの記憶がその名を告げる。そこは惑星ダコタに存在した元中枢都市跡。……忘れよう筈が無い、そこは彼にとって全ての始まりであるのだから。目の前にあった水溜りに映る自分の姿を見ると、羽織っていたのは真紅のコートでは無かった。それはあの日あの時と同じ漆黒のコート。


「よぅ、久しぶりだなウォルフ」


 その声に振り向く。男の年頃は二十代の後半から三十代の前半。それこそトレードマークの真紅のコートを身に纏い、口元には葉巻を咥えている。その黒髪も、金の瞳も、気楽そうな顔も自分と全て同じ。そう、彼こそがウォルフの原点。彼が背負った宿命の原初にして、ついぞ超えられなかった壁。


 レオパルド・スランジバックがそこにいた。彼が最後にその目で見た、そのままの姿でレオパルドは静かに彼に歩み寄る。そしてその両肩を掴んだ。


「話は全て知っている。世話をかけたな、ウォルフ」


 それは彼が何よりも聞きたかった言葉だった。


「でも、もういい。バアルのヤツでもう十分だ。これ以上お前が命を賭ける必要は無い。……お前はお前で、もう自分の人生を歩いて構わないんだ」


 光景はマッチ売りの少女に似ていた。マッチ一本に火を点ける度、求めていた物がその先に映りこむ。ウォルフにとって闘いとは自らの存在理由を得る為の物だった。つまる所、よくやってくれた。彼のその一言でウォルフには十分だったのである。


「その力は自分の為に使え。もう、オレに殉じる必要は無い」


 その言葉に、ウォルフは一度苦笑して本来好んでいた巻き煙草を口に咥えて火を点け、そして――


「アイツのフリは、どうやら俺の方が上だな。――なぁ、〈運命の証〉?」


 彼は、〈運命の証〉が演じるレオパルドの幻影に対しそう言った。その金の瞳が見開かれるのを見て、ウォルフはやはりと思った。


「……何故解った?」

「都合の良い展開ほど疑ってかかれってな。アイツにはそう教えられたんだ」


 眼差しは寂しそうに、声音は静かに。幻影のレオパルドは、まるで迷える者を前にした神父の様に語った。


「ウォルフ・スランジバック、お前は本当にそれで良いのか?」

「何を今更……」

「この戦いにお前が求める物は、何も無いだろう」


 砂埃を一握り孕んだ風が、幻影のレオパルドとウォルフの空虚な心を通り過ぎていく。


「お前の歩こうとする道に光は無い。潰えて消えるだけの運命しか待ち合わせていない。……どれだけ血を吐き、痛めつけられても誰もお前に報いる事は無いだろう」

「そうだな」

「だが、今ならまだ引き帰せる筈だ。ヤツの事は諦めろ、お前はヤツの影法師になるつもりか?」


 その言葉にウォルフは笑った。何処か啜り泣きを彷彿とさせる低い笑いだった。直後彼は声のトーンを一段階上に、笑い方をもっと明るく修正し。


「オレはヤツの影だ。ヤツをオレだけは諦めてはならない。いつものパターンじゃないか、アイツは俺がいないとてんで駄目なんだからよ」

「お前は、また殺される為に生きるつもりなのか?」


 答える前に一度ウォルフが声を引き攣らせる。だが、それを押し殺す様に腕に齧り付く。いや、彼はこの時確かに殺していたのだろう。自分の弱さ、脆さ、嫉妬や憧憬、それら自らを顧みる物の一切を。そして、口を離すと叫んだ。


「そうだ!」


 彼は、幻影のレオパルドの赤いコートを掴む。


「そうだ! 俺は再びこの名と共に生き、この名と共に死す! 再びこの血も涙もヤツに全部くれてやる! 今度の墓標はこの赤いコートだ!」


 ただ、その声だけが力強く……迸る焔の様に熱く、そして儚く。


「力を貸せ、〈運命の証〉。まずはウィラードだ!」


 そのあまりにも若過ぎる瞳を真っ直ぐに見つめながら、幻影のレオパルドは呟く。


「殺し文句だな」


 〈運命の証〉には今理解した。もう、この男を止められる者は何処にもいない。既に結末は決まっているのだ。……だが、それでもあの男の思いだけは伝えなくてはなるまい。今はいない、他ならぬあの男の意思を。


「先程言った言葉だがレオパルドも、きっと同じ言葉を言っただろう。――ヤツだったら、今度こそ力づくで止めた筈だ」


 幻影のその言葉に対し、ウォルフは目を背けながらこう答えた。


「…………知っているさ、そんな事」

「それでも往くか」


 途端、幻影のレオパルドを含めた世界の全てが光となって溶けていく。夢を夢だと認識した時の様に世界は曖昧模糊と化して行った。


「いいだろう。一時だけだが力を貸そう。だが、レオパルドの影にじゃない。オレはウォルフ・スランジバックという一人の男に貸す。そこだけは間違えてくれるなよ?」

「あぁ」

「最後に一つだけ。お前の想像通りだ、〈怪鳥号〉の金庫にはあの船でもっとも高価な物が仕舞ってある……」

「やっぱり、捨ててはいないんだな」

「あの男が捨てるものかよ。そうだろ?」


 そして、その薄膜を破ってウォルフ・スランジバックは現実へと帰還する。時間は先程から一分も経っていない。ただ口に咥えた葉巻だけが少し減っているだけだった。羽織っているのも漆黒のコートでは無く、これから自分の墓標となる赤いコートだ。現実に帰還するとウォルフは即座に〈聖印〉を走らせ因果を改竄する。……コートの裏に確かな重みを感じると、彼は手にした〈運命の証〉に向けて。


「これが俺たちの美しい友情の始まりだな」


 映画『カサブランカ』から拝借した台詞を呟くと〈運命の証〉も仕舞い込む。そして、彼はノイの身体を再び抱きかかえた。軽い身体だった。自分はこんな子に重荷を背負わせていたのか、そう思うと申し訳なさと後悔が胸の中に溢れてくる。


「必ず、取り返してみせる」


 答えは無い。ウォルフは彼女の茶色の髪を一度撫で、そして囁く様に語りかける。


「俺の全てを賭ける。……すまんが、それで勘弁してくれ」


 あるいは、彼がこの事を請け負ったのは彼女に対する贖罪の念も有ったのかもしれない。しかし、それを知る者はもう誰もいない。彼に対して語るべき言葉はもう無くなったのだから。

 そして、彼は部屋を後にした。最早それだけで十分だろう。

 ――後に、ナヴァロン事件とは別件で確保されたイスタルジャ構成員の供述によればウィラード・クロックワークがウォルフ・スランジバック脱走の報告を聞いた際、彼は嬉しそうにこう漏らしたという。


「やるじゃないか。それでこそ生かした甲斐が有る。ならばこっちも手を加えてやろう」


 午前四時四十分、ウィラードは外部全域に避難命令を発令。沈黙を保っていたナヴァロンが鳴動するのを誰もが確認した。要塞が変形し、その主砲が露わになる。第三ザバービアを灰燼に帰したあの主砲だ。


「さぁ、来い。お膳立てはしてやった――貴様が手に入れたオモチャを見せてみろ」


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