エピローグ:変動する情勢




「あのォーー、ヴァレット様?」



 ………。

 ある日。アノール領唯一の騎士であるアルベリヒは、実質的上司である家令ヴァレットに連れられ領地から最も近い交易の名所、ガルム伯爵領の都市へ来ていた。


 当然に以前訪れた公爵領ほどではないが、それでも流通の要所。

 町自体が栄えているだけあり人の行き交いも多く、それだけに彼の色情眼鏡にも適う、あか抜けた美人も多い。

 

 高齢社会な領主宅、或いは素朴な娘さん達の多い領の村々とはえらい違いだと感じつつ……しかし、いつしか我に返り、きびきびと隣を歩く老紳士へと語り掛けていた。


 現在は互いに私服姿であるゆえ、やや気安い空気だ。

 


「結局ゥ……、今回の目的というのは一体何なのですか?」

「む、話していませんでしたかな」

「えぇ、一言も」



 出かける前に彼が主から聞いていたのは「ヴァレットの手腕を学べ」と「現実を見ろ」の二言。

 とりわけ後者の発言に関しては意味が解らなかったが。

 あまりに長い時間、馬の背―――に颯爽と乗る老紳士を走って追いかけた彼は、不思議に思うわけで。



「男たった二人で、わざわざ有数の都市まで……。それともアレですか? 現実っていうのは俺らの領地がどれだけ荒んでしょぼくれた辺境かを分からせるって意味の言葉です?」

「ほっほ。面白くない冗談ですな」



「えぇ、旦那様のご命令はこうです。条件に合うような奴隷を三人ほど、質が良いのなら五人ほども雇ってきてくれと」

「―――ぬ、奴隷?」



 瞬間、アルベリヒの脳裏に広がる桃色の妄想。

 立場が人を作り育てる―――素晴らしい言葉ではあるが、騎士になったからと言って変わらぬものもある。

 とりわけ、色を好む健康優良男児の性質などだ。



「ほう、ほう……それは大変結構な……。亜人、獣人、たわわな果実……。へへっ、興奮してきましたね旦那」

「アルベリヒ。何か勘違いをしてはいませぬかな?」

「ふへへ―――……、勘違い?」

「奴隷とは、娼婦しょうふの様なものでは決してありませぬよ」

「………ぇ、違うので?」

「えぇ、断じて」



 ―――実のところ、アルベリヒは奴隷という存在とは無縁だった。

 彼の考えでは、娼婦と奴隷は家で例えれば借家と持ち家……高額な金を払って一生自分だけに尽くす女性を得るか、借家の如きレンタル……一時の夢を共に見るかの違いでしかなかった。

 

 そういう意味では冒険者として宵越しの金も持たず、少し多く報酬が出た時などは、その全てを酒と女に使ってしまう程だった彼にとってあまりに高い買い物である奴隷という存在は謎が多く、その知識の殆どは冒険者、或いは一時共に行動していた傭兵団の仲間から得たものだ。


 貯蓄などもっての外。

 金を貯めて奴隷を……などと考えた事すら―――或いは、考えても次の日には金を使い果たしていた。



「……えと、ご教授頂いても?」



 ゆえに、おもむろにメモを取り出し、待機。

 あらゆる面において完璧である家令の説明を待ち。



「良いですかな? 奴隷とは大陸議会に参加する全ての国家で身分の保証された、使用人の一種です」

「は、はぁ……。使用人……」

「大別として商業奴隷、犯罪奴隷の二種。今回私達が雇いに行く商業奴隷は通常の奴隷形態であり、主に借金が返せず身売りした者などが挙げられます」



 更に商業奴隷でも種別として雑務全般をこなす一般奴隷、家事専門の家事奴隷、護衛や戦いなどを専門にする戦闘奴隷などがあると彼は言い。



「これらは皆登録されたもので、身分が保証されております。例えば年数が満期になれば解放されますし、僅かながら日常の給料も必要となるでしょう」

「ほえーー、本当に使用人……。犯罪奴隷ってのはやっぱあれですか。やべぇことして奴隷に落とされこき使われ、みたいな?」

「比較的罪が軽いものならば、ですな。余程の悪ともなればそもそも奴隷にすらなれず死刑が打倒ですから。即ち、奴隷である時点で彼等は一定まともな存在―――社会を動かす労働力の一種、と」

「……………」



 成程、聞けば聞くほど面白くな―――想像していたものとは乖離かいりしていると。

 若き騎士はがくりと肩を落とし。



「……そういえば華奴隷ってのを聞いたことあるんですけど?」

「商業奴隷の俗称ですな。身売りされた彼等が奴隷商のもとにいる間は街中で花を売りながら生活している事、或いは犯罪奴隷より身分の勝る事を指して己を華と呼ぶ……そういう事です」

「……。醜い世界でぇ」



 そこまで堕ちておいて、今更自分より下をあざ笑えるのか……、と。

 しかし、己とて心当たりのある彼は胸に苦しいものが生まれるのを感じ。

 


「じゃあ、結局よろしくはやれないって事ですか?」

「手続きが必要になりますな。床を共にする場合、奴隷商の発行する専用の書類に都度その旨を記載するなど。当然、合意がなければ成立しませぬ。分かりますな?」

「―――誓約、ですか」

「えぇ、その通り。決して力づくでない事を淵冥神、或いは眷属に誓わねばなりません」

「……合意の上なら」

「しぶといですな」



 これが若さか、と。

 ある種尊敬の眼差しを若人へ向け、いつしか老紳士は歩みを止める。

 


「しかし、今回雇いに行くのは力自慢の奴隷か、農耕の知識を持つものです」

「―――女性はダメって事です?」

「いけない、という訳ではありませんが、雇い入れる確率は低いでしょうな。見目がよく力自慢の女子など、訓練を積んでいないものでは亜人が主ですが……、それこそ大きく値が張ります。勉学もまた、市井の女子には無用の長物」



 つまりは、役割が違うということ。

 上流階級……帝室に連なる者すら、女性であればそれだけで継承権は低くなるのだ。

 性差によっての価値観、就くべき職の隔たりは大きく。



「我が領にはいまだ娯楽に充てられる時間も金銭もありません。手付かずの土地は多く、知識人の数も、付けるべき手も足りない。そも、奴隷は一山いくらと数えられるようなものではない人的資源、資産なのですから。武器に例えればあなたも分かりますな?」



 成程。

 消耗品とはいえ、剣一振りでも相当値が張るもの。

 命と天秤にかけ、いい加減買い替えるか……いやまだ研げば粘れるか―――そういった苦悩に覚えがある以上、彼は頷くしかなく。



「……勉強になります」



 そう言いつつ、しっかりガックリと肩を落とす男アルベリヒ。

 彼の妄想の全てが悉く崩れ去った瞬間であり、同時に彼等が店に踏み入れた瞬間でもある。



「いらっしゃいませ……、本日はどのような奴隷を?」

「えぇ。ひとまずは今用意できるものを一通り見せていただきましょうか」

「―――。畏まりましてございます」



 ヴァレットの持つ雰囲気を、瞬時に貴族家に仕える……ソレも地位の高い存在と判断したのだろう。

 店内に踏み入るなり、非常に愛想よく話しかけてくる身なりの良い奴隷商。

 彼はすぐに二人を奥へと誘い。



「下手な貴族の屋敷より上等ですね、色々と」

「ザンティア商会―――部門一つとっても大商会。大陸を財に支配する二大商会の片割れですからな」



 ザンティアとロウェナ。

 商売の方向性こそ違えど、両商会はその影響力は大国に匹敵するとされる。

 複合企業、或いは財閥とも言えるだろう。



「こちらの者たちなどは? 皆、帝国出身です。下手ななまりもなく、非常に話しよいかと」

「お……?」



 奴隷商に案内された先の、壁が取り払われ拡張したと思われる大部屋。

 そこに複数存在する男女だが、比率はむしろ女性の方が多いとアルベリヒは気付く。

 肌の艶も健康状態も悪くなさそうで、流石に大商会が表で堂々とやっているような店。


 恐らくは貴族家の奴隷として、等級が高く見目の良いものがいる部屋を選び通されたのだろう……、したがって女性の比率が高いのだと。

 つまりは、ワンチャンあるかも―――と。


 若き騎士が夢を手放せずにいる中。



「ふむ、これは中々……。では一人一人てのひらを見せていただきましょう」

「「?」」



 老紳士はおもむろに奴隷たちに近付き、彼等の身体つきなどを次々に観察していく。

 頭部、腹部、脚部で一瞬ずつ……一人当たり三秒と掛かってはいないだろう。



「くっ、通り過ぎ……」

「あーー、お客様? いかがされましたか?」

「あ、いえ……、くッ」

「お客様……?」



 一人目の女性を飛ばし、二人目も飛ばし……。

 結果、老紳士は四人目に……男に目を留め。



「あなた、農地では何を作っていましたか?」

「……! その……ブラト小麦をっ」

「何故奴隷に」

「えと……家の借金を返しきれず」

「何年程従事しておりましたかな?」

「あ、あ……20……くらい?」

「―――ほほっ。えぇ、よいでしょう。御主人。彼は幾らになりますかな?」



 ………。

 ……………。



「わっ、私は15年程―――」

「違いますな、次」

「はっ、はい! グルシュカやミルモであれば何年も経験が―――」

「えぇ、もうよろしい。次」



 ………。



「いや。学べってこりゃ無理でしょ、あるじ」



 そもそも、己らは入店時に農業用や労働者の奴隷を買いたいといった要望をしたわけでもなく、今いる者を無作為に見せられただけ。

 掌を見ていたという事は、それだけで誰が産業の経験者かを見抜いたということ。

 或いは、年数といった問答の情報に嘘偽りがないかも?


 真似できるわけがない―――騎士は理解、戦慄する。

 端的に、能力も経験も違い過ぎる。



「す、素晴らしい! まことお目が高い! 御仁……。あなた様は一体どちらの貴族家に……!?」

「ほほっ、辺境ですよ」



 やがて、奴隷の選定が一段落着いた頃。

 控えていた商人が純粋な賞賛を浮かべながら問いかけ始め、会話が始まり。

 専門的な言葉が飛び交うソレにとても付いていけないアルベリヒは只聞き役に徹するが。



「そうです! 他にも部屋を見て回りはしませんか? 実のところ、別室には初めての方々にはあまりお見せにならない者たちもいるのです。見目麗しい男女も、亜人もおりますし―――此処だけのお話、半妖精種も……」

(半妖精!?)



 言葉を潜めるように放たれたソレ。

 声に出して叫びこそしなかったモノの、耳に入った単語を解読し、アルベリヒは思わず目を剥く。


 半妖精と言えば、亜人の中でもとりわけ希少とされる存在。

 狩人の系譜、エルフ、などと称される種族。

 その容姿は人間種などと近い価値観を持つ種族からすれば非常に見目麗しく、また最大三百年にも及ぶ寿命を持ち、二百年以上を若々しく生きる。


 ―――娼館などに居ようものなら、希少性も相まりまず最高級娼婦。

 たった一夜共にするだけで一般市民の十年の収入など吹き飛ぶだろう。

 当然、彼は床を共にした事もなければ、流浪の時代に数度見たくらいしか記憶がない。



「ぬぬぅぅぅ……!」



 見たいみたい見たいみたい会いたい会いたい会いたい……。

 前頭葉が弱っているであろう傍らの老紳士へと、全力の念を……上位魔術であり高位の伝達手段である“念話”をイメージして信号を送り続けるが。



「―――ふむ……」



 しかし。

 桃色空間を広げるアルベリヒを他所に、ヴァレットは何かを分析するように目を細め。



「半妖精が奴隷商館に上がるとは、何やらあったのでしょうか?」

「いえ、それは私どもも。つい先日、下部商会から引き渡しがあったものでして。事情も伏せられていたゆえ、我々としてもいち早く売り払ってしまいたいのです、実のところ」



 二言、三言。

 再び幾つかの言葉が交わされ、やがて老執事は頷くまま。



「では、やはり先程選んだ男の奴隷五人を買い上げましょう。アルベリヒ」

「……。はーい、お金ぇぇ……」




   ◇




「と―――そのような感じですかねぇ。ご報告を終わります、我が主」

「あぁ、よく行って来てくれた」



 ……。



「参考になったか?」

「―――。へっ。無理に決まってるでしょがい」



 大分不貞腐れてるな。

 確かに、見たいか見たくないかで言えば僕だって「エルフがいますよー」って言われたら全力で見るが。

 ともあれアルベリヒの報告を最後まで聞き、椅子に深く腰を預ける。

 確かに、妙だな。


 半妖精と言えば物語に語られる通り、秘境も秘境の国家で閉鎖的に暮らす亜人。

 何かまかり間違って冒険者になる個体、伝説に語られる程に到る個体もいるが、奴隷として一般に公開される事などまずない。

 今の時代、迫害などしようものなら……それこそ国が滅ぶ。


 どうなってんだろ?

 まぁ、多分関係ない話なんだろうけどさ。



「それと、旦那様。報告の補足として、こちらは風の噂程度になりますが……」

「噂? 珍しいな」



 ヴァレットが確証もない情報を憶測で語る執事でないのは当然。

 つまりは自分から踊りに行く程に聞き捨てならない情報。



 ………。

  


「―――プリエールで、内乱?」

「内乱という程ではないのですが。聖王が存命のうちに後継をとの事で。中枢が荒れている、と」



 これまた聞きたくない部類だ。

 プリエールと言えば、帝国と隣接する富んだ国家。

 国力の高さも勿論だが、大陸では宗教三国と評され、六大神を信仰するアトラ教にも関係の深い歴史ある国家。

 軍事力も精強で、国の特産である希少金属【天銀】など恐ろしい値が付く。

 


「プリエール……、海に面する水の都ですかぁ……ふへっ。美食と美人の国ィ」

「あぁ、アルベリヒ。お前はもう出てって良いぞ」



「……帝国もまだ先ゆき不安なこの時期に、か」



 因みに、帝国の現皇帝もかなり高齢。

 次代としては僕が学園を卒業するくらいに入学してきた、あの皇太子様が最有力となってるけど……、まだ彼は学生の筈だ。



「うむ……辺境には関係ない、と思いたいのだがな」

「ほほっ。そうはいきますまい」



 だろうね。

 プリエールとアノール領は、あまりに近い位置関係にある。

 何せ帝国の成立時、初代皇帝に付き従った者達の一人であるユスティーアの初代……、彼は最終的に隣国であるプリエールを監視するという役を拝命し、その為にこの場所に居を構えたのだから。


 まあ、結果はこの通り。

 同じく他国の監視役を拝命した他の貴族家が今頃侯爵や辺境伯とかになり上がっている中で、ものの見事に役割を放棄したわけだが。

 現在はアノール領以外の領が分担してその役を担ってるし、交易もそっちが独占してる。

 ボク、カヤノソト……、おけ?



「聖国プリエール。水の聖女を擁する国家、か」

「聖女って聞くだけでロマンありますよね、いやマジで」

「―――アルベリヒ。私の名代として西部の村々に今回の奴隷の件を伝えに行って来てくれ、後々の為に。そして明日の夜明けまでには必ず帰ってこい」

「いやそれ死ぬ全力疾走……ははは。仰せのままに」



 何はともあれ、やる事は山積みだ。

 これが、文に優れた補佐官でもいてくれるなら良かったんだけどなァ。

 ヴァレット引いたのでガチャ運使い切っちゃったかな?



「ほほっ、奥方様もおりませぬしな。ふーむ、どうしたモノでしょうか?」

「まだ二十を少し過ぎたばかりだぞ」

「いえ、そう仰っているうちに坊ちゃまがポックリ逝く可能性もありますゆえ」

「ヴァレットの方が早いさ。……さて、と」



 ……。

 家計は常に火の車。

 臣下の給金を払い、不作の補填を村へして、貿易と開発の試行錯誤で勉強代を払い―――。


 ま、今ある事を全力でやるさ。

 僕がエセ名君になるその日まで……、ね。



「―――さぁ、次の仕事と行こう」

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