第32話:お前が憎い俺が憎い


 時刻は午前四時丁度。ウォルフは拷問部屋から出ると、取り上げられていた自分のコートと銃を取り戻してノイの方へと向かった。切り落とされた右手が何処に行ったのかは知らない。別の所に有るのか、それとも回収されなかったのか。少なくとも両手利きではあるので、左手で銃を撃つ事は出来る。


 目指すのは第一研究区画。テルペから読み取った情報では、そこにノイが居るという。途中ですれ違う兵士達を極力隠れてやり過ごし、目的の部屋の護衛を速やかに片付けた後。倒れた護衛を利用して部屋へと侵入した。銃を構え周囲に障害が無い事を確認すると、彼はそのまま神経を張り詰めさせながら部屋に足を踏み入れる。雑多な機器で埋まった通路を抜け、開けた場所に出る。


 そこにノイはいた。鋼鉄の祭壇の上。禍々しい機器に身体を取り込まれ、その周囲をスタッフ達が右往左往している。絡み合ったコードとチューブの幾つかは彼女の体内にまで繋がっていた。ウォルフが銃を向けるとスタッフ達は両手を上げた。しかし彼が指示をしようとした矢先、身体は立ち眩みを起こす。その間に彼等は全員部屋を後にしていた。


「血を、流し過ぎたか……」


 重たい身体を引き摺り、彼はノイへと歩み寄った。彼女に意識は無い。右腕には分厚いガーゼが張られている。どうやら何らかの薬が投与されたらしい。

 ――憎かった。あの時気にするなと言った時、その裏では『お前さえいなければ良かったのに』と思う心が確かに有った。それは自分の心を直視させた事への怒りで有った。

 そう、彼の人生は自分の中の腐った物との格闘である。ウォルフの前にはいつもレオパルドがいた。レオパルドは彼が欲しい物を何でも持っていた。戦う力。大勢からの人望。冴えた頭脳。互いを認め合う宿敵。普通の身体。自分より遥かに長い寿命。揺るがないアイデンティティ。どれもがウォルフの手には無く、かつ欲しい物だった。その羨みと妬み。どうにか心の奥に押し込めたその二つを、彼は自分の心の中で何より嫌っていた。それを紐解いてしまったのが、レオパルドの不帰を知った時である。


 あの時、レオパルドの不帰を知った時――ウォルフは確かに喜んでいたのだ。これでいい、これでこの名と顔と身体を持つのは自分だけになった。あれだけ欲しかった無二の人生が労せず手に入った。しかしその仄暗い喜びを感じてしまった事が、他でもない彼自身が許せなかったのだ。そして、それを直視させたノイを彼は恨み憎んでしまった。本当は誰も恨み憎むべきではないのに。彼女と過ごした日々は感情の捌け口を求める性と、それを律しようとする理性の鬩ぎ合いの日々である。

 ……その幽かな声が漏れたのは、彼が言葉を躊躇った直後である。その青い目が開く。夢現の中で、彼女は言葉を紡ぐ。


「れお、ぱるどさん」


 どうやらノイはウォルフの事を、レオパルドと思っているらしい。瞳に理性の光はなく、紡ぐ言葉はたどたどしい。


「ごめん、なさい」

「え?」

「おれ、よわくて、またしっぱいしちゃって。うぉるふさんが、みんなが、まもれなくって」


 ノイの目に涙が溜まり、下に零れ落ちる。


「ひとりに、ひとりにしちゃいけないのに……だって、いちばんきずついているのは、うぉるふさんだから……」


 ――彼にとって、一番の不幸であったのは他者が欲しい物を理解できる能力を持っていた事だろう。ウォルフは声のトーンを一段階上にして、ウォルフの時よりも明るい笑い方を取る。切り落とされた右手はポケットの中へ。ノイの瞳に映るのはあの男だ。赤いコートと黒い髪、運命を見定めて尚輝きを失わない金の瞳を持つ伝説の宇宙海賊。……その名をレオパルド・スランジバック。


「心配するな、お前はよくやってくれた」


 ノイが流した涙の痕を左手で拭う。それはまさしくあの男その物だ。どんな名優でも、この役だけは自分ほど演じる事は出来ないだろうとウォルフはその時思った。


「後はオレに任せてくれ、少しだけ眠ってくれれば良い。そしたら全て終わってるさ。――命賭けるぜ」


 ノイはその言葉を聞くと意識を失った。目を閉じた後、彼はそっと彼女の茶色い髪を撫でる。


「……ごめんな、レオパルドじゃなくて」


 彼女に怒りを抱いていたのは確かである。しかし、彼は報告書を読んだ時に知っているのだ。この少女がどれだけ酷い目に合ったのかを。……彼女はテルペによって拷問され、それを救出したのがレオパルドだった。救出された直後は酷い有様であり、レオパルド以外の見る者全てに怯える程だったという。

 ――ウォルフは一度、彼女の右手に目を向ける。そこに彼女の腕は無かった。それが彼女が受けた拷問の痕である。

 レオパルドがいなくなって辛いのは彼女だというのは解っていた。そんな彼女を憐れと思う気持ちも彼には有った。捨てきれぬ憎しみと、捨てきれぬ情。それは彼の人生に影の様について来た。あの時もそうだった。


『ごめん、ウォルフ。今回は本当にヤバイんだ。……レオパルド、本当に死んじゃうかもしれない』


 ウィラードとの戦いの直前。自分の寿命を知った時、もうレオパルドと関わるのを止めようと思った。一人で静かに死ぬつもりで、最初レオパルドが仲間を集めた時断った。そんな自分を引き止めたのがシスカだった。シスカはレオパルドを死なせない為と言って、自分に縋りついたのだ。

 あの時、シスカに頼まれなければきっとベッドの上で死ねただろうが。


『ウォルフ、アタイはお前しか頼れるヤツを知らないんだよ。アイツを助けて、お願いだよ』


 涙に濡れたその顔を。恐怖に震えるその声を。自分に縋り付くその身体の温かさを。……途方に暮れたその少女の縋る手を振り払う事が、彼にはどうしても出来なかったのである。


『何故だ! 何で体の事を言わなかった!? そうならオレはッ……』 


 そしてもしも、レオパルド・スランジバックが本当に嫌なヤツであったなら。血も涙も無い男だったなら。それは彼にとってどれだけ救いになっただろう。バアルでレオパルドに寿命の話をした時、レオパルドが嫌なヤツで有る事を密かに願った。お願いだ、頼むからこの姿を見て爆笑し、ざまあないなと言ってくれと。


 けれど現実は違った。レオパルド・スランジバックは彼にとってかけがえの無い友人であり、自分を一人の男として認めてくれたのだ。ウォルフが死んでからあの時、レオパルドはウィラードとの決着を着ける必要など無かった。彼等が命を賭した作戦は成功し、自分の命以外失った物はない状況だったのだ。本来のヤツなら再び雲隠れするつもりだっただろう。あの男がどういう人間か知っている者にとって、それは大きな意味を持つ。


 それは、自分がかつて愛した女の仇すら取らなかった男が、他でもない自分の為に銃を取った事を意味する。……あの金庫に触れたくなかったのは、本当は怖かったのだ。あの男の友情を改めて知り、憎めなくなるのが。


「な、やっぱり俺の言った通りじゃないか。レオパルド」


 言葉は続く。その声は諦観に溢れていた。


「……俺じゃあ、駄目なんだよレオパルド。皆、お前が帰ってくるのを待ってるんだよ」 


 虚ろな言葉が宙を彷徨う。それを聞き届ける者は誰もいない。……その筈だった。


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