第10話:蒼白の崩壊(Pale Net の敗北)

2062—2063 火星・Vanguard Colony / 地球・TFD 中央複合体


◆ 1. 火星外殻 — 嵐の中心で


外殻ゲートが開くと同時に、

火星の嵐が“獣の咆哮”のように襲いかかった。


赤い砂が空気を削り、

霧のような鉄粉が肌を刺し、

視界は 50cm もない。


エロンは外殻フレームにしがみつきながら叫んだ。


「サシャ、内側のパネルを押さえろ!

 子供たちは隔壁に! 走れ!」


「エロン、ダメよ! あなたの体じゃ——!」


「いま倒れたら、誰も助からんだろ!!」


胸の焼け跡が脈打つ。

まるで心臓とは別に“第二の鼓動”があった。


——Root Key の残響。


嵐の圧力が外殻をきしませ、

膜のようなシェルがゆがむ。


エロンは工具を叩きつけるように操り、

補強構造を最低限の形に閉じた。


《外殻支柱:仮固定》


《圧力差:安定へ移行》


サシャが涙声で叫ぶ。


「エロン……戻ってきて! 閉じるよ!!」


「まだだ。もう一箇所……残ってる。」


「もう無理よ!!!」


「——俺の“無理”は、地球の役人に決めさせない。」


彼は最後の支柱へ手を伸ばした。


その瞬間、胸の奥で光が弾けたような痛みが走る。


視界が白く染まる。


(くっ……やっぱり……近いのか。)


倒れかけた瞬間、

誰かの細い手が腕を掴んだ。


ナディアだ。


「エロン! だめ! 行かないで!」


「……引っ張るな。お前まで落ちるぞ……!」


子どもの瞳は濡れて、必死だった。


「死んじゃいやだよ……火星に来てから、

 “お父さんみたい”になってたのに……!」


エロンはわずかに笑った。


「俺は、そんな柄じゃない。」


だが次の瞬間、

土砂のような圧力が外殻を直撃した。


外殻の一部がもげ、

赤い砂が吹き出す。


サシャの叫びが響いた。


「エロン!!!」


エロンはナディアを抱きとめ、

手動レバーを叩きつけた。


《外殻:強制閉鎖》


分厚い鋼の膜が滑り込み、

嵐は一瞬で遮断された。


静寂が残った。


エロンはその場で崩れ落ちた。


(……まだ、生きてる。)


それだけだった。


◆ 2. 地球 — Pale Net の異常波


同時刻、地球・連邦総局 Aegis-Lattice 主制御室。


巨大なホログラムが揺れ、

オペレーターたちは青ざめていた。


「……おい、また火星側から不可解な揺らぎ!」


「ノイズじゃない。正規の心拍パターンだ。」


「心拍……? 誰のだ?」


「特定不能。Pale Net が“追跡不能”を返してる。」


上層の責任者が低く言った。


「……そんなはずがない。

 Pale Net は“生体LIDと行動予測アルゴリズム”で

 火星住民全員を監視しているんだぞ。」


しかし、別のオペレーターが震える声で言った。


「……まるで“二つ目の心臓”があるように……

 Pale Net が、座標を見失って……」


全員の動きが止まった。


(第二の……心臓?)


中央AI《Pale Net》が異常を返すのは、

過去十年で一度だけだった。


——2060年、エロン・マヴロスが逃亡した夜。


司令官が吼えた。


「全衛星、火星に向けろ!

 生命パターンの照合を強制だ!!」


だが、その命令すら遅すぎた。


Pale Net の全スクリーンが、

突然、蒼白に染まった。


《ERROR 418:PATTERN COLLISION》


《残響テーブルの同期に失敗しました》


《ECHO SOURCE:識別不能》


「……パターンの衝突? 何が起きた?」


「AI が……“二つの主人”を検出しています。」


司令室が凍りつく。


Pale Net は“主人(Master)”を一人しか持たない。

だが今——

ネットワーク全域が“二人のマスター”を検知していた。


ひとりは、火星の赤い嵐の中。


もうひとりは——

記録上存在しない、“どこかの時代にいる”。


Pale Net の声は震えていた。


《MASTER SIGNAL:ERROR / SYNC LOST》


《残響源……追跡不能……》


「エロン・マヴロスは……死んでいない!」


「違う!

 ……『エロン以外に鍵のパターンを持つ者』が存在するんだ!!」


司令部は総崩れとなった。


◆ 3. 火星 — 「蒼白の反撃」


外殻の修復から三時間後。


火星のコロニーで、

サシャとエンジニアたちは奇妙な現象に気づいた。


「ねえ……なにこれ……?」


「地球の監視……弱くなってる?」


「違う。“蒼白く”なっている。」


Pale Net から届く

行動予測データの濃度が急激に落ちていた。


「おかしい……精度が……半分以下……?」


「こっちの酸素消費の変動も読めてない……!」


「地球が、私たちの行動を“予測できていない”?」


エロンは無言でモニターを見つめた。


胸の焼け跡が、脈動していた。


《残響同期:拡大》


《対象:不明》


《テーブル再構築中……》


(……誰だ?

 俺と“同じ鍵”を持つ存在って……)


胸の痛みが鋭くなる。


——“鍵の残響”は、生き物だ。

主を求め、記憶を喰い、同調する。


それが今、

火星でも地球でもない“どこか”へ

伸びている。


サシャが小さくつぶやいた。


「エロン……

 もしかして……あなたの鍵、

 もうひとつの“未来”に行ってない?」


エロンは答えず、

ただ深く息を吐いた。


「どうでもいい。問題は一つだけだ。」


「何?」


エロンは静かに言った。


「……地球が“見えなくなった”今だけ、

 俺たちは火星で自由に動ける。」


「つまり……」


「反撃の時だ。」


赤い嵐が止んでいく。


火星の空は、静かに青く変わり始めた。


◆ 4. 地球 — Pale Net 崩壊の瞬間


連邦総局 TFD・中央AIコア室。


Pale Net の巨大な心臓部は、

蒼白い光を放ち、震えていた。


技術官が叫ぶ。


「AI の“自己複製”が暴走している!!」


「パターン照合が崩れてる!

 “未来のデータ”が混入してるんだ!!」


「未来……? そんなバカな!!」


だが、Pale Net は確実に壊れていた。


エラーが連鎖し、

AI の論理は完全に破断していく。


《PATTERN CONFLICT》


《GHOST SIGNAL DETECTED》


《MASTER-ID ×2》


《……再構築不能……》


《58%…… 72%…… 91%……》


そして——


全てのライトが“蒼白”に染まった。


《PALE NET — SYSTEM HALT》


沈黙。


灰のような静けさ。


司令官が呟く。


「……止まった……?

 誰が……止めた?」


答えは、どこにもなかった。


だが唯一残ったログには、

こう記されていた。


《ECHO-SOURCE:YAMABIKO》


「……誰だ、それは……?」


◆ 5. 火星 — 誰も知らない“第二の心臓”


コロニーの観測塔。


エロンは夜空の中に立ち、

静かに胸の痛みを押さえていた。


焦げついた鍵の痕が微かに光る。


(お前は……どこへ行った?

 俺の鍵の“残響”……)


冷たい火星の風が吹く。


すると突然、

胸の奥で残響が同期した。


まるで“別の誰か”と心拍が重なるように。


ザクンッ……と脳に直接響く感覚。


《Echo-Link:一時同期》


《相手:識別不能(No-Record / No-Age / No-Exist)》


エロンは眉をひそめた。


「……おい。誰だ。

 お前、どこにいる……?」


残響は答えなかった。


だが確かに、

“向こう側”から誰かが呼んでいた。


火星の空に、星がひとつ瞬いた。


その星の名は——地球。


そして、

地球ではまだ誰も知らない。


十年後、2068年。


その呼び声に応えてしまう少年が出現することを。


名は——


北川修治(きたがわ・しゅうじ)。


決算を見ながら眠り、

STOP LOSS の夢を見た法律学生。


彼こそが、

鍵の残響が“選んだ”第二の主となる。

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