【第8章】白石 瑠香の「非論理的」なアプローチ


あの日、彼が私を「御神体(ごしんたい)」として「神棚(かみだな)」に祀(まつ)り上げることを決めてから、数日が過ぎた。


生徒会室は、驚くほど「平和」だった。 「会長(NR)、この案件、Aプランで進めます!」 「妥当だ。相田(AA)、Bプラン用の予備リソースも確保しておけ」 「はいっ!」


中村 竜司くんと、相田 愛梨亜さん。 二人の「ノーマル」と「ダブルエー」が回す実務は、完璧な連携を見せていた。 私は、というと。


(……今日も、何も、ない)


言われた通り、部屋の隅の「神棚(指定席)」で、意味もなくファイルを開いているだけ。 竜司くんは、私に「論理的な詰め」をすることも、「悪意に満ちた(と、今ならわかる)期待」をすることも、なくなった。


それどころか――


「あ……」 私が、給湯室でお茶を淹(い)れようと立ち上がっただけで、 「――白石さん」 「ひゃいっ!?」 「お茶なら俺が淹れる。あんたは座ってろ」 そう言って、竜司くんが、私の分の湯呑(ゆのみ)まで、無表情に運んでくる。


「……あ、あの……ありがと、ございます」 「……」 彼は、無言でコトリと湯呑を置くと、すぐに実務に戻っていく。


(……) 湯呑が、熱い。 でも、私の心は、急速に冷えていく。


(……優しい) (……すごく、優しい) (……まるで、「SR」っていう、貴重な焼き物(やきもの)でも扱うみたいに)


彼は、もう私を「白石」とは呼ばない。「白石さん」と呼ぶ。 彼は、もう私に「無茶ぶり」をしない。「お茶」を淹れてくれる。


彼は―― (……彼も、私を『天才』として、扱い始めた……!)


ぞっとした。 あの、私だけを「無能(ポンコツ)」だと正しく見抜き、私だけを「普通(以下)」に扱ってくれた(と、今ならわかる)彼は、もういない。 彼も、愛梨亜さんや、他の全校生徒と同じ。 私を「SR」という、理解不能な「バグ」として、丁重(ていちょう)に、距離を置いて、扱うようになってしまった。


(いやだ) (いやだ、いやだ、いやだ)


「SR」なんて、いらない。 「天才」なんて、嘘っぱちだ。 私は、ただの、コミュ障で、ポンコツで、電車で髪が絡まったらパニックになる、ただの「白石 瑠香」なのに。


(……彼に、わかってほしい) (……「SR」なんかじゃない、本当の私を)


でも、どうやって? 「私、ポンコツなんです」と、今さらどうやって言える? 「実務、手伝います」と言っても、「神棚にいろ」と拒絶された。


(……どうしよう) (……彼に、「普通の人」として見てもらうには)


私の「ポンコツ」な脳みそが、必死に回転する。 「天才」の仮面を剥(は)ぐ、唯一の方法。 「論理的」な彼に、私の「非論理(ポンコツ)」を叩きつける、唯一の手段。


(……あれ、しか、ない)


それは、私が唯一できる、最も原始的で、最も「非論理的」なアプローチだった。


***


翌日。 私は、生徒会室のドアの前で、深呼吸を繰り返していた。 カバンの中には、昨夜、私が持てる「非論理(ポンコツ)」のすべてを注ぎ込んだ「ブツ」が入っている。


(大丈夫、大丈夫……これを見れば、さすがの彼も、私を『SR』だなんて思い続けないはず……)


ガラリ、とドアを開ける。 「お、おはようございます……」 「おはようございます、白石さん(SR)! 今日も神々しいですね!」 「……おはよう、白石さん」


愛梨亜さんと、竜司くん。二人の温度差が、私をさらに追い詰める。 (……今、しかない) 愛梨亜さんが、別の資料を取りに席を立った、その隙(すき)だった。


私は、カバンから、ラッピング(と呼ぶのもおぞましい、歪(いびつ)な)袋を取り出し、竜司くんの机に、ドン、と置いた。


「……?」 竜司くんが、怪訝(けげん)な顔で私と、その「ブツ」を交互に見る。


「あ、……あのっ!」 私は、必死に声を絞り出した。 「こ、これ……! 昨日、その……クッキー、焼いた、から……!」 「……クッキー?」


彼は、その袋を、まじまじと見つめている。 (お願い、気づいて……!) (これが「SR」の作るものじゃないって……!)


私が差し出したのは、クッキーと呼ぶにはあまりにも黒い、炭(すみ)の塊だった。


(どうだ……!) (これこそ、私の「ポンコツ」の結晶……!) (「天才」が、こんな「産業廃棄物」を作るはずがない……!)


(さあ、言って! 「なんだこれは、非論理的なゴミだ」って!) (「お前はやはり無能だ」って、前のみたいに、私を詰(なじ)って……!)


私は、期待に満ちた(?)瞳で、彼の反応を待った。 「……」 竜司くんは、その「炭」の塊を、数秒間、凝視(ぎょうし)していた。 彼の論理的な脳が、この「物体X」をどう処理すべきか、フル回転しているのがわかった。


やがて、彼は、顔を上げた。 そして、あの、文化祭の後の、虚(うつ)ろな目で、私にこう言った。


「……そうか」 「え……?」 「……ありがとう、白石さん。……いただく」


(…………は?)


彼は、その「炭」の袋を、まるで貴重な「神託(しんたく)の品」でも受け取るかのように、両手で、丁重(ていちょう)に受け取り、そっと引き出しに仕舞(しま)った。


(……うそ) (……うそでしょ……!?)


(……食べた感想は!?) (……「炭だ」っていうツッコミは!?) (……「お前はバカか」っていう、あの冷たい目は!?)


彼は、何も言わなかった。 ただ、丁重に、受け入れた。 私が差し出した「ポンコツの証(あかし)」を、「SR(神)からの供物(くもつ)」として、処理したのだ。


(……だめだ)


ガクガクと、膝が震える。 (……何をやっても、だめだ……)


私の、渾身(こんしん)の「非論理的(ポンコツ)アプローチ」は、彼の、完璧な「論理的(リスクヘッジ)防御」の前に、完敗した。


私は、その場に崩れ落ちそうになるのを、なんとか堪(こら)えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る