第7話:蒼白の監視網

——同時刻 地球側の反応:蒼白の監視網(Pale Net)


 ◆


 TFD 連邦総局・戦略監視フロア。



 巨大なホロスクリーンが、地球を輪切りにしたような映像を映し出していた。


 赤道軌道には、光の格子――《Aegis-Lattice》が展開されている。


「……Helios のシグネチャ、ロスト。」


「レーザー照射ログ、確認。目標生体値は――一度ゼロ近傍まで低下。」


「だが、死ななかった。」


 淡々と報告する声の向こうで、誰かが舌打ちした。


「マヴロスの生体チップ、破壊には成功したのか?」


 OTO 情報局・特別顧問、オルソンがタブレットを叩きながら答える。



「“完全破壊”とは言い難いですね。」


「どういう意味だ。」



「……鍵が“死んでいない”。ただ、“居場所を失った”だけです。」


 ◆


 スクリーンが切り替わる。


 Aether の深層ノード。


 Omni の旧型クラスタ。


 Nexus Fabric のログ。


 Parthos に残った Pipeline の影。


 そして月面文庫 LL の冷却層。


 すべての画面に、同じログが一瞬だけ走っていた。



 《Root Key:Backup Request》


 《Source:UNKNOWN》


 《権限:連邦級》



「……連邦レベルの鍵バックアップ要求が、“同時に”世界中へばら撒かれた?」



 ベテラン解析官が顔色を変える。


「すでに遮断済みだ。バックアップは生成されていない。」


「理論上は、ですが。」


 オルソンは肩をすくめた。


「レーザー照射のタイミングが悪かった。

 量子状態が揺さぶられた瞬間に、バックアップ要求が走っている。

 マスターコピーは失われたが、“残響”だけが各所に焼き付いた可能性がある。」


「残響……?」


「そう呼ぶしかないでしょう。」


 ◆


 一方、別の会議室。


 TFD の高官たちが、Helios の逃走軌道を眺めていた。


「火星に向かっている。迎撃は?」


「現行の地球軌道戦力では、火星圏まで追えません。

 月面レールガンも、木星スイングバイも――コストが高すぎる。」


「コストの話をしているのではない。秩序の話をしているんだ。」



 主席に座る老練な官僚が、冷たく言い放つ。



「マヴロスは、“核融合電網への反抗”の象徴だ。

 あの放送を許したままでは、連邦の正当性が揺らぐ。」


 別の男が、静かに手を挙げた。


「Orion 派は、火星への継続攻撃を提案します。」


 スクリーンに、新たな計画名が表示される。


 《Project ORION:火星文明の“早期除去”》


「レーザー出力を増強し、Pale Net を拡張、

 Helios と基地のライフラインをすべて“見える化”したうえで、

 酸素プラントと水循環システムを順番に潰す。」 


 会議室が静まり返る。 


「……住民ごと、か?」 


「“住民”ではなく、“逸脱した資産”です。」


 その言葉に、わずかなざわめきが起きる。


「待ちなさい。」


 反対側の席で、白髪の女性官僚が口を開いた。


「Delphi 派としては反対します。

 マヴロスを殉教者にするのは愚策だ。

 連邦は“黙って見ている”方が強い。」


「監視だけで十分、と?」


「ええ。」


「“火星は失敗する”――その証拠を集めればいい。

 彼らが自壊するのを待つ。それを地球に見せれば、秩序は保てる。」


 Orion 派の男が鼻で笑った。


「理想論だ。彼らは失敗しない。あの男を見ただろう。」


「だからこそ、です。」


 Delphi 派の女は、スクリーンに映る火星軌道を指さした。



「攻撃して失敗したら、“弱さ”が露呈する。

 監視しているだけなら、“全能”のふりができる。」


 主席が目を閉じる。


 「……Pale Net を最大展開。」


 短い沈黙ののち、命令が下された。


「攻撃は一時凍結。火星は“監視対象”とする。」


 


 ◆


 OTO 地下フロア。



 オルソンは、誰もいない部屋で一人、モニターを見つめていた。



 ログウィンドウには、たった一行だけ残像が揺れている。



 《Root Key Echo:10 / 状態:観測不能》


「……君はどこへ行った?」



 彼は、画面に映る波形に指先を重ねる。


「マヴロス、お前は鍵を失った。

 だが、“鍵の幽霊”はまだここにいる。」



 部屋の照明が少し落ちた。


「この残響が、いつか“誰か”を呼ぶ。」


 彼は、誰にともなく呟いた。


「そのとき、連邦の計算は全部やり直しだ。」


 


 ◆


 

 Omni 本社・リスク解析室。


 

 スクリーンには、AI が自動生成したレポートが並んでいる。



 《マヴロス逃亡の地政学的影響》

 《火星開発の期待収益率》

 《Pale Net 配備コスト vs 秩序維持効果》



 若いアナリストが眉をひそめた。



「……全部、“無視できる”って出てるんですが。」



 上司が薄く笑う。



「AI は、過去データからしか未来を作れない。

 火星文明なんて、まだ一サンプル分の重みもない。」



「じゃあ、本当に“無視していい”と?」



「いいさ。」


「少なくとも、今のうちは。」 


 アナリストはうなずきかけ――ふと、レポートの隅の小さな注釈に気づいた。


 《注意:

  火星文明は、現行モデルでは“外れ値扱い”となる。

  外れ値の無視は、重大な予測失敗につながる可能性あり。》


「……外れ値、ね。」


 彼はモニターを閉じた。


「いちばん危ないのは、いつも“外れ値”だ。」


 ◆


 そして、どこか遠い場所で。


 Helios の後方でちりぢりになった十の残響が、

 静かに軌道を漂っていた。


 Aether のデータレイクの底で。

 Omni のバックアップサーバーの片隅で。

 Parthos の古いログの中で。

 月面文庫の冷凍層で。


 誰もまだ、その意味を知らない。

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