2-2
「あぁ……恥ずかしい。なんで私はあんな勘違いを」
席に戻るなり悠真は両手で顔を覆った。指の隙間からのぞく耳までも真っ赤だ。
その様子があまりにも分かりやすくて苦笑する。
お互いに口封じの為に脅迫されると思っていた。どうりで話が噛み合わないわけだ。
でも実際はそんなことは無かった。
悠真は口封じのために俺を消そうとはしていなかったし、俺も悠真が女の子であることを隠すために変な要求をするつもりなんてなかった。
「お互い変に勘違いしてたな」
「本当にね」
肩の力がふと抜ける。
だいぶ遠回りしてしまったがお互いにしていた誤解が解けた。
何はともあれだ。
さっきの素振りや表情、反応のどれをとっても疑う余地なんてどこにも残っていない。
目の前にいる
眉目秀麗、文武両道で絶大な人気の生徒会長。学校の象徴みたいな存在の悠真がまさか女の子だったなんて誰が予想付くだろうか。
でも、これでもかってほど事実を見せつけられた以上は認めるしか無いだろう。
あの時、生徒会室で偶然見てしまったあの光景。あれは俺の勘違いでも幻想でも空目でもない。何一つ嘘偽りは無い。紛れもない真実だ。
そしてもう一つ。
心の奥でずっと引っかかっていたもう一つの答え合わせをする時が来た。
あの時に確認出来なかった幼馴染の俺だから辿り着いたもう一つの可能性。
「
俺はその名を噛み締めるように口にした。
それを聞くと一瞬だけ迷いを帯びた瞳が次の瞬間には揺らぎを止めた。そしてゆっくりとコクリと頷いた。
「うん、そうだよ。私は
小さく息を吸ってそっと落とすような柔らかい声だった。
ようやく全てが繋がった。
その事実を裏付けるように悠那は俺のことを「なーくん」と呼んだ。
とても懐かしい呼ばれ方だった。
悠真は俺のことをいつも「
でも悠那は違った。あの頃から俺のことを「なーくん」と呼んでいた。
「はは……本当に久しぶりだな。その呼ばれ方」
幼馴染として三人でよく遊んでいた日々を思い出す。
そして確信した。
悠真が女の子だったわけじゃない。
目の前にいるのはずっと男装をして神栖悠真という兄を演じてきた妹の神栖悠那なんだ。
そう理解したはずなのに胸の中に消えない矛盾が残っていた。
何故なら「神栖悠那が目の前にいる」その事実自体がありえない話だったから。
神栖悠真は神栖グループを牽引する名家、神栖家の一人息子。妹なんて居ない。
今はそうなっている。今は。
その理由を俺は知っている。
忘れたくても忘れられないほど深く心に刻み込まれている。
だからこそこの言葉を投げかけるのに気が引けた。それでも言うしかなかった。
「俺が知ってる神栖悠那は死んだはずだ」
その一言に悠那は静かに俺を見据える。逃げも隠れもしない。取り繕う気配さえない。
「そうだよ。間違っていない。神栖悠那は六年前に死んだよ」
淡々とした口調には胸を締め付けるような痛みを伴っていた。
当時、小学生だった俺には現実として受け止めるにはあまりにも重すぎた。
毎日のように接してきた親友との突然の別れに心が追いつかなかった。何度嘘だと思ったことだろう。でも世界は変わらなかった。
事故の詳細を聞くのがずっと怖かった。避けて逃げてきた。
時間を経ってようやく向き合えるようになった頃にはもう多くのことが遠ざかっていた。
だから俺が知っていることはほんの少しだけだ。
神栖兄妹が乗った車に飲酒運転の車が突っ込んだ。
その事故で悠真は重症。
そして悠那は帰らなぬ人になった。
悠那の葬式には俺も参列した。
白い花。降りしきる雨。喪服姿の大人達。啜り泣く同級生。俺はただ現実を受け入れられないままそこに居るだけだった。
その後、生き残った悠真は通っていた学校に一度も登校することなく転校して行った。
顔を合わせる機会は一度もなく。あの事故の後に俺の前に現れることは無かった。高校の入学式までは。
だからこそ目の前にいる神栖悠那の存在は世界そのものを揺さぶるほどの矛盾だった。
「ということは幽霊なのか」
思わず馬鹿げた言葉を吐いてしまう。
けれどそれくらいしか言えなかった。
「確かに幽霊かもね。死んだ悠那が化けて出たのかもよ」
悠那は自虐するように笑った。
けれどその笑みには薄い影があった。
自嘲していてどこか諦めに近い温度を含んだ笑み。
兄を失った大事故。
自分自身の大怪我。
急遽の転校。
そして妹の悠那が兄の悠真を演じているこの歪な現実。
事故を境にして全てが変わってしまった。
日常も。家族も。未来も。俺たちの関係も。
簡単には説明出来る事情で無いことは言わなくても分かる。でもここまで知ってしまった以上は聞かない訳にはいかない。
意を決して言葉にする。
「話すのは辛いことだと思うけど聞かせて欲しい。悠那のこと」
悠那は視線をそっと手元に落とす。
冷め切った漆黒のコーヒーの水面が僅かに揺れている。
そのわずかな震えが彼女の心の揺らぎを映しているように見えた。
ほんの少しの間があって悠那は顔を上げた。
「うん。私も話させて欲しい。なーくんに聞いて欲しい」
躊躇いが一瞬見えたがそれを振り切るように悠那は続ける。
「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます