第3話:理性と幻影

戦情会議が終わると、ホログラムが一つずつ消えていった。

アーサーは杖を突き、マーカスは罵声を残して去る。

ただ一人、アイリスだけが足を止め、監視室の方を見た。


金属の廊下。冷たい照明が彼女の横顔を鏡のように反射する。

靴音が、カウントダウンのように響いた。


――


端末室。

無数の光の中、修治は黙ってキーボードを叩いていた。

指先が触れるたび、ホログラムの波が走る。


「……また一人で作業?」

背後から、アイリスの声。静かだが、芯がある。


修治は振り返らず答えた。

「プログラムの方が信用できる。少なくとも、嘘はつかない。」


「嘘をつくのは、人間だけじゃないわ。」

「真実を誤入力した時、機械も嘘をつくの。」


修治が小さく笑う。

「だからこそ、人間は信用できない。」


ARグラスを外した。

現れた瞳は、光を吸い込む黒鏡のようだった。


「会議では何も言わなかったわね。」

「疑われて当然さ。だが、彼らを生かす義務がある――それで帳尻は合う。」


「……あなたの量子防火壁、永遠に防げると思ってる?」


「永遠なんてない。人間には“感情”という欠陥がある。TFDはそこを突く。」


「だから、あなたは感情を封じたのね?」


「封印じゃない。ストップロスだ。

人の感情は無限レバレッジの賭け。

理性ある者の勝ち方は――もう賭けないことだ。」


「……それじゃ、負けと同じ。」


「かもな。」

修治は笑った。けれど、その笑みは冷たかった。

「だが少なくとも、幸福で破産はしない。」


サーバーの風が唸りを上げる。

沈黙が、二人の間を冷たく包む。


やがてアイリスが言った。

「あなたもTFDと同じよ。」


修治は目を細めた。

「どういう意味だ?」


「彼らはアルゴリズムで人を支配する。あなたは理性で自分を支配する。

牢獄の場所が違うだけ。」


――答えはなかった。

修治は再びARグラスをかけ、光の海に沈んでいく。


背後で扉が閉まる直前、アイリスの声がかすかに響いた。


「……ストップロスは、終わりじゃないわ。

次のエントリーを待つ時間よ。」


修治はわずかに口角を上げた。

その笑みは、量子の揺らぎのように――一瞬だけ確かに、人間の温度を宿していた。


地底には昼も夜もない。

だが――その警告メッセージがメイン端末に走った瞬間、

修治の世界は確かに「点灯」した。

方舟の心臓部。

無音の機械室に響くのは、サーバーの低い唸りと、

彼の指先が奏でる一定のリズムだけ。


だが――静寂が破られる。


モニターに一行の文字が浮かび上がった。


[PARTHOS WARNING]: External signal detected.

Source: [Invalid_PROTOCOL]

「……は?」

修治の瞳孔が収縮する。

冷たい汗が額を伝うのを、自覚する間もなかった。


条件反射のように指が動く。

カーソルがコマンドラインを疾走し、

複数の防御モジュールが起動、封鎖、再起動を繰り返す。


それでも――信号は消えなかった。


「……あり得ない。」


彼は外部通信の遮断を試みた。

だがすぐに気づく。

その信号は外部からの侵入ではない。


――内核から“呼び覚まされた”ものだった。


まるで誰かが、

存在しないはずの扉を、

彼のシステムの内側から開けたかのように。


その信号には攻撃の兆候はなかった。

だが、確かに「脈動」していた。

まるで、心臓の鼓動のように。


修治はソースを追った。だが返ってきたのは解析不能な波形データ。

ノイズの中で、暗号のような詩が微かに揺れていた。


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