第24話:獣面人心の怪物
今ウォルフの前にあるのは、一つの金庫だ。大きさは電子レンジ程。グレーの金属製の扉は重たく閉ざされ、解除するには専用の鍵か扉に着いたテンキーで正しい番号を入力する必要がある。そこに何があるのか、彼は知らないが想像はついている。入ってるのは感傷だ。数枚の写真や人から見ればガラクタとしか思えない物の数々。そして恐らく、その中には一挺……。
そう思い浮かべた所で、彼は無意識に伸びてた右手に気付き下げた。そうだ。それは触れてはならないし、知ってはいけない事だ。例え知る事が容易くても、一線は引かないといけない。
そんな時、〈怪鳥号〉のドアをノックする音が響く。彼女だ。ウォルフは一度右腕を噛むと、ドアを開けてノイを迎え入れた。
「知ってますウォルフさん? イェサナドってビックリすると、“ほえ”って言うんですよ」
「マジかよ」
「それ、レオパルドさんと同じ反応ですよ」
あの一件以来、ノイはウォルフに懐いていた。事ある毎に彼女は〈怪鳥号〉を訪れ、ウォルフ自身と言葉を交わしていた。一体こんな無愛想な男と会って何が楽しいのか。……そう思いながらも彼はけして邪険にはせず相手をしており、他の三人はそれを黙って見守っていた。
「なぁ、その人形は一体何だ?」
会話の中、ウォルフはノイにそう尋ねた。人形というのは彼女が愛剣と共に吊り下げている物の事だ。大きさは煙草の箱程、剣と杖を持った少女の形をしていて、髪は金色で服は薄桃。
「あ、気になります? じゃーん、私の憧れのサークラちゃん人形です!」
そう言ったノイは何処か自慢げだ。
「見て下さい、里を抜け出して王都で並みいる子供達を押し退けてゲットした珠玉の一品なんですよ! とっても可愛いでしょ!」
そこでノイは一旦我に返る。自分のこの人形を説明するには、まず元いた世界の事を話す必要があると。
「えっとですね、お……私元々はハイランダーって神様の末裔の種族で、神代の技術をひっそり伝える里の出身でして。で、王都ってのは国の……ここで言えばワシントンとか東京みたいな」
「大丈夫だ。そこら辺の事は報告書で読んでるから」
この時代のキャラクターの報告書で重視されるのはどの様な能力か、そしてどの様な活躍をしたかだ。例えるならそれはWikipediaで好きな作品のキャラのページを読むのに近い。能力や経歴、思想は載っているがその他のパーソナルな部分は軽視される傾向がある。
「確か、旅に出た直後に手に入れたんだっけ?」
「残念、違いますー。旅に出る前に手に入れたんです!」
そして、主に描写を基本に記載している為、この様に実物と情報が食い違っている節もある。
「サークラちゃんって言うのは私の世界で百年前に活躍した女の子の冒険者なんです。魔法の杖と剣で戦って、色んな冒険をしたから私の世界で凄く有名なんです! ……こっちで言えばスター・トレックのカーク船長ぐらい」
「なら超有名人だな」
「はい! で、とっても可愛くてカッコいいんです! 私のこの髪形も実はサークラちゃんを真似てるんですよ! 私もサークラちゃんやレオパルドさんみたいに誰かから語り継がれる冒険者になりたくて」
そう言って彼女は一度苦笑し、照れくさそうに右人差し指で頬を掻き。
「だって、ほら……おれ、そんなに可愛くないじゃないですか……」
おれ、と彼女が言うと声のトーンが一段低く下がる。それが彼女の本来の声だ。
「やっぱりまだまだですよね、おれ。サークラちゃんの足元にも及ばない。おれ、サークラちゃんの十倍も生きてるけど、サークラちゃんが十四歳で出来た事がまだ出来ていない。里を出るのだって百四十歳の誕生日を迎えた直後だし。今だって、とんでもない大ポカやって……」
彼女の顔が徐々に俯き始めるのを見ると、ウォルフは赤いコートの裏から葉巻を出して咥える。火は着けずに咥えるだけだ。
「何かあったのかい? 話なら聞くさ」
ノイはその言葉に一度顔を上げると、目を閉じて唇を歪ませる。
「つい二日程前の事です。おれ、東ブロックを歩いてたら女の子数人に物陰へ連れてかれたんです。……その子、第三ザバービアに妹がいたらしくて。グラハムさんが止めてくれるまで話したんです」
「……そうか」
「でも、その子が凄いのは『全部お前の所為だ』とは言わなかったんですよ。本当は言いたくてしかたがなかったと思うのに」
そこで彼女はサークラ人形を両手でぎゅっと掴む。それはまるで修道女がロザリオを掴む様に。
「きっとサークラちゃんならこんな事にはならなかった。おれなんかより、ずっとずっと良い結果を出して……」
彼女のその声を聞いた瞬間、ウォルフは彼女の仲に透る様に声を張った。
「――それ以上にしておけ、それ以上踏み込んだら死神に引っ張られる」
間に合ったか、と彼は心で計った後、無理矢理こじ開けた彼女の意識の空白を埋める様に言葉を紡ぐ。彼の経験上、白熱しかけた直前が一番言葉が心に染み込み易い。
「他人と自分を比べても、ドツボに嵌るだけで答えなんか出ない。その手の事にはちょっとばかし詳しくてな」
「けれど……」
ウォルフは思い出す、あれは惑星ティアマトでレオパルドが一惑星程の隕石を破壊した時だ。それこそ彼は漫画でよくいる解説役の様なポジションで収まり、シスカにレオパルドが行った事を逐一説明していた。だがその胸の内で感じたのは嫉妬と諦観だ。……それが無意味であると気付くのに、随分時間がかかってしまったが。眩い運命の男の残像を掻き消し、ウォルフはノイに説く。右肩に手を置いて。
「結局、人間ってのはどれだけ迷い傷ついても何時かは飲み込んで、生き方を選ばなきゃならない時が来る。憧れの壁の前に折れてしまうのも良い、それでもと叫んで尚立ち向かうのもアリだ。……だがどちらにしても時は無情に進み、否が応でも前へ進まなくちゃならない。難しいよな、生きる事って」
「ウォルフさん……」
「何、話半分で覚えてくれれば良い。だが、何時か君も選ばなきゃならない時が来る……それまでに生き方が決まるといいな」
その時、ノイの中に一つの疑問が生まれた。きっとこの人は自分とレオパルドさんを比べて生きて来た筈だ。
「ウォルフさん、ウォルフさんは生き方を決められたんです?」
「あぁ。友の為に生き、友の為に死ぬという最高の生き方をな」
なら、一体……。
「一体、何時生き方を決めたんですか?」
それに対し、ウォルフは少し照れくさそうに笑う。それはノイが初めて見るウォルフの笑みだった。
「……偉そうな事言ったが、実は割と最近でな。自分に死の影がちらついて、ようやくさ」
「どうして、どうしてレオパルドさんの為に命を賭けられるんですか? どうして今も戦っていられるんですか?」
彼女の瞳に青い涙が浮かび、一拍の間を置いて。
「お願いします、教えて下さい……」
俯きながら彼女の頭がウォルフの腹真正面に辿り着く。その質問に対しウォルフは、今ノイは崩れ落ちかけた心を必死に組み立て直しているのだと推測した。しばしの逡巡の後、彼は自らの事を話す事にした。恐らくあの男ならばそうするに違いない、そう思ったから。
「ヤツは、俺の友だ。友の為なら身を張るのが海賊だ。そして今も戦うのは……」
ウォルフは一度目を閉じ。
「こうする事でしか、生きてく事が出来ないからな。何をするにも銃を取って立証するしか知らないんだ、俺」
ウォルフはレオパルドを超える男として鍛造された。レオパルド・スランジバックと戦い、勝つ事を目標にし教え育てられた。今更他の生き方など出来ないと彼はそう思う。そう踏まえた上で。
「虚しい生き方だけど、君の参考になったかな?」
「……はい」
「そうか、ならいい」
ノイは震えながらそう言うのを見て、ウォルフは今しばらく時間が必要だと思った。少なくとも今彼女に必要なのはもう自分ではなく、一人になる時間だと。
「少し休め、その方が良い」
「ありがとうございます……」
そうして彼女は彼から体を離すと、よろよろと〈怪鳥号〉を後にする。しかし去り際、その痛ましい背中に向けて彼は――
「俺は、君なら理想に辿り着けると思うよ……君なら何時の時代でも語り継がれる冒険者になれると思う。少なくとも、自分に恨みがある人間に凄いと言える君は俺にない物を持っている」
そこで彼女がぴたりと止まる。
「君の剣の腕を、皆信頼している。それでも自分を信じられないというなら、次の戦いで取り返せ! その時は手くらいは貸すさ。それに君はそのままで十分可愛い、笑ってる方が特にな」
「ありがとう……ございます」
その震える後姿が見えなくなるまで、彼は見守っていた。そして彼女の気配が消えると、ぽつりと呟いた。
「これで良かったのか、レオパルド」
その時、ウォルフは視界の端に何かが映った気がした。〈怪鳥号〉の外、ピラミッドの様に積み重なった小豆色のコンテナの上に。彼は気にも留めず咥えっぱなしだった葉巻に火を点けたが、そこには体長一〇センチ程のソレが確かにいたのである。
ジンクスは、確かにそこに有る。
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