第29話:追憶、冷水、観客


『身体形成率四十八%、肉体改造はまだ先延ばしの方が良いな』


 アルフェミン。イルミニン。エルフェタミンT‐211。


『神経線維の強化。感覚の鋭敏化は……ふむ、まだ改良が必要だな』


 グルリニン。C-613-9093。オルドナイリタン。アスナーゼン41。


『骨延長手術の準備をしよう。再生能力と痛覚反応のテストも兼ねるから、麻酔は無しでいいか』


 ベルペリン。アルトナージ515。ゼノジン。BTT-432-2045。トリル・マテリアルVer.42。


『予定より発育が遅い。成長促進剤を投与しろ、使い物にさえなればいい』


 成長因子の増強。

 生殖能力の排除。

 神経線維の強化。

 身体感覚の鋭化。

 再生能力の付与。

 戦闘経験。

 航空知識。

 語学知識。

 一般教養。

 専門知識。

 機械工学。

 電子工学。

 遺伝工学。

 医学知識。

 拷問耐性。

 薬物耐性。

 痛覚耐性。


『ふむ、思念操作能力が発現したのはこの個体か。いいだろう、それ以外は殺処分だ』


 その手、その目、その魂に狂気を込めて。狂気の天才科学者・Dr.フィシオロゴスは生命の誕生という神の領域を土足で汚し、一つの武器を鍛造した。 


『ウィラード・クロックワーク閣下。あの男を超える男を私は作りました』


 …………。


 冷水をかけられてウォルフは目を覚ます。身体は何もついていないが拘束されている。鉄の椅子に座らされ、口には猿轡が嵌められている。……ウィラードに切り落とされた右手は、何時の間にか施されていた手当てと再生能力で止血状態にあった。顔にしたたる水の先にはあの黒い少女=テルペがいる。


「ようやくお目覚め? お寝坊さんね」


 くすくすと嬌やかに笑いながら、テルペはウォルフの猿轡を外す。身体は指の一本どころか、首を回す事すら出来ない。恐らくあの糸で拘束されているのだとウォルフは推測する。


「……アンタに水をぶっかけられるまでは熟睡してたもんでな」

「ウィラード君に崩された調子も戻ったみたいね。よかったよかった」

「ここは?」


 彼の目の前にはコンクリート仕立ての壁が四方に広がっている。彼女の端には古雅なヴィクトリア朝風の装飾を施された台車つきのテーブルがあり、その上には妖しい煌きを放つメスやナイフが丁寧に置かれている。


「私のアトリエ、って言った所かな」

「今は?」

「プレイ前のトークタイムって所かな。私やるよー、どこまでも命ある限りファイトしちゃうわ!」

「ノイはどうした?」


 テルペは返答する前に一度慈母の様な笑みを浮かべた。ただその笑みの奥の赤い瞳からは、慈愛とはおよそ程遠い物が覗いている。


「死んじゃった」


 鬼気とは正にこの事を言うだろう。その言葉を聴いた時、ウォルフの空気が変わる。常人ならば失神してもおかしくは無い程の殺気が溢れ出るが、彼女はそれに一切臆する事は無かった。


「んふ♪」


 あまつさえ、そんな笑い声を上げる程だった。


「冗談よ。あなたがそんなにカワイイ質問するんですもの。……今頃は別の部屋にエスコートされてるんじゃないかな? ……そんなに怖い顔しないで。そんな顔されちゃうと、お姉さんは今にもケダモノになっちゃうんだから」


 テルペは人差し指を噛んだ。そこから溢れる血を、音を立てながら下品に貪る。


「カンタリス・テルペ。噂通りらしいな」

「あら、どんな噂?」

「拷問狂いの毒婦。生命力を操作する異能者。無痛症を患っているから人の痛みが解らず、故に他人を弄ぶ快楽殺人鬼。アンタがイスタルジャに現れて以降、人の形をしていない死体が何ダースも増えた」


 それを聞いた瞬間、テルペは一度きょとんとした顔をした後。


「何それ、ひっどーい!」


 ――激昂した。


「何かお気に召さない点でも?」

「ウォルフ君は大変な誤解を幾つもしてるわ。けれど一番許せないのは私を殺人鬼と思っている点!」


 今にも泣き出しそうな、潤んだ瞳をテルペはウォルフに向けた。


「私、殺す事を目的にしてない! 消費するのが重要なんじゃない、命や心をどう扱うかが重要なの! 人の心は雪の結晶と同じで、どれ一つ取っても同じ物はなく特別だわ! その特別な心を通して私は快楽を追及しているだけなの! 私の事を言い表すなら、探求者と呼んで頂戴!」

「でも殺すんだろう?」

「あぁ、何て事なの……ウォルフ君は前提から私を理解してないわ。早く誤解を解かなくちゃ。……いい、ウォルフ君? 私こう見えてお気に入りの猫ちゃんのマグカップは何回も壊れても修理して、もう三年は使ってるの。それと同じで沢山痛くしたかったけど、殺したい訳じゃない――だって私はどんな人でも愛してるんですもの!」


 その平たい胸に右手を置き、テルペは熱心にそう語った。ウォルフは金色の凍えた眼差しを向けて―― 


「……アンタは、まるで愛の様な狂気を語るんだな」


 その言葉に彼女は左手で口元を覆う。覆い隠した口の端は、何処か下卑た笑みが浮かんでいた。


「何時の間にか責め側を交代してたなんて、……その言葉責めはまずはお見事と言っておくわ」


 血の匂いが噎せ返る様に香る。気を良くしたのだろう、彼女は鼻歌を歌い出した。


「もういい、言葉はいらない。ここから先は行動で私を説明してあげるわ。――覚悟してよねウォルフ君、痛いって気持ちいいんだって事を骨の髄まで教えちゃうんだから」


 彼女の顔は上気し、その赤い瞳に狂気の灯が灯る。そして彼女の後ろ、天井に着いた監視カメラが妖しい輝きを放っていた。


「それに今日はオーディエンスもいるんですもの」

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