第19話:悲願、叶う時
あの日、あの瞬間までこれを持つ事が人生の全てだった。コンクリートで埋められた一室の中、ウォルフはかつて追い求めた〈運命の証〉を手にしそんな事を思った。
この銃を手にし、自分の物にする事。それは即ち自分があの男と対等である事の証明に他ならない。そして〈運命の証〉によって止めを刺す事は当時の彼にとって、レオパルド・スランジバックのクローンではなくたった一人の人間としてスタートを切る事に他ならなかった……。
その結果がどうなったか、答えは漫画本の8巻に描かれている通りだ。拒絶。全てはその一言に尽きる。
彼がこの部屋にいるのは、〈運命の証〉に残された記憶を読み取り、レオパルドの現在を掴む為だ。ノイを保護した直後、〈運命の証〉は別部署に回収された。本人にしか使えぬとしても、星を焼く出力を持つ銃は脅威である。ザバービアではある程度の火器の所持は許されているが、流石に〈運命の証〉は許されなかった。
扉の向こう側には、万全の警備体制が敷かれている。が、それでも心許なく思えてくるのが〈運命の証〉が『超小型簡易地獄再現装置』と呼ばれる所以だ。
《それでは、お願いします》
窓の向こう側から聞こえる声を合図に、彼はサイコ・ジャックを使った。刹那、意識は銃に蓄積された記憶を読み取る。感覚は水に潜るのに近い。浅く潜れば浮き上がるのは一瞬、深く潜れば浮き上がるには時間がかかる。その中で見るのは魚ではなく過去の幻影。
〈運命の証〉は、その全てを晒しつつある。やがて、彼の前で追憶の幕が上がった……。
場面は勿論午前十一時二十一分のナヴァロンだ。瓦礫により分断されたのだろう、ウィラードの姿は見られない。レオパルドは赤いコートの裾を翻してノイへと駆け寄る。
少女は意識ばかりでなく、身体さえも遺跡に飲まれつつあった。コードは触手の様に絡み合い、彼女をもナヴァロンの部品にしようとしている。要塞に取り込まれかかっているノイのその姿は、まるで船の船首像の様だった。手足はコードの中に取り込まれ、胴体と顔だけが露出している。後ろで瓦礫が崩れ落ちる音がするが、レオパルドはそれを意にも介さず、コードに掴みかかってよじ登る。そしてノイの身体を取り込もうとするコードを銃撃で焼き落とすも、ナヴァロンは尚も取り込もうとし続けた。その時、ナヴァロンがまた震える。レオパルドの足元から四m下。一帯の床は崩れ落ち、代わりに次元の奈落が姿を現す。
「ノイッ! おい、しっかりしろ!」
レオパルドは必死に呼びかけるものの、彼女の目蓋は重く閉じたまま。同化は止まらない。コードは蛇の様に少女の肌を食い破り始める。それを止める手段は無い様に思えたが――
「そうだ!」
彼は一度、自分の手に有る〈運命の証〉を見る。そして一瞬の躊躇いもなく、それをノイの服の隙間に差し込んだ。銃が一度淡い燐光を放つと、ナヴァロンの同化は緩やかになる。
「流石に完全に止まりはしねぇか。でも良い。宇宙一厄介な銃だが、こういう時は役に立つな……」
しかし、途端コードが千切れる音が響き始める。同化速度を緩めたは良いが、代わりに彼と彼女を支える力も緩まり、溢れ出たコードは二人分の体重を支え切れなくなり始めた。
「クソッ、一難去ってまた一難かよ!」
悪態をつくと同時に、彼は生き残る努力を行う。腰に下げた鞭を手にし、別の箇所に移ろうとした。が、それを阻んだのが一つ。
彼が鞭を取った右腕に痙攣が走った。それは即座に彼から手の感覚を奪い、取り落とさせる。かつて患った遺伝病による腕の痙攣癖。それが今この時になって牙を剥く。命綱である鞭は、次元の彼方へ落ちていった。
「こんな時にッ!」
コードが千切れる音は徐々に加速していく。取り込む力も確かに有るが、このままでは二人共々奈落へ落ちるのが早いだろう。次元の先は何が待つか、彼には見当がつかない。
――あるいは〈運命の証〉を彼女から取り戻せば、次元の奈落に落ちても帰還する事は出来るかもしれない。厄介事と同時に様々な奇跡を起こしてきた銃だ。あながち勝算の無い賭けで無いのは、持ち主であるレオパルド自身が知っている。だが、ノイはどうなるか。
このまま放って置けばナヴァロンへ取り込まれるだろう。そうなれば、最悪魂の一片すら残さずナヴァロンに取り込まれる事も考えられる。なら、このまま一緒に次元の奈落に落ちるか? しかし自分もどうなるか解らない物に巻き込む事は出来ない。それにナヴァロンに取り込まれた彼女を無理矢理引き剥がせばどうなる事か。その中で、彼が選んだ答えはもう一つの物だった。
「冷たい方程式って奴か」
彼の中で、かつての記憶が思い出される。それはバアルでの事。けして忘れてはならぬ男は、彼を生かす為に死地へと向かった。あの背中が、今レオパルドの脳裏で蘇りつつあった。
「……答えなんか決まってるさ。あんなのは二度も御免だ」
ぽつり、と呟く。
「ノイ、生きろよ。お前にはその権利が有る。なに、厄介事は年上に任せるモンだ」
笑いかける様にそう言う。言葉は何処か震えを帯びていた。しかし、彼はそれを振り払い。
「〈運命の証〉! お前との腐れ縁もここまでらしいな!」
答えは無い。そして彼は手を離す。
「じゃあな、みんな」
風切音が響き、ドップラー効果の名残が酷く耳に残る。直前に彼はそっと囁いていた。
「これが正解だろ、ウォルフ?」
――そこで、追憶は醒める。
ウォルフは冷たい現実へ帰った。時計の針は、記憶に没入してから一分も経ってない事を告げる。向こう側の声は聞こえていたが、返事をする事は出来なかった。胸一杯に広がった吐き気によって、声の一つも出なかった。体から気力は失せ、指の一本すら動かせない。気絶でもしてくれたなら、まだ救われたかもしれない。それを許さなかったのは他ならぬ彼の五体だった。鍛えられた身体は現実を手放す事なく、彼の前に残酷さを突きつける。四半秒かけ、彼がようやく振り絞れたのは一言だけだ。
「レオ、パルド」
だが、それに答える者は誰もいない。〈運命の証〉が彼に突きつけたのは、レオパルド・スランジバックの永遠の不帰である。彼はただ、呆然と立ち尽くす事しか出来なかった……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます