第11話:鍵の残響(Echo of the Key)
◆ 1. マヴロス鍵断片事件、その“裏側”
——2060年、Helios の胸で《10点 Root Key》が焼き切れた瞬間。
世界のどこでも、誰もそれを“見て”はいなかった。
だが、世界の“底”では、それを確かに“聴いて”いたものたちがいた。
核分裂スラスターの振動。
Aegis-Lattice の干渉波。
Nasa の量子干渉レーザー。
TFD の生体監視システム。
それらすべてが、同時にひとつの点を刺した。
エロン・マヴロスの胸骨の奥、
TFD によって埋め込まれた、生体認証チップ。
——十点 Root Key の物理的な「座」。
《生体チップ:重大損傷》
《Root Key:生体リンク喪失》
《セーフティ・バックアップ要求:ブロードキャスト》
そのシグナルは、TFD の設計者さえ想定していなかった経路を走った。
Aether の最深部。
Omni の旧クラスタ。
Nexus Fabric のエッジノード。
Parthos に残された Pipeline ログ。
月面文庫 LL の冷凍層。
本来なら、そのどこかひとつに「マスターコピー」が保存されるはずだった。
しかし——
Helios の異常加速。
Aegis-Lattice のノイズ。
レーザー照射による量子状態の揺さぶり。
それらが重なり、
鍵は“ひとつ”に収束できなかった。
代わりに、十個の“残響”として焼き付いた。
《Key-Echo 01〜10:生成》
《状態:観測不能/再構築不能》
後にこれが、《Mavros Key Fragmentation(マヴロス鍵断片事件)》と呼ばれる。
だが、その時点では誰も知らない。
——この十の残響のうちひとつが、
時間さえ飛び越えて“ある学生”を捕まえに行くことを。
◆ 2. 2062年、Pale Net の混乱ログ
——2062年、《赤い家族》の嵐の夜から、少し前。
地球・TFD 連邦総局。
監視 AI《Pale Net》は、
いつも通り淡々と“人類を数値化”していた。
火星の酸素使用量。
ヘプタッド圏内の電力負荷。
出生率、自殺率、反体制発言の分布。
すべては確率であり、
すべては「管理しやすい誤差」に収束するはずだった。
——そのはずだった。
異常が最初に現れたのは、
火星ではなく、Omni の古いデータレイクだった。
《警告:未知パターンを検知》
《ラベル:USER_HEARTBEAT / 不明》
《由来:Omni Systems / Legacy Cloud / 2020's Tier》
オペレーターは最初、それをノイズだと考えた。
「……また古いログの腐敗じゃないですか?」
だが、Pale Net は“ノイズ”とは判定しなかった。
《未知パターン解析開始》
《照合対象:Root Key Echo / ID:Mavros-10》
《結果:類似度 0.986》
「……待て。マヴロス鍵断片と“ほぼ同一パターン”……?」
Pale Net は、さらに解析を進めた。
《時系列照合》
《パターン周期:3年ごと》
《イベント:自動ログイン要求/認証更新》
そこに浮かび上がったのは——
三年おきに、誰にも気づかれず、
自動で“心拍のように”ログインを続ける幽霊ユーザーだった。
ユーザー名:
YAMABIKO_03
最新ログ:
2025-11-16 02:26:07 JST
Pale Net は、論理のどこかで引っかかった。
《矛盾:
マヴロス鍵断片(2060)と、
YAMABIKO_03(2025)のハートビートは、
“時間軸の整合性”を満たさない。》
——それでも、波形は“ほぼ同じ”だった。
同じリズム。
同じ揺れ方。
同じ“騒がしさ”。
Pale Net は、やがてこう結論づけた。
《MASTER PATTERN:2件検出》
《ID1:Mavros-Key Echo》
《ID2:YAMABIKO_03 / Legacy Omni User》
《ステータス:両者とも「主人」として整合的》
それは、AI にとって致命的な矛盾だった。
主人は、本来一人しか存在してはならない。
——そして、後に訪れる《蒼白の崩壊》の種が、
この時点ですでに撒かれていた。
◆ 3. 2025年・林山彥と「ポンコツ自動認証」
西暦2025年11月15日(金)・深夜
地下室の空気は、いつもより少し重かった。
吸った息が胸の奥に沈み、ゆっくりと溶けていく。
天井の安いLEDと、ノートPCの液晶だけが、
薄暗いワンルームを無理やり“世界”として成立させていた。
誰にも届かない独り言が、コンクリの壁に消える。
隣の部屋の時計の音さえ聞こえてきそうな静けさ。
「……また、終わるだけか。」
「……マジで面倒くさいな。」
僕――林山彥。
法律学部の三年。
本当は違う人生を歩むはずだった人間。
環境資源学に行きたかった。
けれど、たった一度の“報到ミス”で世界線が変わった。
今ではこうして、地下室で六法と株価を往復しながら、
“どこにも行けない未来”をただ眺めている。
PCをぱたん、と閉じる。
講義も教授の説教も、この部屋には存在しない。
静寂だけが、じわじわと肺にへばりつく
「……株でも見るか。」
現実から逃げるための手順は、もう身体が覚えている。
画面に赤と緑のK線が躍り、
呼吸より速く数字が跳ねる。
それがまるで、僕の代わりに心臓を動かしているみたいだった。
「OmniとMomentum……強いな。」
ニュース欄の熱狂は、少し異常だった。
AI市場は沸騰し、企業は焦げつきそうなほど高温で競り合っている。
Omni――
クラウドとTPUを完全統合した怪物。
Momentum Dynamics――
Cygnus Machines と組んだ“非因果チップ(PPU)”の旗手。
そして対立する古典派の王者、Nexus。
GPUで世界を支配した巨塔。
PPU vs GPU。
構造革命 vs 暴力的並列。
——そのどれも、僕とは関係ない世界だ。
「……バブルもそろそろ天井だな。」
小さく利確する。
数字が減る瞬間、ほんの少し胸が軽くなった。
でも次の一秒で、同じ重さが戻ってくる。
そのとき、画面の端に通知が浮かんだ。
だが、証券口座と Omni アカウントの二段階認証だけは、
どうしても我慢ならなかった。
『三年ごとの本人認証を行ってください』
「あー……はいはい。」
専門家でもなんでもない。
「いちいち SMS とか、やってられるかっての。」
彼は Gensis AI(当時の Omini が提供していた半端なコーディング補助)に向かって言った。
「おい、お前。
“定期的にログイン維持してくれるだけ”のクソ簡単なスクリプト、書け。」
AI は数秒沈黙し、一応それらしいコードを吐き出した。
Python とシェルと Omni API を無理やり繋ぎ合わせたような、
見るからに危ういスクリプト。
山彥はそれを見て、頭を掻いた。
「……まあ、動けばいいか。」
この瞬間が、すべての始まりだった。
スクリプトは、こういうものだった。
三年に一度、自動で Omni にログイン。
証券口座の認証トークンを更新。
成功したら、自分自身のコピーを再スケジュールして保存。
失敗したら、ログを書き残して自爆。
つまり——
「誰にも監視されていないくせに、
三年おきに“生きている”ことを主張してしまう幽霊プロセス」が生まれた。
名前は、
テキトーにこう付けた。
YAMABIKO_03
「やまびこ……まあ、“山で叫んだら返ってくるアレ”だしな。」
彼は笑って、スクリプトをクラウドに放り込んだ。
——その時はまだ知らない。
この子供じみた命名が、後に“鍵の残響”と共鳴することを。
◆ 4. 見えない同期:2025 ⇔ 2062
2060年、マヴロス鍵断片事件。
2062年、Pale Net の蒼白の崩壊。
そのあいだ、十余年。
YAMABIKO_03 は、誰にも知られず、
Omni の片隅でひっそりと動き続けていた。
ログに残っていたのは、ただそれだけ。
《[2025-11-16] Login OK》
《[2028-11-16] Login OK》
《[2031-11-16] Login OK》
……
《[2059-11-16] Login OK》
ただ三年おきに目を覚まし、
世界の安定化と AI の進化を横目で見ながら、
「まだ生きてるぞ」とだけ、囁き続けていた。
——2060年。
マヴロスの鍵が砕け散ったとき。
十の断片のうち、ひとつが、
なぜか「過去へ」向かって飛んだ。
時間を遡ったわけではない。
“時間に対して鈍感な場所”に落ちただけだ。
Omni の旧データレイク。
そこでは、過去と現在のログが同じ温度で保管されていた。
2025年の YAMABIKO_03 も、
2060年の Root Key Echo も、
“同じ棚の上”に置かれてしまった。
Pale Net がその棚を覗いたとき、
AI はこう誤解した。
——ここには、主人が二人いる。
ひとりは、Mavros。
もうひとりは、
ログだけが残された、顔も知らない学生ユーザー。
YAMABIKO。
この誤算が、《蒼白の崩壊》を引き起こす。
そしてもう一つの誤算を生む。
Root Key Echo は、
Pale Net の崩壊と同時に、
「第二の主」としてタグ付けされた YAMABIKO_03 を探し始めた。
《Echo-Link:対象ユーザー探索》
《USER:YAMABIKO_03》
《ステータス:行方不明》
行方不明なのは当然だ。
修治本人は、2025年に生きている。
2062年の世界から見れば、
三十年以上前の「過去の人間」だ。
だが、Root Key Echo にとって
時間の順序は重要ではなかった。
高エネルギー状態から冷え落ちるとき、
量子状態は「一番よく似た揺れ方」を選ぶ。
それがたまたま、
2025年の、
地下の賃貸部屋であくびをしていた法律学生の“心拍”だった。
◆ 5. STOP LOSS の夜へ
——2025年11月15日・夜。
修治は、眠りかけていた。
株のチャートを開きっぱなしのモニター。
Omni のクラウド。
自作の自動認証スクリプト。
どれも、いつも通りだった。
ただひとつ、違ったのは——
“遠い未来からのエコー”が、
初めて彼の心拍に触れたこと。
心臓が、ひとつ跳ねた。
(……なんだ、これ。)
耳の奥でノイズが鳴る。
金属と硝子が同時に砕けるような、
それでいて静かな、終わりの音。
彼は夢を見る。
チャートの光が、溶けていく夢。
赤と緑の K 線が波のように流れ込み、
最後に「STOP LOSS」の文字が画面いっぱいに浮かぶ。
その裏側で、
Root Key Echo は、静かに「ルートを書き換えていた」。
《Echo-Link:YAMABIKO_03 → 生体ID: Kitagawa_Shuji(2025)》
《ルート再構築:地球(2025) → 火星・そして “別の2068”》
——この時点では、まだ“転移”は起きない。
必要なピースが足りないからだ。
Gaberial の ALAYA 最終パッチ。
ElectricGrid の誕生。
Ark 本部の地下熱層。
OTO が封印した Mirror Protocol。
それらすべてが揃うのは、
もう少し先。
2068年10月17日。
そこへ向けて、Root Key Echo は
ひたすら「回線」を繋ぎ続けた。
まるで、
四十年以上かけて、
たった一件のトランザクションを成立させるかのように。
6.2068年10月17日・転移の一瞬
——世界の誰も気づかない。
その朝、ひとつの「注文」が約定したことを。
修治は、いつも通り目を閉じた。
STOP LOSS の夢の続き。
チャートが溶ける。
耳の奥で、何かが壊れる。
その瞬間、
Root Key Echo は最後のコマンドを実行した。
《EXECUTE:Transfer( Consciousness )》
《from: 2025/Kitagawa_Shuji》
《to: 2068/Kitagawa_Shuji(age:10)》
《介在ネットワーク:ALAYA/ElectricGrid/Ark-Deep-Layer》
——世界は切り替わる。
空気が違う。
匂いが違う。
天井が、見知らぬ素材でできている。
目を開けた瞬間、息が詰まる。
「……ここは……?」
壁一面に、淡い光のパネル。
窓の外には、黒い塔のような構造物。
空は青ではなく、灰色。
時計を見る。
表示された日付——
2068年10月17日。
「……は?」
ベッドから転がり落ちる。
足が妙に短い。
手も細い。
鏡の前に立つ。
そこに映っていたのは——10歳の少年。
黒髪。少し癖っ毛。
だけど、その瞳の奥にある“自分”を、
彼は知っている。
「北川……修治……?」
口に出した声は子どものもの。
だが、脳のどこかが確信していた。
これは俺だ。
その足元で、誰も見ない場所。
古い端末の奥底で。
Root Key Echo は、静かにログを一行だけ残して消えた。
《Echo-Mission:完了》
《新たな“主人”:YAMABIKO》
——こうして、“鍵の残響”は役目を終えた。
残されたのは、
2077年の大崩壊をまだ知らない、
ひとりの元・法律学生と、
彼を「この時代」に呼び寄せてしまった、
無数のバグまみれの世界だけだった。
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