2062年、Parthos社の最後の日

 2062年11月18日

 午前 0 時 03 分。


 シアトルの深夜は、海底に沈んだ大鐘のように静まり返っていた。

 街灯の光も薄く、風だけが冷たい鉄骨を撫でていく。


 ミラ と ハーランドは、巨大な影の前で立ち止まった。


 Parthos——

「面白ければ何でも作る」ことで知られた、伝説的な技術工房。


 世界を席巻した配信基盤Electric

“常識破壊系”と呼ばれた名作ゲーム群。


 VR装置Frame-EX

 手のひらサイズの携帯機Electric Deck

 用途不明の球体コントローラ。

 熱暴走寸前の自作GPU。

 さらに、あらゆるハードウェアや異なるアーキテクチャで動くElectricOSまで制作しました。


 誰も頼んでいないのに生まれた奇怪なプロトタイプの山。


 金も、期限も、上司も存在しない。

 あるのは「作りたいから作る」という衝動だけ。


 かつて、世界で最も自由で危険な“遊び場”。


 だが今、その天才たちの巣は——

 ひどく静かだった。


 ミラは胸の奥がざわつくのを感じた。


「……今日、本当に電力が切られるんですか」

 背後から、ゆっくりと老エンジニアが近づいてくる。


 ハリス。

Parthos の歴史そのものの男。

四十年以上、狂気と理性が交錯するこの工房で過ごしてきた。


「来るべくして来た日さ。」

 彼は保温カップを傾けた。

「政府は“制御不能な民間ネットワーク”を嫌う。Electric はその象徴だ。」


 ミラは唇を噛んだ。


 世界中の人が遊び、学び、出会い、作品を作り、言葉を交わした Electric。

 自分にとって家のような場所。


 それが危険?

 それが脅威?


「……笑えない冗談ですね。」


「だが現実だ。」

 ハリスは肩をすくめた。


「ガブリエルがここにいたら、きっと同じことを言うだろうな。」


 ガブリエル ——

 Parthos の創設者にして、Electric の“父”。


 その名を聞くだけで胸が痛む。


 彼はもういない。


 そして今日は、彼が守ってきたものが殺される日。



 ◇◇


 ◆ Parthos ブラックアウト


 午前 1 時 49 分。


 Grid Supply: 23% → 15%


 制御室の照明が、まるで寿命が尽きるように弱まった。


「ハリス……!」


「来るぞ。」


 ——次の瞬間。


 全ての灯りが落ちた。


 冷却ファンの音が途切れ、世界が無音になる。

 数千のサーバーの鼓動が、同時に止まった。

 Parthos は中央電力網から強制的に切り離された。


 暗闇が Parthos を飲み込んだ。


 ミラはライトをつける。

 見慣れた黒いサーバー群が、巨大な墓標のように佇んでいる。


「……終わり、ですか?」


「終わりだ。」

 ハリスの声は静かだった。

「TFD と各国政府は、これで Electric が死ぬと信じてる。」


「でも……Electric は……」


 その時だった。


 ——コツン。


 制御卓のスピーカーが微かに鳴った。


 暗闇の中で、一つのファイルが浮かび上がる。


〈GABERIAL_FINAL_03.wav〉


 ハリスの顔色が変わった。

 ミラの呼吸が止まる。


「……ガブリエル ……?」


 ハリスも目を見開いた。


「死ぬ前に、これを残していったのか……」


 ミラは震える指で再生ボタンを押した。


 ——


 ◆ ガブリエルの最後の声


 ——ザ……ッ。


 ノイズの奥から、彼の声が溢れてくる。


「よぉ、生きてるか?」


 ミラは両手を口元に当てた。


 ガブリエル の声。

 少し苦しそうで、それでもユーモラスで、温かい。


「Electric が死んだ?

 いやいや、Half-Gate 3 を出すより簡単な話だ。」


 ハリスが思わず吹き出す。


「さて……どうやら政府が電源ケーブルをぶっこ抜いたらしい。

 まあ、そろそろだと思ってたよ。」


「だから、このタイミングで仕込んでおいた最後の二つを渡す。」


 画面上で二つのファイルが点滅する。


〈DISSOLVE_ORDER.pkg〉

 — Parthos の法人解散命令


〈PARTHOS_SOURCE_TREE.tar〉

 — Electric を含む全基盤コードの“完全開源”


 彼は軽く咳をした。


 ミラ「……会社を……自分で解散……?」


 ハリス は拳を握りしめる。


 ガブリエルの声は弱々しいが、いつものようにどこか愉快そうだった。


「これは遺言じゃない。

 最終パッチノートだ。」


 ミラの目頭が熱くなる。


「Parthos はもう、政府に奪われるには大きくなりすぎた。

 だったら、“会社”という形を捨てる方が早い。」


「誰にも所有されず、

 誰にも止められず、

 世界中の人間が好きに再構築できるように。」


「Electric は会社じゃない。

 サーバーでもない。

 まして政府のものでもない。」


「Electric は“人間”なんだ。」


 一瞬だけ沈黙があった。

 それから、彼は小さく息を吸った。


「だから、ちょっと細工しておいた。」


 ハリス:「……まさか」


「そう。ALAYA モードだ。」


「中央が死んだら、周辺が立ち上がる。

 世界中のPCを束ねて、一つの巨大な心臓にする。」


「政府は理解しない。

 “自由”を止める方法なんて。」


 最後の声は、どこか優しかった。


「会社は死んでいい。

 でも“文化”は殺させるな。」


「ミラ、ハリス……

 君たちはよくやった。

 あとは——プレイヤーに任せろ。」


 録音は静かに終わった。

 暗闇の中で、

 解散指令 と 全ソース開放ファイル が無言で点滅していた。



 ◇◇


 ◆ ALAYA 起動


 午前 1 時 50 分。


 Parthos の電源は落ちている。

 だが、ミラのノートPCが突然、独自電力モードで起動した。


[ALAYA MODE — OFFLINE TRIGGER CONFIRMED]

[BOOT SEQUENCE UNLOCKED BY: GABERIAL]



 ハリス

「…… ガブリエル……強制断電後に起動するようにトリガを埋めてたのか……」


 ミラ

「これ……“停電しないと動かない”プログラム……?」


 画面に世界中からノード登録が流れ込む。


〈Node Registered: 1〉

〈2〉

〈14〉

〈102〉

〈10,244〉

〈758,120〉

〈2,103,991〉

〈60,320,482〉

〈348,299,319〉……


 画面が数字で爆発する。


「これ……全部、Electric のプレイヤーが?」


「そうだ。」

 ハリスは震えた声で言った。

「ガブリエル が信じた“心”が動き出したんだ。」


「Parthos が死んだ瞬間に……Electric が生まれ変わったんですね……」

 ハリスは呟いた。


 ◇◇


 世界のプレイヤーたち(Electric 現象)


 ◆ パリ:レオン(Electric Deck 配信者)


「ちょ、待て……俺のPC……“Primary Node”って出てんだけど!」


 チャット:

「ALAYAって何???」

「メンテじゃないぞコレ!」

「サーバー死んでんのにDL速度20倍は草ww」


 震える指でカメラをモニターへ向ける。


「……え?ちょ、待って……

 俺のPC、主節点(Primary Node)って出てるんだけど!?」


 ——


 ◆ ソウル:ミンソ(寮の学生)


「え、ちょ、ちょっと!?

 Team Fight まだ終わってないってば!」


 Steam 停止の瞬間、全員「DDoSだろ」で一致。

 ……だが ALAYA 起動後、逆にゲームが 軽くなる。


 Ping:68ms → 21ms。


 友人の絶叫が Discord から響く。


「お前ん家、主節点になってんぞ!!」

「CPU85%って何だよ!?蒸発すんの!?」

「韓国がアジアの Steam 支えてて草」


 ——


 ◆ 台北:チアキ(大学生)



 青いインターフェースが脈打つ。


[Node Registered: #392,044]

[Role: Secondary Relay (Taipei Region)]


「……ってことはさ……

 このオンボロPCが……世界のサーバーの一部?」


 後ろから妹が顔をのぞかせる。


「姉、パソコン……それウイルスじゃない?」


 ——


 ◆ 〈アイスランド・風口の Olaf〉


 氷風がうなり、風車が空を切る。


 平板端末が突然ポップアップを表示。


[ALAYA GLOBAL NODE: CONNECTED]


「……政府がシステム封じる?笑わせるな。」


 データを眺め、鼻で笑う。


「我々の気象モデルより賢いじゃないか。」


 ——


 ◆ 子午線共和国(ミッドライン・リパブリック(MR))・Reddit(災害本部)


 r/ParthosSubreddit が 30秒で沈黙 → 地獄の花火大会。


「え?Electric死んだ?」

「待て、なんか速くなってんだけど」

「ALAYAって誰だよ」

「ばあちゃんのPCがノード化したって何だよ」


 あるユーザーがエラー画面を貼る。


〈Your device is now part of the Electric Autonomous Network〉

〈Welcome, Node #903,221〉


 コメント欄、完全に崩壊。


「自由世界の最終防衛ライン:ばあちゃんの PC」


「Your frame is a Pc.

 Your deck is a Pc.

 Your phone is a Pc.

 You are a Pc

 Everything can be the Node.」



 ——


 ◆〈深層フォーラム・匿名掲示〉


“政府、Parthosのサーバー全部落としたよな?

 ……なんで生き返ってんだ。”


 返信1:

「Electricは企業じゃない。プレイヤーだ。」


 返信2:

「ALAYA=分散自治。

 法律も軍も、コレには勝てない。」


 返信3:

「デジタル史上初だな。

 プレイヤーが企業を救った瞬間だ。」


 ◇◇


 ◆ 再誕


 Parthos のサーバーは沈黙したまま。

 しかし——


 世界中の PC が、代わりに灯り始めていた。


[Consensus: 12% → 24% → 41% → …51%]


 ——


[ELECTRIC AUTONOMY ACTIVATED]


 ミラは震える声で言った。


「Electric が……復活した……?」


 ハリスは静かに頷いた。


「いや。人間が、復活させたんだ。」


 Electric は——死ななかった。


 二人の間に、長い沈黙が落ちた。


 外からサイレンが響く。

 政府の車両が、データセンターを封鎖しに来たのだ。


 ミラは顔を上げ、涙を拭った。

 初めて、自分が“歴史の中心”に立っていると感じた。


「ハリス……逃げよう。」


「……ああ。サーバーは死んだ。

 任務は、完了だ。」


 老エンジニアは、疲れ切った微笑を浮かべた。


「――残されたのは、“プレイヤーの時代”だ。」


 ミラはノートPCの蓋を静かに閉じた。

 その瞬間、彼女は悟った。


 Electric はサーバーなんかじゃない。

 Electric とは――人と人をつなぐ“連結”そのものだ。


 自分が離れたのは“会社”ではない。

 見送ったのは、“文明”そのものだった。


 背後のスクリーンに、最後の文字が瞬いている。


 画面に最後のメッセージが浮かぶ。


 NO OWNER.

 NO SERVER.

 JUST PLAY.


 二人は振り返り、夜の闇へ歩き出した。

 世界は、まだ夜明け前の暗闇に沈んでいる


 新しい Electric の鼓動だった。

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