6.来るもの拒めず迎え酒
ー2177年8月7日PM3:25ー
『二日酔いは大丈夫だった?』
──咲楽さんが、笑顔で私に聞いてくる。
太陽の下だと、昨日よりもとても陽気に見える。
『先ほどまでは、頭痛も喉の渇きも酷かったんですが、少し落ち着きました。』
『やっぱり?昨日たくさん飲んでたもんね。昨日のこと覚えてる?私が部屋まで送ったんだよ?』
──1人で帰った気がするが、正直うろ覚えだ。
『本当ですか?それはご迷惑をおかけしました。すみません。』
『なーんだ。つまんない。もっと驚くかと思ったのに。嘘だよ〜』
『この街の人は、お酒飲んだら嘘しかつかないんですか?』
──みんな私をからかってくる。
そんなに酷かったのか?
『他にも嘘つかれたの?やらしい人もいるのね〜』
『咲楽さんもじゃないですか。管理人さんにも、洗濯は川でしてこいって、嘘つかれました。』
咲楽が笑いながら大悟を叩く。
『からかわれてるじゃん‼︎そんなに、二日酔い酷かったんだね。ほら、こっち座って!目の前に二日酔い治してくれるプロがいるから。』
──そういって、隣の席を譲ってくれた。
荷物を下に置いて腰掛けた。少しガタついている。
『ありがとうございます。悟さんが、二日酔いの治し方について詳しいんですか?』
──悟さんが、ご機嫌そうにお酒を飲み干し、笑いながら答えた。
相変わらず真っ赤なお鼻だ。
二日酔いどころか、ずっと酔ってるんじゃないか?
『がははっ。なんだい、兄ちゃん。昨日は律儀に俺の酒断っといて、美女のお酒で二日酔いとは、大した男だよ。二日酔いの治し方はな。迎え酒って言うんだ。試してみるかい?』
『嫌な予感しかしないのですが...』
『やっぱり、咲楽ちゃんから言ってやんないとダメみたいだ。』
──咲楽さんに役を移し、悟さんはお酒を作っている。氷の音が夏を感じさせる。
『えぇ、しょうがない子ですね〜!確かに昨日、私が育てるって言ったもんね。佳奈ちゃんビールちょうだい!』
『ビールね!すぐ持っていく!』
──咲楽さんの注文も早いが、あの子の仕事も早い。空気はまったりしてるのに、店は機敏に回っている。
『咲楽さん、お待たせ!はい、ビール!』
『はい!堕天使先生、ビールの到着です!それでは乾杯!』
『おう、乾杯!』
──何の断りもなく、私はビールを持たされ乾杯させられた。迎え酒とは、ただ、名前の通りだ。考えることすら面倒になってきた。
『ぷはーっ、この時間から飲めるなんて、この街は天国だね!てか、悟さん!言ったとおり二日酔いだったでしょ?』
『咲楽ちゃんも、人が悪いな。初めて飲む男にも容赦しねぇんだから。兄ちゃんも、運が悪かったな!』
『いえ、昨日は楽しくてつい飲みすぎました。私が悪いんです。』
『そうだよ。私悪くないもん。』
──冗談混じりの横顔が、昨日と違って新鮮だ。ビールの味が昨日の記憶を、フラッシュバックさせている。
『これだから女ってやつは、恐ろしくて仕方がない。兄ちゃんも気をつけな。』
『悟さん、さっきまで私の味方だったくせに酷すぎ〜』
──2人は元々飲んでいるからか、私とは時間の流れが違うみたいだ。ついていくのに必死になってしまう。
『兄ちゃん、今日はそんなに買い物して、この街には馴染めそうかい?』
──悟さんが、グラスを揺らしながら私に聞いてきた。
『まだ、わかりませんが、服屋の美紗子さんと両替屋の蓮司さんとは、今日でまた、距離が近くなれたと思ってます。』
『おー、美沙子が他人に優しくするとは、兄ちゃん随分と人たらしだな。色目でも使ったか?』
咲楽がつまみをつつきながら、間に入る。
『美沙子さんなら、私も仲良いもーん。こないだ一緒にみかん食べながら涼んだし。それより、両替屋の人の方が怪しいよ。でも、両方名前知ってるなんて、さすが、堕天使先生は、人に愛されるね!』
『蓮司さんは、見た目ほど怪しい人ではありませんよ。彼は、人を見る目も腕もあります。とても仕事ができて信用できると、私は思います。』
──私も、つまみに手を伸ばし、ビールと合わせてみた。
もつ煮の味噌と七味が、ビールと合わさって口の中に広がっていく。
確かに、これは大人の嗜みといえる味だ。
彼らが、毎日ここで昼から飲んでいる理由が、何となくわかる。
『たった2日で、こんなにたくさんの人と仲良く出来る、兄ちゃんの目と人柄の方が信用できるな。いや、逆に怖いな。上の連中はあんたに、何を教えたんだ?がははっ。』
──言われてみると、まだ2日しか経っていない。それほど昨日はとても濃い1日だった。もう、この街に1週間はいるような気分だ。
『私も、こんなにたくさんの人に良くしてもらえるなんて、橋を渡っているときは思いませんでした。この街に入れば、すぐに鞄を盗まれるんじゃないかと、ヒヤヒヤしてましたもん。』
──私はそう言って、きゅうりの浅漬けとビールを試してみた。夏を感じる。さっぱりした酸味とビールの強い苦味が私の口の中で絶妙に絡み合う。
『わかる。私も最初はそう思ってた。悟さんも、急に話しかけてくるから酒奢れってせがんでくる叔父さんかと思ってたもん。てか、堕天使先生お腹空いてるの?何か頼めば?』
咲楽が大悟にメニューを渡しているとき、悟が笑いながら話す。
『失礼なやつだな。金はなくても、玉無しは酒に金はかからねぇよ。第一酒ってのは、女に奢ってもらうんじゃなくて、注いでもらうもんだ。俺は注いでほしくて、声かけたんだよ。』
『去勢しても、やらしさは残るの〜?悟さん元気すぎじゃない?』
『元気があるから酒が美味いってもんだ。焼け酒ほど苦いものはないね。』
──そう言って悟さんは、ゴクゴク美味しそうに酒を飲み干した。
『んじゃ咲楽ちゃん、注いでくれよ。たまにゃ良いだろ?』
『しょうがないな〜。悟さんだけ特別だよ?』
『おぉ、こんなスラムのジジイを特別扱いしてくれんのかい?優しいとこもあるんだな。』
『私はいつでも優しいでしょ!悟さん、あんまり変なこと言うとお酒薄く作るよ?』
『冗談よしてくれよ。優しい咲楽ちゃんよ。美味しく作ってくれよ。』
『はいはい。堕天使先生は、注文決まった?』
咲楽が、作ったお酒を混ぜながら、大悟に聞いた。
『いえ、まだです。このメニューおかしくないですか?いまの時代は食品、特に肉類は品種、産地、飼育環境、餌など詳細を記載するのが義務付けられているのに、その情報を読み取るコードがどこにもない。これでは、味も、病気になった際の原因追及もできませんよね。』
──悟さんが、笑いながら説明してくれた。
『兄ちゃんは、本当に堕天使だなぁ。ここには、義務もへったくれもねぇよ。第一この辺の飲み屋は、"政府公認"の店ばかりだ。仕入れ先だって、ほとんどが政府からだ。俺ら生活保護者たちに、タダ飯とタダ酒与えるためにな。外交のために貿易で入ってきたが、あんたらが元いた街じゃ売れないものを、ここに流してんだ。鶏肉なんてブラジル産が殆どだろう。あんたらが大好きなオーガニックチキンなんてありゃしないよ。ここの連中は、細かいことは気にせず食いたいもん食べて飲んでりゃ充分なんだよ。』
『政府公認なんですね。それが、また驚きです。本当に横浜とは何もかもが違いますね。』
──私は、もう一度メニューを眺める。
それでも食べたことないものばかりだ。
スラムの料理は、とてもビールに合うものばかりでだ。
それにほとんど知らないものばかりで、何を頼めば良いのかわからない。
『それに、政府が管理しなきゃ誰がツケ払うんだ。俺らにタダ飯とタダ酒くれてばかりじゃ、店潰れちまうだろ?ちゃんと回ってんのさ。』
──悟さんの言うとおりだ。私が気を取り直し何か注文しようとしたとき、咲楽さんが話し始めた。
『私も、はじめは戸惑ったけどお酒飲んでるうちに気にならなくなったよ。だって、楽しいしお酒に合うんだもん。先生もそう思わない?』
『とても楽しいです。きゅうりの浅漬けもこの煮込み料理と、それに小鉢もビールが進んでしまいます。さっきまで重かった身体が楽になった気がします。』
『迎え酒の効果てきめんだね。それに、"悪いことは1人でしない"ことが良いと思うの。笑顔が人を健康にするなら、産地とか気にしなくても毎日元気に過ごせると思わない?先生の”聖書”には、笑顔の効果書いてなかった?』
──夕陽に照らされた咲楽さんの笑顔が眩しくて、私の心は人がいなくなったビーチの波のように、疑念や戸惑いがスーッと静かに引いていった。
『そういうデータもありますもんね。バランスの良い食生活とリスク分散を心がければ、産地を気にしなくても、その可能性はあるのかもしれません。』
『また、固いこと言って〜!たまには理屈抜きで楽しもうよ!メニュー決まってないなら、私が頼むよ!スラムのグルメツアーだと思って、楽しめば良いのよ!』
──そう言って咲楽さんが私からメニューを奪い、いくつか注文した。
『そういや、咲楽ちゃんは、何で兄ちゃんのことを先生って呼んでるんだい?』
悟がもつ煮をつまみながら咲楽に聞く。
『色々と私が教えてもらってるからよ!悟さんにだって先生いるじゃない。』
『そういえば、夏目漱石の作品で猫は、最後酒を飲み酔って死んでしまいます。先生から学ぶのであれば、控えた方が良いのでは?』
『夏に葬式だ?勝手に俺の先生殺すんじゃねぇ!縁起でもないこと言うなよ。せっかくの酒が、不味くなっちまうだろ。』
──悟さんが不機嫌そうに言った。
『夏目漱石ですよ。名もない猫が主人公なのですが、彼が見つけた真理は今の時代にも普遍的に通ずるものがあります。悟さんも読んでみては?』
『誰が好んで、俺の大好きなもので尊敬する先生殺すような救いのない物語なんて読むんだ。そんなもん読んだって、飲む量は増える一方だ。』
──私は、笑いながら夕焼けに染まるこの席での何でもない出来事を、忘れることはないだろう。
こだわりを持って生きることが大切だと思って甲屋グループで日々励んでいたが、"こだわらないことをこだわりにする道"もこの世界ではとても大切なことなのかもしれない。
さて、ビールも空になった。
もう一度頼んで、この瞬間を余すことなく味わおう。
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