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 夏休みが終わったと言うのに暑さは一向に引く気配を見せない九月。

 俺――梶ヶ谷直久かじかやなおひさは生徒会室へ向かっていた。理由は一つ。生徒会メンバーだから。

「お、生徒会書記の梶ヶ谷くんじゃない。今から生徒会室に行くんでしょ? ならついでにこれ、持っていって」

 なんて先刻に遭遇してしまった先生の軽い一言で重いダンボールを運ぶという厄介なおつかいを任されていた。

「はぁ……。生徒会だからっていいように使いやがって」

 これから生徒総会の準備やらで仕事が立て込んでいるのにと思わず愚痴の一つも漏れる。


 生徒会に入れば学校を意のままに動かす権力が手に入る――なんてアニメやドラマにあるようなことは一切無い。

 主な仕事は生徒の御用聞き。先生から雑務の押し付け。イベントや行事の旗振り役。

 それで得られるメリットなんてほぼ皆無。労力の割に全然合わない。骨折り損のくたびれ儲けである。


 目的の生徒会室は校舎の三階。もちろんエレベーターもエスカレーターもない。

 重いダンボールを担いでの階段を登るのはインドア派には重労働すぎる。汗と文句を垂れながら階段を上る。

 生徒会室の前まで来る頃には汗だくになっていた。ダンボールを床に置くのが億劫で頭突きで扉を叩く。

「はーい。少しお待ちください」

 中からは悠真の声がした。男性にしては少し高めだからよく声が通る。

「あー悠真? 俺だけど。ちょっと荷物を置かせてもらうから入るぞ」

「直久か。ごめん、今着替えてるからちょっとだけ待ってて欲しい」

 悠真のクラスは最後の授業が体育だった。だから体操服のまま放課後を迎えている。普通ならそのまま部活に直行したり、生徒会の仕事をしたり、下校しても問題は無い。だが今日は生徒総会を控えている。生徒会長としてステージに立つからには制服に着替える必要がある。

「いいよいいよ。物を置かせてもらうだけだから何も気にしないでくれ。横をちょっくら失礼するわ」

「いや、気にするのは僕の方なんだけど」

 待っていれるほどの余裕はない。なんせ早くこの重いダンボールを手放したかった。

 俺は片手に持ち替え、扉の取手に手を伸ばす。鍵はかかっていなさそうだ。

「ちょ、まさか本当に入ろうとしてる!? 本当にダメだってば直久」

 ガチャン、バタバタ――中では焦りながら支度を急ぐ音がする。

「男同士だろ。まさか恥ずかしいのか? はは、そんなの今更だろ俺たち」

 悠真の言葉を冗談として受け流す。だって幼馴染だから着替えで恥ずかしいなんて言うと思わない。今までに何度も同じ風呂に入ったこともあったし。小学生の時だけど。


 だから何気ない軽い気持ちだった。

 笑って許してくれると思ったし怒ったとしてもその時の冗談で済むと思った。ほんの少しの悪戯心だった。

 まさかその判断が後に取り返しの付かない過ちになるとは思わなかった。


「よっと……」

 取手に力をかける。 

「本当にダメ! なーくん!」

 悠真の必死な叫びとは裏腹に扉はいとも簡単に開いた。

 扉が開き生徒会室の全貌が目に入る――その瞬間、悠真が飛び込んできた。

 余程扉を開けられたくなかったのか、いつもならクールに決まっている顔がこれ以上に無いほど焦りに染まっている。

 でもそこにあった扉は完全に開かれていてもう存在しない。その先にいるのは頼りない俺。

 悠真は俺に向かって一直線で飛び込んできた。

「うおっ!」

「えっーー!」

 勢いでそのまま抱きつく形になりそのまま後ろへ一緒に倒れ込む。

 手に持っていたダンボールは床に落ち、中の書類を派手にに撒き散らした。


「うっ……、痛ってぇ……。大丈夫か、悠真?」

 ズキズキと痛む後頭部を押さえつつ、視線を落とす。

 そこには俺の胸の上でうつ伏せに倒れ込んでいる悠真がいた。

 ――うん、近い。

 というかもう密着している。

 幼馴染との予期せぬ接触に思わずドキッとする。いやいや落ち着け。何をドキッとしてるんだ。相手は男だぞ。悠真は男。

 そんなことは百も承知だ――それなのにだ。

 ふと脳裏によぎる。

『女の子みたいだ』

 という感想。

 間近で見てみると華奢な体つきをしている。凛として堂々とした普段の姿しか知らないから気づかなかった。

 さらに驚くほど軽い。細い体のラインに加えて男にしては少し低い身長だからだろうか。

 そして甘い、なんかいい匂いがする。

 もしかして本当に女の子――いやいや、だから悠真は男。男だから。何を考えてるんだ。

 なぜか頭に浮かぶ疑惑を振り払う。


「……いてて、僕は大丈夫だよ。ごめんね、直久。すぐにどくから」

 悠真がすくっと上半身を起こして結果、馬乗りの状態になる。

「ごめん、俺も無理に入ろうとして悪かっ――」

 俺は目の前にある光景に思わず固まった。

 上に跨っているのは間違いなく幼馴染で神栖悠真かみすゆうまのはずだった。


 着替えている途中だったからか、開かれたシャツの隙間から男には存在し得ない柔らかそうな膨らみのある胸が見えた。そしてそれを抑え込む可愛らしいフリルの付いたブラ。

 思わず逸らした視線のその先には決定的な事実を目撃する。

 すっきりした股間。

 男なら絶対あるべき大切なものモノがない。

 頭を振る。瞬きをする。もう一度、目をしっかり見開く。それでも現実は変わらない。見えているモノ、全てがおかしい。

「え……は?」

 脳が一瞬にしてフリーズする。

 時間が止まったみたいに、呼吸も思考も動かなくなる。

 目の前にいるのは悠真で、悠真は男だ。でも視界に飛び込んでくる情報は全て女の子のそのものだった。

 さっき脳裏をかすめた「女の子みたいだ」という感想がまるで真実を示すフラグのようだ。


「え? あっ……!」

 悠真も自身の現状に気付き、いつも冷静で雪のように白い顔が一瞬にして赤くなる。

 そして慌ててはだけたシャツの前を必死で押さえてうずくまる。

 そして自分の肩を強く抱き小刻みに震えていた。

「うぅ……。」

 ここだけが周囲が切り取られたような静寂の中、悠真の嗚咽ともわからない弱い吐息だけ響く。


「あのさ……。もしかして悠真って、女の子……なのか……?」

 言葉を選ぶ余裕なんてなかった。

 もっと他に聞き方はあったのかもしれない。それでも口から出たのはそれだけだった。

 悠真は何も答えなかった。うずくまり肩を震わせたままだ。

 でも否定はしなかった。それは暗に肯定なのだろう。

 確信する。目の前にいる悠真は男ではなく女の子。

 でも俺は「悠真=女」という結論には至らなかった。何故ならもう一つの可能性を知っているから。

 多分これは幼馴染の俺だからわかること。

 として生きる前の悠真を知ってたから浮かんだ一つの可能性。


 女の子の悠真が男を演じているのではない。

 本物の悠真の代わりに女の子が悠真を演じている。


 俺はその女の子の名を知っている。

 その子が目の前にいる根拠なんて何一つとしてない。ただ強烈に脳裏に蘇った懐かしい名。

 震える声でそれでもはっきりと呼ぶ。

「もしかして悠真ゆうまじゃなくて悠那ゆうななのか?」

 という名が空気を震わせた。

 その瞬間に悠真――いや悠那は顔を上げた。

 潤んだ瞳、真っ赤に染まった頬。その綺麗な顔はぐちゃぐちゃに乱れていた。

「っ……!」

 とても短く、声にもならない悲鳴を漏れた。

 次の瞬間、悠那は立ち上がりそのまま生徒会室に逃げ込んだ。

 ばたんっ!ガチャリ。

 扉が勢い良く締まり錠がかかる音がする。


 締め出された生徒会室の前。

 一人放置された俺は放心状態で廊下に仰向けのまま天井をぼんやりと眺めていた。

 何秒、何分と経っただろうか。次第に冷静になりさっきまでの出来事が逆再生のように流れ込んでくる。

 悠真の静止を振り切って扉を開けたこと。

 悠真が必死に隠そうとしていた秘密を暴いてしまったこと。

 男ではあり得ない体つき。

 そして悠真ではなく――悠那であること。

 そしてこの状況。

 全てを引っくるめて思考する。

「あぁーはいはい、うん。これは」

 最悪の結論が脳内で確定する。

「あーーーー! クソやっちっまった!!」

 廊下に反響して誰に聞かれていようがお構いなしに両手で頭を抱えて嘆く。後頭部の痛みなど最早どうでもいい。

 それよりも取り返しの付かないことをしてしまった。そのショックの方がデカい。

 どうすればいい。どう言い訳すればいい。どう謝ればいい。

 どう考えても最悪の未来予想図しか浮かばない。

「あーこれはもう終わったわ」

 途方に暮れて視線を落とす。

 さっきぶち撒けた資料はそのままだ。

 知ってしまった秘密から目をそらすように俺はひたすら資料を集め始めた。

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