願就に至る三日間、追憶の村で

@morusan_create

起の章

8月某日。

茹だるような暑さで蝉の声も聞こえない都会から、夏季休暇を利用して地元へ戻る。

煩わしい人間関係や仕事から離れてリフレッシュするために。


人が疎らにしか居ないローカル線に乗り、地元に想いを馳せる。


私が出てから8年。おそらく当時と変わらず時が止まったような田舎だろう。

インターネットも開通していないような村。

私はそれが嫌だった。何もできなかった。

娯楽らしい娯楽は川で遊ぶかテレビを見るくらい。

テレビで見た上京というのに憧れて飛び出したのは、当たり前の衝動に感じる。


電車の窓から見える風景は、やはりというか、驚くほど変わっていなかった。

畑と森と小さな川。民家の屋根はあの頃よりも少し黒ずんでいるように見えた。


降り立った駅は無人駅で、改札すらない有様。

好意で停車してくれているだけの、路線図にも載っていない駅。

風鈴の音だけが虚しく響いている。


あの頃と変わらない。

駅の近くにある、村唯一の商店を横目に私は帰路に着く。

行政の手も入っていないようで、舗装されたアスファルトなどない。

その歩き辛さに苛立ちと懐かしさを覚えながら家を目指す。


風景が変わっていないこともあり、育った環境だからということもあり、迷わずに着くことができた。


まるで昔話に出てきそうなボロボロの平家。

雑草は伸び放題で腰くらいの高さまで来ている。


チャイムなどといったものも無いので、玄関戸を開けながら声を出す。


「ただいまー!」


勝手知ったるなんとやらだ。

返答も待たずに上がり土間に向かう。


18畳もある広い土間は、田舎らしい土地感覚が出ている。

もし都内でリビング18畳だったらいくらかかるのか。考えたくも無い。


台所からバタバタとした足音が、土間に向かってきた。


「あら、咲恵!帰ってきたのね!」


お母さん。花岡 明子。

歳を取った以外、何も変わらない様に見えた。


「うん、さっきね」

「遠い所疲れたでしょう。今お茶持ってくるわね」


そうして冷えたお茶を持ってきてくれた。

私は土間にある囲炉裏の前に腰を下ろす。

ここに居た時の定位置、身体が自然とその場所に座る。


お母さんはその右隣だ。


「元気そうで良かったわ。いきなり東京に行くって言うんだもの、腰抜けるかと思ったわ。

でも、顔を見れて良かった」


「うん。ありがとう」


お茶で口と喉を湿らせながら他愛もない会話を続ける。

やれ、田中さんの跡取りが離婚しただの。

やれ、北中のお婆ちゃんがギックリ腰だの。

やれ、若い子がどんどん出ていってお祭りが大変だの。


「…………」

「どうしたの?」

「お祭りって、なんだっけ……」

「なにアンタ忘れたの? 夏にやってる『紫龕様の祭り』よ」


……ああ、思い出した。

紫龕様(しがんさま)の祭り。


たしかこの村を作った人だっけ。

小さい頃、お祭りは美味しい物を食べる日だったから、

名前なんて気にした事なかった。


まだやってたんだ。


「今年はもう終わっちゃったけど、住職様に言えばまだお髪貰えるわよ。

行ってみたら?」

「そうだね……ちょっと考えとく」


その時、玄関戸が開き野太い声がした。


「帰ったぞー」


お父さん。花岡 源一。

お父さんも歳以外は変わっていない。


「お、咲恵。帰ってたのか」

「うん。ただいま、お父さん」

「お帰り。母さん、今日は寿司にでもするか」

「お寿司いいわねえ!じゃあ電話してくるわ」


あれよあれよと寿司に決まった。

でもお父さんの言葉使い柔らかくなったみたい。

前は亭主関白みたいだったのに。

歳を取ると丸くなるって本当なんだなって、ぼんやり思った。


◇◆◇◆◇◆


その日の夜。

お寿司に舌鼓を打つ。

はぁ、これで静かだったらどれたけ良かったか。


「咲恵ちゃん! 飲んでるか!?」

「オッパイでかくなったんじゃないかぁ?」

「ガハハ! お前の嫁さんのは垂れてるもんな!」


家には今、村人のほぼ全てが集まっていた。

どうやらお母さんが電話した寿司屋から、

私が帰ってきた事が広まったらしい。


お酒持ってきたり、仕留めた猪持ってきたり。

気づけば大宴会だ。


狭いコミュニティの情報伝達力はヤバい。

あと無自覚のセクハラも。


重いため息が出そうになるが、グッと堪えて笑顔を見せる。


「咲恵ちゃん、いい女になったべなぁ」

「どうだい? 田中んとこの後釜によ」

「文雄には勿体ないだろ!」


そうして大声で笑いあう村の衆。

お父さんもその輪に入って、ベロンベロンに酔っている。


お母さんはと言うと、忙しなく動いている。

お酒を補充したり、皿を出したり、酔い潰れた人を寝かせたり。

他の奥様方もだ。

手伝おうかと言っても『貴女は今日の主役だから』と宴会に戻される。


ここだけ昭和なんだよなぁ。


リフレッシュの為に帰ってきたけど、

果たして良かったのか。

ウニ軍艦を頬張りながら、そんな事を考える。


「そう言やぁよ。

今年は紫龕様いつくらいに来てくれんのかね」

「年々人減ってお髪の割り振りも少なくなってるからなあ」

「収穫までに雨でも来てくれりゃ御の字だろうよ」


紫龕様……?

あれ、お祭りの話しだよね。

実際にいる訳ないのに、この人達信じてるんだ。


「そういや咲恵ぇ。

たしかまだお髪貰ってなかっらんだよなぁ」


お父さんの呂律の回らない言葉に、視線が一斉に私に向く。


「そりゃいかんぞ咲恵ちゃん」

「んだな、一人でも増えりゃその分早くなるけんな」

「安田の住職は来とらんのか。

咲恵ちゃん、明日にでも貰い行ったらいい」


それに私は愛想笑いしか返せなかった。

だけど、そんな曖昧な反応でも納得してくれたようで、酒盛りを再開する。


猿を仕留めた話、

草刈りで指切りそうになった話、

北中さんのおばあちゃんがギックリ腰で寝込んでいる話。


そして。

ギックリ腰にお髪を乗せ拝んでる話。


「あの婆さんも災難だったが、すぐ戻ってくるわな」

「いねぇ方が静かでいいがな!」


紫龕様、お髪。

なにかよくわからないけど、嫌悪感がある。

なるべく早目に東京に戻ろう。


◇◆◇◆◇◆


急に始まった宴会は、日付を超えてようやくお開きになった。


なんだかドッと疲れたよ。

距離感って考えが無いかのようにグイグイ詰めてくるから、精神的疲労がすごい。

お酒もだいぶ飲まされたし。


お父さんは高鼾で寝ながらお漏らししちゃってる。

……父親とはいえ、なんとも無様だ。

とりあえず起こそうとすると、お母さんが声をかけてきた。


「咲恵も疲れたでしょう?

お父さんの世話はお母さんがやっておくから、早く寝ちゃいなさい」


「いいの? ほら、お父さん漏らしちゃってるし。

片付けるの大変でしょ?」


「いいのよ。

咲恵が帰ってきて羽目外しちゃったみたいだから。

普段はこうじゃないのよ」


ここまでになるほど喜んでくれるのは嬉しいけど、だからってなぁ。


でもまぁ、そこまで言ってくれるなら、お言葉に甘えて寝ちゃおう。


私はそのまま寝る挨拶をして寝室に向かった。

畳敷の部屋、中央に布団が一式。


懐かしい。

子供の頃はこんな感じだった、それに何も不満はなかった。


大人になったのかな。

そんな事を考えながら布団に潜り込む。

よほど疲れていたのかスゥッと眠りについた。



夢を見た。


人一人が歩くので精一杯な、細く長い砂利道。

両脇は深く暗い色をした海。


ザアザアと叩きつける様に降り頻る雨の中、

私は白無垢に身を包み、

そこに立っていた。


目の前には真っ黒な鳥居。

その向こうに、髪の毛がとても長い人。

長すぎて顔は見えない、毛先も海に浸かっているみたいだ。


男性か女性かすらわからないその人に、

私は奇妙な安心感を覚えていた。

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