第6話:星線深海発射場


 ——2060年 鍵が砕けた夜


 ◆


 2060年、《関鍵基礎設施法案》が発効した。


 Heptad は、その所有する核融合炉を TFD 直轄の「連邦電網」に接続することが義務づけられ、

 民間のエネルギー企業は、一夜にして存在意義を失った。


 Vanguard のエネルギー部門は国有化。

 FSD 航行網と Optimus 群体も、強制的に TFD の中枢 AI《ヨルムンガンド》へ併合された。


 記者会見で、エロン・マヴロスはただ一言だけ言った。


「もし君たちが、俺に“世界を作り直す自由”を与えないのなら――

 俺は、別の世界を作る。」


 拍手も、罵声も、制裁の脅しも、

 彼の背中を止めることはなかった。


 ◆


 ——地球低軌道は、もはや“自由圏”などではなかった。


 TFD(連邦総局)が掌握する監視網Aegis-Latticeが、

 赤道を中心に巨大な光の檻を形成し、

 あらゆる軌道を測り、分類し、抹殺する。


 その網を破った民間人は、

 過去二十年間で、たった一人。


 エロン・マヴロス。


 そして今日が、二度目だった。


 ◆


深海 7400m・星線深海発射場


 誰も知らない。

 Vanguard が十年かけて、海底に「空への出口」を掘っていたことを。


 水深 7400 メートル。

 太陽光もレーダーも届かない、深海の闇。


 そこに沈んでいるのは、巨大な円筒構造体だった。


 《Netlink-Submarine Launch》――星線深海発射場。


 外殻は多層装甲。

 内側には千メートル級の超伝導レール。

 海底から海面まで、一気に艦体を射出するためだけの「井戸」。


 その最下段で、白い艦影が静かに待機していた。


 火星往還船Vanguard-Helios

最新鋭の「海中発射型」変形推進艦。

 核分裂推進(NTR)。


 正規の飛行計画には、一度も載ったことのない「幽霊船」。

 実際には、エロンが「その日のためだけ」に隠していた切り札。


「……エロン、本当にやるのね。」


 コントロールルームのモニター越しに、サシャの声が響く。


「“やるか?”

じゃない。“もうやるしかない”んだ。」


 エロン・マヴロスは、暗いコクピットで

 ヘルメットのバイザーを下ろし、胸元のハーネスを締め直した。


 胸骨の奥には、TFD から与えられた生体認証チップが埋まっている。

 本来なら、彼だけが“十点 Root Key”を扱える証だった。


(……だが、これは鎖でもある。

 連邦は、この鍵を餌に、俺を飼いならそうとした。)


(だったら――鎖ごと、ぶっ壊すだけだ。)


 ◆


「誰一人予測していない発射」


《Netlink-Submarine Launch:起動準備完了》


 深海の井戸の内壁に、淡い光が走った。

 超伝導レールが覚醒し、電磁の唸りが水圧を震わせる。


「海洋監視衛星、全て正常。

“何も見てない”わ。」


「港湾レーダー、静穏。

 Aegis-Lattice も、今のところ反応なし。」

 サシャが報告する。


「当然だ。誰も“海の底から宇宙へ行くバカ”なんて想定してない。」


 エロンは苦笑し、操縦桿に手を添える。


「——Helios、発射シーケンスに入る。」


《深海隔壁:ロック》

《内圧:目標値》

《浮力補償:完了》


 ヘルメット越しに、深海の闇が微かに揺れた。


「サシャ。」


「なに?」


「“ここ”を見られたら終わりだ。

 だから——一回で決める。」


「……了解。エンジニアたちは?」


「すでに分割移送中だ。

 軌道シャトルで、火星への迂回ルートを取っている。」


「あとは、あなたが抜け出すだけってわけね。」


「そういうことだ。」


 短い沈黙。


「——エロン、戻って来なさいよ。」


「戻る場所が残っていればな。」


 ◆


海が割れる


《Submarine Launch:点火カウント開始》

 10… 9… 8…


 深海 7400m の水が、僅かに震えた。

 海底に溜まった沈殿物が舞い上がり、

 黒い砂が雪のように Helios の外殻を流れていく。


 3… 2… 1…


《点火》


 ——音は、無かった。


 代わりに、世界が「押し出された」。


 超伝導レールが Helios を撃ち出し、

 白い艦体が水中を一直線に駆け上がる。


 水圧が歪み、

 海流がねじれ、

 深海魚たちが四散する。


 Helios は、

 海底 7400 → 5000 → 2000 → 300m


 そして——


 ——海面を突き破った。


 炸裂する水柱。

 海霧を切り裂く白い軌跡。

 水平線の向こうへ、光の槍が伸びていく。


 世界中の監視網が、「何か」を捕捉した。


「……なに、今のは……?」

「海からロケット……? 

そんな発射形態、あり得ない……!」

「軌道予測が追いつかない!」


 Aegis-Lattice のアルゴリズムが悲鳴を上げる。


 ◆


TFD の逆襲:追いかけてくる“光の犬”


《高度:28,000m》

《速度:マッハ 4.7》

《Fission Drive:安定》


「——Helios、上昇順調。ここまでは、完璧。」


「“ここまでは”な。」


 エロンはバイザー越しに、

 縮んでいく海と、膨らんでいく地平線を見下ろす。


 その瞬間、警告音が鳴り響いた。


《警告:Aegis-Lattice 反応》

《軌道上に TFD 戦術衛星 6 機を確認》

《識別名:オービタル・ハウンド級(OH-Φ)》

《進行ルート:Helios 迎撃コース》


「……犬を放ったか。」


「エロン! 避難軌道に切り替えればまだ——」


「そんなものは、最初から“存在しない”。」


 彼は淡々と答える。


(低軌道はもう自由じゃない。

 “選べる道”なんて最初から無いんだ。)


 ◆


《Netlink-V:深層帯域への接続——試行》


「エロン、何してるの? 今それどころじゃ——」


「“今だからこそ”やるんだよ。」


 彼は胸元のコンソールを叩く。


《深層帯域接続……成功》

《OTO妨害波を回避》

《全域ブロードキャスト:可能》

《緊急広域配信:ONLINE》

《送信方向:地球全域/ 残りの使用可能なNetlink衛星 4312 基》

《映像:LIVE》


「サシャ、開け。全部だ。」


「全部って……地球全域よ!?

 連邦に位置がバレる……!」


「とっくにバレてる。だから撃ってきてる。」


「じゃあ何のために——」


「“世界に見せるためだ。”」


 その瞬間、

 全世界のディスプレイに Helios のコックピット映像が映し出される。


 背後では、地球の青が揺れていた。


『——聞こえるか。まだ自分を“人間”だと思っている世界へ。』


 エロン・マヴロスの声が、

 Starlink を通じて全域へ流れる。


『自由は、連邦の電網に接続された瞬間に死ぬ。

 生命維持も金融も娯楽も、すべて同じケーブルに繋いだ文明は、

 ケーブルを抜かれたら、一瞬で終わる。』


 各国政府のオペレーターが叫ぶ。


「ブロードキャスト遮断! 誰が許可を——」

「帯域が分からない! 深層層から回り込まれてる!」


『核融合が TFD 一社に独占された時点で、

 人間の寿命は“請求書の一項目”に変わった。』


『核融合の独占は、人類を殺す。

 これは警告じゃない、“予測済みの決算書”だ。』


 彼の目は、どこか静かだった。


 ◆


《警告:高出力レーザー照射》

《照射元: Nasa OH-Φ 衛星 3 基》

《推定目標:Helios 機首&胴体中央》


「来るぞ、サシャ。目、閉じるなよ。」


「バカ言わないで!!」


 次の瞬間——

 コックピットの外側が真白に染まった。


 それは爆発ではない。

 光そのものが、装甲を貫いた。


 胸の内側で、

 何かが「焼き切れる」感覚。


《生体認証チップ:重大損傷》

《Root Key:生体リンク喪失》

《持ち主ステータス:死亡予備判定》


「……っ、くそ……!」


 呼吸が乱れ、視界が揺れる。

 だが、彼はまだ生きていた。


(やっぱり……連邦は、“鍵”を狙ってきたか。)


 ◆


 密かに埋め込まれていた「安全機構」が作動する。


《Root Key セーフティ:起動》

《グローバル・バックアップ要求》


 その信号は、TFD の意図を超えて広がった。


 Aether の最深部。

 Omni の古い検索クラスタ。

 Parthos に残されたログサーバー。

 Nexus の Fabric ノード群。

 月面文庫 LL の冷凍層。


 世界中の「鍵を扱えるはずだった場所」に、

 “死にかけた鍵のコピー要求” が飛んでいく。


 本来なら、

 ここでひとつの「マスターコピー」が保存されるはずだった。


 だが――


 Helios は核分裂推進で異常加速中


 Aegis-Lattice の干渉波が軌道を乱し


 サーバー間の同期はズタズタに裂かれ


 レーザーの熱がチップの量子状態を“揺さぶった”


 結果、Root Key は一つに収束できず、

 十個の“量子残響”として世界中に散った。


 物理チップは、エロンの胸で黒く焦げた。


 だが、その最後の状態は、

 「十の断片」という形で、ネットの底に焼き付いた。


 この瞬間を、後の歴史家はこう呼ぶ。


《Mavros Key Fragmentation(マヴロス鍵断片事件)》



 ◆


 火星へ


《高度:91,000m》

《大気圏外遷移——完了》

《Fission Drive:第2段階》


「エロン!! 生体値が——」


「生きてる。まだログアウトしてない。」


 荒い息の合間に、エロンは笑った。


「サシャ、工程通りに進めろ。

 地表の発射場はもう全部やられた。

 残るのは——火星と、お前たちだけだ。」


「あなたは? 一緒に来れば……」


「俺には、もう少しだけやることがある。」


「何よ、それ。」


「“自由”の証拠を、どこかに残さないといけない。」


 Helios の窓の外で、

 青い惑星がゆっくりと縮んでいく。


 火星軌道上では、

 すでに Vanguard の分割移送艇が待っていた。


 子どもたち。

 エンジニアたち。

 まだ世界を信じている若い目。


(――少なくとも、お前たちの寿命だけは、

 契約書じゃなく、“心拍”で決まる世界に連れて行く。)


 Helios は姿勢を変え、

 赤い星へ向けて、静かに針路を取った。


 胸の奥では、焦げたチップがまだ痛む。


 十の鍵は、もう彼のものではない。

 だが、彼の選択だけは、まだ彼自身のものだった。

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