第21話:窓の外へ飛び出して
『―――だ、だれ……!!?』
窓の外に見えた鳥の影を追っていた。
私とは違う……。
自分の羽で、自分の力で何処までも飛んでいける……、そんな存在を羨ましいと。
外の世界にはどのようなものがあるのかと、常に見ている事しか出来なかった私は、いつだって一メートル四方ほどしかない、四角のそれに。
窓という別世界への入口を……物語への入口を目で追っていて。
………。
そんな中―――ガサガサと音がして。
その「向こう側」から、まるで誰かが呼ぶようなノック音が聞こえた。
病室の中で、換気の為に半開きになっていたソレの向こうから、影が現れる。
『やぁ、初めましてお姫様! 僕は―――』
………。
……………。
今日で肆の月が終わる。
これまでと同じなら、私の眼はまた見えなくなるのだろう。
年に一度、この月だけ、私は世界を見ることができる。
たった一年という短い期間で起きた未来に驚いて。
兄や姉、大切な人達が目を開けるたびに変わっていくという過去に哀しみを覚えて。
全くの未知。
知らない―――楽しい、ワクワクするという変化に笑って。
……今回は、本当に。
「………。また、来年……。会える。……会えるから」
一年。
私にとっては、いつだってあっという間に過ぎ去るモノだった。
ひと月……向こうの世界では二ヵ月に当たる時間の中で、皆が持ってきてくれた山のような本を捲り、覚え……そして、一年をその決められた情報量の中で冬眠のように過ごす。
いつの間にか目新しい情報は無くなっても、未知を探して何週も、今度は別の視点で何週も物語を捲り直す。
そうしている間に、また一年が終わっている。
いつの間にか、また次の一年が訪れている物だった。
だから今回もいつも通り……その、筈なのに。
「………ッ」
―――なのに……今は、どうしようもなく怖い。
この一人の時間が……、やがて見えなくなるのが。
当たり前だった筈の暗闇……僅かずつぼやけていく世界が、怖くて……恐ろしくて。
私は、気付けば手を……彼が送ってくれた手紙に……既に全部読みつくして、頭の中で全てを記憶している筈のそれに手を伸ばしていた。
もはや間違いはないと、そう確信に到った彼からの贈り物を手に取り……。
「―――……ぇ?」
けれど、そんな時……音が聞こえた。
コンコン……、と。
ノックだ。
それは、書斎の……木製の戸を叩く音ではない。
もっとガラス質の―――まるで、窓ガラスの……あの時のような。
今の私ではない少女が、彼と初めて出会った……。
「―――――」
「ごきげんよう。ローゼマリー様。数週間ぶりですね」
「レイク……、さ、ま……?」
ぼやけた―――けれど、まだ色も輪郭もハッキリと感じられる視界に映る、真っ直ぐな蒼の瞳。
窓の外には、風になびく薄い金色の髪の青年が愉し気に張り付いていて。
嘘だと思った。
だって、ここは―――。
あの時とは比にならない、だって……、そんな筈。
「はははっ、驚いていただけたようで―――っとと、落ち……」
「ぁ……!」
「落ちない」
「な、そんな……!? ぁ……あ、ここは―――ここは、四階ですよ!?」
樹木も、都合のいい足場もない。
当然のように、気軽に窓をノックできる高さでは絶対になくて……。
それより何より。
例え小さな変化であっても、館の壁に張り付くようにして侵入者がいるのなら、公爵家の衛士や騎士たちが気付かない筈がないのに。
彼が侵入者として瞬く間に捕縛されていない筈がないのに。
「ふぅ……、生きた心地が……はははっ」
それなのに、彼は当然のように窓をするりと……まるで手慣れたように跨ぎ―――そして。
「土足で失礼。……えぇ、ローゼマリー様。まことに申し訳ないのですが、今は説明している時間も惜しく……」
「―――――」
「どうか、御手を」
………。
言葉と共に片膝をつき、気取るように差し出される掌。
まるで女性を踊りにでも誘うような動作で。
「………ぁ」
―――私は理解した。
それだけで、全てが変わってしまうのだろうと。
伸ばされた手を取るか、或いは取らないか。
仮に取らなかったとしても、彼は決して私を害そうとはしないし、私に不都合な可能性は何もない筈で。
でも、逆に……それを取ったとしたら?
それは……それだけで、私の世界の全てが―――これから起きる人生の、あらゆることが変わってしまうと。
どうしてか、ハッキリと分かって。
「あ……、の……」
きっと、その手を取らないのが正解だった。
今の幸せな生活……満ち足りた人生を変える意味などどこにもない。
それより何より、私が……私が本当に彼の事を想うのであれば、最善はきっと私が居ない事の筈だから。
今度の人生こそ、彼には自分の為に生きて欲しい。
私という枷が彼の障害になる事は、もう二度と。
だから、この手を取っては……。
「大丈夫だよ。僕を―――信じて。今度こそ二人で、一緒に―――窓の外へ」
「……!」
―――けれど、ダメだった。
結局私は、その手を取った。
取ってしまった。
そして。
「―――きゃっ!?」
「ふふふっ……。さぁ、しっかりと掴まっててください? 行きますよ―――舌ッ、噛まないように!!」
「え? え? え……え―――ぁ」
ふわりと、車いすから離れる身体……横抱きに抱え上げられるままに。
彼は足を前へ、前へと踏み出して―――その足は、加速して。
抱き上げられた時より遥かに大きな浮遊感が身体を……。
「きゃ……、―――きゃぁぁぁあ!!?」
「はははははっ! 舌噛みますよぉ!」
だから、ここ四階、で―――地面……衝突……。
「偽典“反発” ―――ヴァレットォォ!! キャーーッチ!」
「くくっ。仰せのままに、我が主」
味わったのは痛みではなく、軽い空気抵抗の反発のみ。
そのまま、まるで全てが計画通りとでもいうように用意されていた椅子に座らされ、また膝の上には布が被される。
誰かの怒号も、追ってくる音もなく。
私の頭が混乱に迷っている間に、確かな勢いで前へと進んでいく。
「首尾よーし! 前方見晴らしも良し! ―――事が済んだならすぐ撤退だ! それでは皆様、今日という日をお忘れなくッ!!」
………。
本来、一流の暗殺者ですら侵入は不可能とされた屋敷の護りを潜り抜け。
私は、あまりに簡単に攫われてしまった。
◇
「公爵領の都ヴァレンティナ……本当に美しい都市です。人も、モノも……全てが輝いている。都市そのものが一つの美術品のようだ」
「……そ、そう……ですね」
「えぇ。心からそう思えますよ。これぞ私の理想、私が目指すべき場所、その究極だと」
うん……うん?
やっぱりあの方法っていささか手荒すぎたのかな。
窓から誘拐された経験とかない感じ? ちゃんと事前に聞いておけばよかった。
振り向いてこちらを見上げる彼女の笑顔も、今はややぎこちなく。
……。
誘拐されて満面の笑顔浮かべられても困るんだけどさ。
でも、都市へ出てから少しの時間が経ち。
一時の混乱が落ち着いてからの彼女は、やがて周囲の景色を楽しむかのように、或いはワクワクするかのように辺りを見回し始めて。
「ぁ……ここは」
「……雑貨屋のようですね。いらしたことが?」
「いえ……昔。確か、ここに薬の店があったような覚えがあります。私がまだ歩けた頃ですけれど、アンナ―――私の傍付きと一緒に……」
「そのような時代もあったのですね」
最初から歩けなかったわけではなかった筈だ。
であれば何故、彼女が今の生活になったのか。
それもまた聞いてみたい所ではあった。
けど、今は。
「……ふふ。皆、あなたの美しさに振り返ってばかりのようですね」
「レイク様かもしれませんよ? アノール領の伯爵さまが何故ここに、と」
「はは、馬鹿な。私の顔を知ってるものですか」
ゆっくりと通りを進んでいけば、誰もが僕たちへ視線を向けた。
単純に車いすが珍しかったのか、僕の顔が良すぎたのか、彼女が美し過ぎたのか……その全部か。
話題は全く尽きなかった。
アレは何か、これはつい最近~~……歩を進める程に僕達の会話は勢いを増すばかりで。
「おあーー! こりゃあ別嬪さんだなァ、へへへッ……」
「おいおいッ、身なりのいい兄さん、随分と綺麗なお嬢さん―――、もがっ……!?」
………。
目の前に何か来たような気がした事もあったけど、多分気のせいだ。
「―――レイク様? いま後ろからどなたか……」
「気のせいですよ。それに、この時期には執事風なる季節風が吹いていてですね?」
「まぁ……。それはどのようなものなのですか?」
「えぇ。何でも、灰と黒色の風で……過ぎた野心を抱えるものほど攫われやすく、飛ばされやすい、と」
恐ろしいよね、季節風。
「あくまで俗説ですよ。何せ、その論理で行けば私がいの一番に吹き飛ばされるのが道理なのですから」
「―――ふふっ、あははっ……!」
進んでいく僕たちの邪魔をするものは誰もいないし、いたとしても人知れず姿を消した。
誰もが道を譲るように退いていく。
確かに、ここには僕と彼女しかいないようで。
「そうだ。以前、出来立ての料理の話をしましたね。削ぎ売りの肉や串焼きなどに興味は? 様々な薬味やソースがあり、中々にいけますが」
「そうですね……。では―――」
前菜、高原野菜の酢漬け。
スープ、貝類のミルク煮。
魚料理、プリエール産海魚の串焼き。
肉料理、風鳴鶏の肉を削いでパンにはさんだ、所謂ケバブ。
デザート、よく冷えたゼッペルトの実二粒、ミガの実四分の一、カンリの果肉を少々……あとミニケーキとクレープ。
やはり貴族だからか、意図せずしてコース料理みたいな順番で巡ってみたり。
そこで気付いたけど、彼女、女性としてはそこそこ食べる。
分けっこしてても一定の量あったそれらを興味深そうに、そして脳全てを総動員して味わうようにペロリ。
あと後半は果物ばっかり。
やっぱ甘いものが好きなのね。
道理で抱き上げた時に果物のようないい匂いがしたわけだ。
「次はジェラートですか。では、僭越ながらこちらも毒見を……うん、美味しい」
「毒見でお腹がいっぱいになってしまいますね。うふふっ」
貴族の毒見をする貴族。
確かに、我ながらギャグだなこれは。
何度目かのデザートを食べた後、中々腹も膨れた事で再び元気に歩き回る。
本当に栄えているだけあって、公爵領の中央は見慣れない食べ物の宝庫だ。
僕もこうした純粋な観光の機会ってなかなかなくてね。
いつも、急な用事があってとんぼ返りしたり、そもそも別件の仕事が多すぎて遊覧に確保できる時間がなかったり。
相手がこの女性であるだけで、こんなにも楽しく心が躍るなんて。
「次のデザート……、次のデザート? ……いえ、他には? 果物に唐辛子をまぶしたものを売っている店もあるようですが、一つ試しに」
「……唐辛子を? それは……、美味しいのですか?」
「未知こそ行動力の根源です。保証はしませんが……、お? 魚とフルーツを合わせた炒め合わせを売っているようですね」
「世界とは広いのですね……!」
そ、世界って広いの。
元の世界にもピニャコンチリートってデザートがあってね。
知ってる? パイナップルに
食べ歩きが一段落着けば、僕たちは仲良く大通りの活気に沿って歩き、気まぐれに横道に入って広い雑貨屋、小物屋などのアクセサリーショップを巡る。
流石は天下の公爵領中央。
何処に行っても品物の質は高く、何より店が広い。
車いすでも十分に道は確保できて、おまけにしっかり舗装されているから揺れも最小限だ。
用意してもらった車椅子の性能も良い。
これは、新式のサスペンション材を組み込んであるらしいね。
「ふーーむ。―――帽子の店というのは、とても興味深いものです。流行に合わせ、過度に大きくなったり小さくなったり。本来の役目を果たしているかどうかなど二の次でも売れるのですから」
「確かに、顔も覆ってしまうようなものが今の流行だというのは驚きですね……。通常、あくまで利便性という枠組みの中でデザインや芸術性を追求すべきものを……」
「おかしな話ですよ。真の使い方、実用性を捨ててまでそれらを追い求めてしまうなど。本末転倒の極みだ」
最近祝宴でよく見るんだけどね。
貴族のそれともなると、頭に大砲や戦艦でも乗せてるみたいだったよ。
もう帽子じゃない、あれらは……、そうだ!
「ふふふっ、何を隠そう、私も将来は帽子屋をやろうと考えていましてね?」
「そうなのですか……!?」
「取り敢えず値段を高く設定して、さっき食べた魚の骨でも飾っておけば売れるのでしょう? 簡単だ」
「ふふ、あはは……! うふふ……。お父様たちも「彼は方向性がまるで見えない」と仰っていましたけれど、レイク様は、一体何処をお目指しなのですか……?」
「何処へなりとも、気の向くままに。……ここへも、あそこへも。何度でも行けますよ。我々はまだ若いのですから」
………。
やがて幾つかの店を出る頃、日はすっかり傾き始めて。
肆の月もあと10時間足らずで終わりだな。
長かったような、短かったような、歩き通しで足が痛いような。
「―――日差しが隠れてきましたね……。風が冷たくはありませんか?」
「いえ、私はとても―――、ぁ。……ふふ。とても、温かいです」
冷えてきた中では膝の毛布だけでは足りないかもと、肩から僕の変装用外套も被せると、彼女は両手で身体を覆うようにしてソレを深く被り、微笑む。
服は脱いだのに、こっちの心まであったかくなるみたいだ。
「……。戻られるのですか?」
広場に差し掛かる頃、その質問が来た。
気付くよね、そりゃあ。
「―――えぇ。本心であれば、このまま我が領へご案内したいのですが。そろそろ御嬢様を送り届けなければ、私は約束より余程早く帝国全土へ名を轟かせる大人物になってしまうので」
「………そう、ですか」
「地下牢暮らしは室温も一定で快適そうですが、隣人が騒がしそうなのは困りますよ。あと、枕変わると寝つきが悪いので」
………。
「いかがでしたか? 今日は。人間、偶には家の外に出るもの。楽しんで頂けたのなら良かったのですが」
「……………」
「―――はい……。まさか、こんな一年の最後を過ごせるなんて思ってもいませんでした。また、次の……次の一年に向けて、大切な思い出ができました」
「有り難うございます、
「……………えぇ」
彼女は更に深く、身を包んでいた外套で肌を隠す。
車輪が回る。
人もまばらな道……幾らかの静寂の中で、ただ僕が車椅子を押すだけの音が在って。
「………。あの……」
「えぇ」
「もう一度―――あなた様のお顔を。見えなくなる前にもう一度だけ、見たいのです」
「はは。そろそろ暗くもなってきますからね。灯りの代わりになるかは分かりませんが、そのような事でしたら、喜んで―――、……!」
一旦車椅子を進める手を止め、彼女の前に屈み込んだ。
その瞬間だった。
「―――。有り難う……、ございました」
令嬢様の両手がガバとひらかれ、彼女の手が僕の背中に回される。
震える手で、震える声で。
「顔を見ておきたい」という発言に反して、一度としてその瞳が僕の顔を捉える時間はなかった。
「……本当に、楽しかった……。今回の月は、今までで一番……一番、楽しかったです……ッ。ほん、とうに……」
そこで初めて気付いた。
彼女の眼は、既に
……。
いつからだ? だって、そんなそぶりは欠片も……。
ともかく計算違いだった。
神さま? こういう魔法が解ける展開ってのはガラスの靴の物語よろしく、きっちり時間通りの日付替わりにしてもらわなくっちゃ……。
これじゃあ帰りのカボチャ馬車の予約も……。
「いや、まだだ」
抱き合うままの体勢、彼女の耳元で呟く。
恐らく、彼女は「決めてしまった」のだろう。
僕にとっては、決して有り難くない方向での意志を固め、だからこそ折角親愛を込めて呼んでくれていた愛称を呼ばなくなった。
この機を逃せば、次はない。
二度と彼女が僕の名を呼んでくれることは無いかもしれない。
そんなのはとても耐え切れない。
「認めない。断じて認めない。重ね……今度こそ―――君を一人にはしない」
「……ぇ?」
「今度こそ。一人じゃなく、二人一緒に、あの部屋の外に出るんだから」
「………!!」
抱擁が解かれる。
「―――貴方は……やっぱり」
「いいえ」
「その男は、きっと。恐らく、彼女が思っていたほど格好良い男ではなかったと。同じ男としては、そう思うだけなのですがね」
「……。どういうことですか?」
そのままの意味だ。
女の子っていうのは、時に自分の傍にいる男を無条件に信頼してしまうところがあるらしい。
年の離れた
大人になって再会してみれば、まるで魅力的に映らないというのもよくある話で。
真実として、彼はもっと醜い。
「彼は―――あの子の笑顔を、守ってあげたかった? ……そうではない」
僕だから知っている。
真実は、こうだ。
「彼が第一にしていたのは、彼女じゃない。己が存在意義。最後まで己の事。世界から己がいなくなっても……消えてしまっても、ずっとずっと覚えててくれる人が。―――自分が生きた証こそが、欲しかったのです」
生きた証。
それが欲しかっただけ。
別に、覚えていてくれる人がいるなら誰でも良かったのだ。
「最低だと、思いませんか? 己が欲の為に、もっとも純粋な存在を利用した。甘言でたぶらかし、一生消えぬかもしれない傷を心へ残す、その可能性こそをむしろ望んでいた。諦めた上で最悪の選択を取った」
自分はもう死ぬから、せめて誰かに覚えててほしい。
その為に、穢れを知らなかった少女を利用した。
ろくでなしさ、彼は。
「……行くのは地獄が良い所だ」
「―――いえ。いえ! 彼はそれでも一人の心を救いました……!! きっと、きっと……、幸せになる権利があります!」
「……ふ。対極の意見となるのは初めてですか?」
僕と彼女の感想戦で、異なる考えが出る事はよくあった。
けど、ここまで敵対的な意見は初めてだ。
……なら、ここで新説を一つ。
「では、その男が……忌まわしいロクデナシが。またしても、性懲りもなく、今回も同じ目的を持っているとすれば?」
「……え?」
「男には、新たな夢があるのですよ。それも、かつてより醜い」
「夢……」
「そうです。今度の彼の願いは。望みは―――」
ろくでなしのエセ名君の最終目的は。
「沢山の人に看取られながら……盛大に惜しまれながら、眠るように死ぬ。銅像も沢山建てて欲しい、とにかく無条件に慕って欲しい。領民たちが涙を流し、悲しみ……しかし、それを盛大に見送ってくれる程に大きな人物となる。その為に手段など選ばない。いつまでも自分を覚えていてくれる人たちをより多く、もっと……。もっと」
「それまでは―――足掻く。生き汚く、足掻き続ける。大切な人と一緒に……生きたい。とんでもない欲張り者なのですよ、その男は」
だからこそ、必要な存在がいる。
ずっとずっと求めていた存在がいる。
居てもらわないと、そもそも物語が始まらない。
「欲張りな男には、何があっても欲しい存在がいるのです」
「まだまだ先の長い人生ですが……その女性には一分でも、一秒でも多くの時間を一緒に居て欲しい。僕の隣で、笑っていてほしい。僕の歩む全てを見届けて欲しい。醜い男の末路に、一緒に来てほしい。共に何処までも墜ちて欲しい」
「―――……、ぁ」
僕は身の丈に合わない野望を抱えた男だ。
だが、向かってくる風が吹き飛ばそうというのなら、その風をも味方につけて見せよう、追い風にしよう。
名声も武力も権力も欲しいし―――、当然にこの女性も欲しい。
「でも、わたし、は……」
「いまこの瞬間、私の事を心底嫌悪し、顔も見たくないというのであればそれも良い。諦める事も考えましょう」
あ、ウソね。
彼女の全てが欲しい……、逃がしてたまるか。
絶対に絶対に絶対に断じて逃がさないし、外堀はもう埋まってる。
今に、車椅子に座る彼女の前に片膝を付き、領民たちの汗と涙によって形作られた結晶を取り出し、彼女に触れさせる。
指でその形を確かめた女性が、今にが息をのんだのを感じた。
物語の影響で有名とて、あくまでこの風習は一部の者たちに好まれるものでしかないから。
だからこそ相応しいと思った。
「ローゼマリー・オクターヴさま」
………。
今までの人生で、僕は色々な事を忘れて来た。
僕が僕になる前に失われたモノ、僕が生まれて以降に失ったもの―――或いは、取り戻せていない過去の方が多いのかもしれない。
けど、それだけは。
「どうか、私と……結婚してください」
「―――――」
………。
「は……、い」
………。
これだけは、絶対に……、決して……なにがあっても忘れるつもりはない。
「は、い……。―――はいっ!!」
透き通った桃色の瞳……、指輪を受け入れるように震える指。
涙をぬぐうままに浮かべられた彼女の笑顔だけは、二度と―――生涯、決して忘れないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます