2-1
待ち合わせに指定されたカフェ『フレート』は俺たちが育った街の外れに佇む昔ながら喫茶店だ。アンティーク調の扉に色褪せた看板。これが今どき流行りの昭和レトロってやつなんだろうか。
凡人高校生の俺にとってこの店はオシャレ過ぎて敷居が高すぎる。そんな店を平然と指定してくるなんてさすがは悠真だと思った。
スマホを取り出し時刻を確認する。待ち合わせの時間まであと十五分。俺は店の入り口の前を行ったり来たりしていた。
オシャレすぎて入りにくいというのはあるが一番の理由は近づくごとに胸の奥にじわりじわりと広がる恐怖心で扉を開く勇気が出なかったからだ。
焼島の「消されますね」の言葉が脳内で何度もエコーして離れない。
断頭台に自ら登る死刑囚の気持ちって多分こんな感じなのだろう。
でも今更逃げれない。過去に戻って無かったことに出来ない。ならもう火に飛び込む気持ちで進むしかない。
息を大きく吸い込み、意を決して重い扉を開いた。
カランと扉についた小さなベルが鳴る。薄暗い店内には落ち着いた雰囲気のシックな内装ででオシャレなジャズが流れている。まるで「お子供さまはお断り」と言われような大人の世界。
カウンターの奥には蝶ネクタイを締めた老年のマスターがいた。
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか」
「あ、いや……待ち合わせです」
「左様でございますか」
抑揚は少ないがどこか気品のある声。
周囲を見渡すと店内には他のお客さんが数人。各々に静かにコーヒーを飲んでいて会話はない。間違っても高校生が騒いで良い雰囲気ではない。
待ち合わせをしている他のお客さんは居なかったようでマスターは迷うことなく店の奥にある目立たないボックスシートまで案内してくれた。
そこに先にいた人物。悠真だった。
室内だというのに野球帽を深々と被っていた。まるでお忍び中の人気アイドルのようだ。実際に悠真のビジュアルはそこらのアイドルなら凌駕していると思う。
「ごゆっくりどうぞ」と離れていくマスターを見届けてから悠真の向かい側に腰を下ろした。
悠真の目の前に置かれたコーヒーからまだ湯気が上がっている。まだ手を付けていないようだった。
悠真は俺の存在に気付くと顔を上げた。一瞬だけ目が合う。直後に気まずそうな表情をすると視線を逸らされる。
学校でいつも見る堂々たる姿は微塵もない。小さく縮こまりまるで叱られる前の子供のように不安に怯えているようだった。
「えっと……直久、忙しいところ時間を作ってくれてありがとう」
か細い声だった。生徒会長として全校生徒と先頭に立つリーダーの声じゃない。
「いや、こっちこそ話す機会をくれてありがとう」
「……」
「……」
沈黙。
ジャズの落ち着いた雰囲気が気まずさに拍車をかける。
今まで通りとは行かない。あの出来事が俺たちの間に深すぎる溝を作ったのは明白だった。
ええい。このままだと舞台袖で何も話せなかった時と同じじゃないか。
まずはすべきことは俺がしてしまったことの謝罪だ。
「その本当にすまん、いや、ごめんなさい。違う、申し訳ございませんでした」
勢いよく頭を下げる。テーブルに頭を打ちつけるんじゃないかというほど深く。もちろんこれで許されようだなんて思ってはいない。
「嫌だって言っていたのに勝手に扉を開けてしまって……、まさかこんな事になるなんて思いもしなかったんだ」
野球帽のつばで隠された表情は窺いしれない。
「無理に生徒会室に入ろうとしたことはもういいの。話したいのはむしろその先の――」
その先を言って悠真は言葉を詰まらせる。
暫しの沈黙の後に悠真はそっとコーヒーに手を伸ばして液面に唇を触れさせる。それで決意固めたようだった。
ゆっくりと野球帽のつばの下から顔を上げる。怯えを押し殺した瞳がまっすぐ俺を捉える。
「こっちから聞くのはおかしいのは分かってる。……でも単刀直入に聞くね」
ごくり、と喉がなった。
「直久は……どうしたいの? 」
震えていた。
声も視線も肩も。
悠真をここまで怯えているのは何故だ? まさかこの先に俺に待ち受ける残酷な末路を知ってるから幼馴染として同情してくれているのだろうか?
それにしたってその末路を俺に答えさせるなんてどれだけ残忍なんだろうか。もしかして「自分の意思で罪を償う」という体裁が必要ってことなのか。処刑前に罪状を自ら読み上げさせるやつ。
俺はおそるおそる口を開く。まずは命が助かる解決策から提案してみる。
「えーっと……。お金でしょうか?」
「お金……?」
歯切れが悪い返事。この様子だとお金という解決案にはご納得いただけていないようだ。どう見ても正解じゃない。
まぁそりゃそうだよな。神栖家は超有名企業の創業家の一族。一般人が出せる端金じゃあ満足してくれる訳がないよな。そんな金で解決しようなんて虫が良すぎる。
となると残された選択肢はもう一つだけ。
「お金じゃないですよね……。あはは。……えっーとやっぱり……身体ですか」
自ら最悪の選択肢を言ってしまった。恐怖から膝が笑っている。
知ってはいけないこと知ってしまった一般人の末路。口封じ。
あー東京湾に沈められるのかな。
父さん、母さんありがとう。十六年間、短かったけど俺なりに楽しい人生でした。
それを聞いた悠真はビクッと体を震わせた。
大きな瞳が一瞬だけ大きく見開く。
「や、やっぱり身体なのね……。うん、覚悟はしてたから……。」
覚悟って何。なんの覚悟だ。まさか人を消す覚悟なのか。
「その私……初めてだから痛くしないようにして欲しい」
いやいやいや、人を消すのが経験が何度もあってたまるか。
待てよ。悠真は神栖家として俺とは生きている世界が違う。一般人が想像付かないような派閥やら政治やら大人の事情とやらで表沙汰にできない経験も済ませてるのが珍しくないのかもしれない。闇が深すぎるだろ。
「俺の方こそ痛くしないでください。何卒よろしくお願いします」
痛いのは嫌だ。死ぬのはもっと嫌だけど。
「じゃあ場所を移そうか……。ここだと迷惑になるし」
悠真は荷物をまとめて席を立とうとする。
「ちょっと待ってくれ、もう少しだけ時間くれないか」
「なんで? 待っても何も解決しないよ。早く終わらせた方がいい」
終わらせるって俺の命を?
少しでも時間を稼ごうとするが悠真は応じる気配はない。
焦った俺は咄嗟に手を伸ばしてその手首を掴んだ。
悠真はこちらを振り返る。大きな瞳には溢れんばかり涙が溜まり今にも決壊しそうだった。
なんで悠真が泣きそうなんだ。俺の方が泣きたいよ。
掴んだ腕に思わず力が入る。華奢ですべすべで驚くほど柔らかい綺麗な腕だった。嘘じゃない。やっぱり女の子なのだと再認識する。
いやいや、今そんなこと考えるよりもまずは俺自身の命を案じるべきだろ。
だが掴んだ腕は震えていた。間違いなく怖がっている人のものだった。
悠真は情けを振り切るように俺の腕を振り払い店から出ていこうとする。
もう話し合う余地がないやつだ。
終わった。俺はこのまま消されるしかないのか。
「せめてものお願いだ。東京湾だけはやめてくれ」
最期の願いくらい言わせてくれ。どうせ沈んでいくなら綺麗なハワイとか沖縄の海がいい。
「え? 東京湾?」
「出来るならば父さんと母さんに最期の挨拶だけでも……。いや、消されるからそれダメなのか。なら遺書の一つでも……」
「え?? 消される? 遺書? 直久、何言ってるの?」
会話が噛み合っていない気がする。
「ん? え? だって悠真が女の子だって知ってちゃったから口封じの為に殺されるんじゃないの?」
「なんで直久が殺されるの。そんな物騒な事しないよ」
「……え、俺殺されないの?」
「殺さないよ」
知ってはいけない秘密を知った俺は間違いなく消される。そう確信してきたのに。
どうやらとんでもない早とちりだったようだ。
焼島の勧誘に乗って保険に入らなくてよかった。不安を煽るあの口ぶりに乗せられて契約書にサインする一歩手前までいったぞ。
でもそうなると……。
「さっき言ってたの覚悟ってなんだ?」
問い返した瞬間、悠真の顔がパッと真っ赤になる。
「そ、そりゃ覚悟って、こっちはこっちで『女子であることを黙っててほしいならわかるよね?』ってゆすられるのかと思ってたの! お金とか、体とか。えっちなそっち系の要求されるんだって……!!」
悠真もとんでもない早とちりをしていた。
「いやいや要求する訳ないだろ。俺を何だと思ってんだ」
「そっちこそ私を何だと思ってるの」
「そりゃ悠真のことだから神す――」
「お待たせ致しました。アイスコーヒーでございます」
いつの間にかそばにマスターが佇んでいた。
口角だけはにこやかに上がり笑ってる。だけど目がまったく笑っていない。
その強い目力に俺たちは呆気に取られて固まった。さっきまで熱暴走していた頭が一瞬にクールダウンをしていく。
ふと周囲を見回すと他のお客さんたちがはみんなこちらを見ていた。
そりゃ静かな店内で高校生の二人組が「お金ですか」「身体しかない」「初めてだから優しくして」なんて物騒かつ刺激なワードを連発していたら注目を浴びない方が奇跡である。
「えーっと……とりあえず落ち着こうか」
「うん。そうだね」
俺たちは何度も周囲にペコペコ頭を下げながら元いたそろり席に座り直す。
マスターは俺の前にアイスコーヒーを置くと自然な笑顔を浮かべて「ごゆっくり」と告げてカウンターへと戻っていった。
――ちなみにアイスコーヒーはオーダーした覚えがない。これはもしかしてマスターから遠回しの「静かにしろ。頭を冷やせ」というメッセージなのだろうか。大人の世界は怖い。
向かいの席に再び腰を下ろした悠真もすっかり小さく縮こまっていた。
「直久、ごめん。女の子ってことがバレちゃって焦ってた。直久がそんなこと言うはずがないよね」
申し訳なさそうに握られた指先。
さっきの過剰反応も本気で怯えていたからなんだろう。
「俺の方こそごめん。元を辿れば全部俺が悪いんだし」
お互いにとんでもない誤解で暴走していた。思い返すだけでも顔から火が出るほど恥ずかしい。
火照る顔を冷やす為に目の前にあるアイスコーヒーを一気に飲み干した。
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