第2話: 2030 狂人の種子

2030年。


まだ世界が「未来」という言葉を、かろうじて信じていた頃。

——パンデミック以前とはまるで別世界になっていても。

政治は軋み、経済は揺らぎ、混乱と先端AIが同じ街角で火花を散らしていた。


人々はそれでも、どこかで「明日」という概念を手放しきれずにいた。

崩れていく秩序の向こう側に、まだ細い光が続いていると信じたかったからだ。


 カリフォルニアの海沿いにある古い工場跡。

 昼はただの廃墟だが、夜になると光が灯る。

 そこに集まるのは、大学を追われかけた学生、

 会社に馴染めなかったエンジニア、

 そして——世の中のテンポに適応し損ねた、速度の違う若者たち。


さらにその中心には、どこにも居場所を見つけられなかったが、

世界を変えうる“天才”と呼ばれるべき無数のエンジニアたちがいた。


彼らは給料も肩書きもなかったが、

夜になればノートPCと半壊したサーバーを抱えて集まり、

錆びた工場の床でアイデアを殴り合った。

火花を散らすのは機械ではなく、彼ら自身だった。


 中心にいたのは、一人の男だった。


 エロン・マヴロス。

 当時 40 歳。

——NIcloas と SpaceC を率いるエロン・マヴロスという存在がいたからだ。


モニターの明かりに照らされた横顔は、

 まるで誰かが「未来だけ」を見て作った彫刻のようだった。


「——また爆発したぞ!!」


 夜空を裂くような叫びが工場中に響く。

 白煙が機材の間から吹き出し、天井に届くほど立ち昇る。


「落ち着け、落ち着け!」

「冷却剤ッ!! どこいった!!」


 悲鳴と怒号が飛び交う中、

 本人はというと、火花の散る試験装置の前に立ち尽くしていた。


 そして——笑った。


「失敗じゃない。進歩だ。」


 周囲の若者たちが絶句する。


「いやいやいやいや!どこがだよ!!」

「3日で6回爆発してんだけど!?」

「設備費、もう底ついてるんだが!?」


 エロンは煙の中から平然と歩み出て、

 白衣を脱ぎ捨てた。


「壊れるってことは、

 “次の形をまだ見つけていない”って証拠だ。」


「……は?」


「だから壊していいんだよ。

 見つけるまで壊せばいい。」


 それは、後に世界中で引用される言葉だ。

 だが当時の仲間たちは、頭を抱えるしかなかった。


「この人、ほんとに天才なのか……?」

「いや、天才っていうより……危険人物では?」

「でも……なんか、惹かれるんだよな……」


 そんな空気を、一番理解していなかったのは当の本人だ。


「よし、今日の爆発は“前回より良い爆発”だ。

 データ取り終わったら、次のバージョン作るぞ。」


「え……今から?」

「徹夜コース……また?」


「当たり前だろ。

 未来は勝手に来ない。」


 彼は道具箱を掴み、床の上に散らばる破片を踏み越えながら言った。


「——だから俺が作る。」


◇◇


 その頃、誰も知らなかった。

 エロンが抱えていた“もうひとつの夢”を。


 深夜 2 時。

 誰もいない廃墟の屋上。

 風が海から吹きつける。


 彼は一人、星空を見上げていた。


「……遠いな。」


 懐から取り出したのは、

 手書きの古びたノート。


 ページの端には、赤い円が描かれている。


——Mars Mission:

 初期移民:2038〜

 自給自足基地:2046〜

 恒久居住圏:2055〜


「人類は、地球という一枚のディスクに依存しすぎた。

 ——バックアップが必要だ。」


 夜風に消されるほど小さな声で呟く。


 誰にも言わない。

 言えば笑われるからだ。

 まだ人類が火星基地の“影”すら見ていない時代。


 だが彼の目には、

 もう火星の地平線が映っていた。


「地球にすべてを預けるのは危険だ。

 文明は——分散させるべきなんだ。」


 それは、当時の世界にとって理解不能な思想だった。


 しかし。

 この瞬間、Accelerator(加速者)は誕生した。


◇◇


 次の日、廃工場は再びうるさくなる。


「おい、誰かエロン止めろ!!」

「もう設計6回変えたぞ!?」

「寝てくれ頼む!!」


 彼は工具片手に笑っていた。


「睡眠は弱者の娯楽だ!」

「俺らの人生、今は“実験段階”なんだよ!」


「……やっぱ狂人だなこの人。」


 だが不思議なことに——

 その狂人の背中には、

 人を惹きつける“引力”があった。


 破片の山の奥で、ひとりの若者が囁く。


「……俺、こいつについて行ってみるわ。」


「は!?なんでだよ?」


「未来が……この人の後ろにある気がする。」


 それは直感だった。

 だが的中する。


 十年後、世界はこの狂人の速度に追いつけず、

 逆に彼を“危険視する側”へ回ることになる。


 そのきっかけが生まれたのも、

 2030年代の、この小さな爆発からだった。


◇◇


 夜。

 誰もいなくなった廃工場で、

 エロンだけがまだ電源を切らずにいた。


 青い火花がちらりと光る。

 スクリーンに火星の地形図が映し出される。


「……間に合うかな。」


 彼は指先で赤いサンプル点を触れ、

 ひとつだけポツンと書き込む。


——Colony A(初期有人基地候補)


「間に合わなくても、作るだけだ。」


 その言葉は、

 火星の赤い夜明けへと一直線に伸びていく。


 これが後に、Vanguard の最初の種子となる。

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