5.深酒の洗礼
ー2177年8月7日AM11:45ー
──私はまだ、昨日の夢の中にいる。
"コンコンッ"
『お客さん?起きてるかい?』
"ドンドンッ"
『お客さん?』
──ドアの音で、私はハッと目覚めた。
イテテッ。頭が痛い。神経が張りつめ、頭がガンガンする。
目を開けると痛みが更に増した。
おぼつかない足でとりあえず玄関へと向かった。
吐き気を我慢しながら、ドアを開けた。
『おぉ、いま起きたのかい。チェックアウトの時間はもう過ぎてるけど、どうするよ?今出ていくなら、延長料はサービスしておいてやる。』
──どうやら、このホテルの管理人が、チェックアウトの時間が過ぎているので、様子を見に来たらしい。
『すみません。寝坊してしまいました。とりあえず、1ヶ月に変更できますか?お金持ってきます。』
『寝坊するくらい気に入ってくれたんだな。お金は後ででいいよ。兄ちゃんは、寝坊はするが誠実そうだからな。はっはっはっ。他のやつには内緒だぞ?とりあえず、出かけるときにでも下に持ってきてくれ。俺はソファが恋人だからな。んじゃ、また後でな。』
──笑い声が廊下と頭に響く。
大声で内緒話とはお気楽で良い人だ。
彼がエレベーターに向かってご機嫌そうに歩いているのを、少し眺め私は軽くお辞儀をして、ドアを閉めた。
これが、俗に言う"二日酔い"というやつか。
とりあえず、喉が異常に乾いているし、何か高カロリーなものを食べたい。
シャワーを浴びて、外出しよう。
買い物リストは沢山ある。
私は風呂場へ向かい、服を脱いだ。
早くこのすこぶる悪い体調から解放されたい。
咲楽さんは大丈夫なのかな?
ー2177年8月7日PM0:45ー
──シャワーを浴びて、買い物リストを作成して一息ついていた。
身体が重くて動きたくないが、とりあえず何か飲まないと死んでしまいそうだ。
ちゃんと動こう。
リュックを背負い外に出ようとした。
いや、このリュックもスラムには合わないほど綺麗だな。
いまの格好と釣り合わないことに気づき、置いていくことにした。
私は、リュックを置き、部屋を出て鍵を掛け、エレベーターへと向かった。
エレベーターに乗り、扉を閉めて1階に着くのを待った。
.....。
どうやらボタンを押してなかったらしい。
我ながら心配になる。
1階に着くと、ソファーといちゃつきながら、ビールを飲んで何かを観ている管理人が見えた。
『おお、早いじゃないか。もうお出かけかい?』
『はい。お金もいま払いますね。えっと...』
──リュックの中に入れていたことを思い出す。
『すみません。部屋に忘れたので取ってきます』
──私は、慌てて部屋に戻った。
『急がば回れだな。はっはっはっ』
──再び1階に戻り、私は支払いを済ませた。
『確かに受け取った。9/5まで滞在できる。延長するなら、また、その辺で相談してくれ。俺は"去勢"してるけどあんたのお陰で、また映画を買える。映画とソファとビールがあれば、俺は充分なのさ。ありがとよ。んじゃ、気をつけてな。』
──確かに、テレビではずっと映画が流れている。
『あの、洗濯はどちらですれば良いですか?』
『川だな。泪橋の下の川だ。』
──店主はビールを飲みながら、映画だけを観て真顔で言った。私は驚き聞き返す。
『か、川でですか?この時代に!?』
『嘘だよ。騙されたかい。はっはっはっ。どうだ?目が覚めたろ?あんた少し寝ぼけてるから鵜呑みにすると思ってな。入口から左に行くと通路があるだろ?そこの奥がコインランドリーだ。洗濯も乾燥も10円でできる。洗剤は自分で用意してくれよな。』
──二日酔いとは、笑いより苛立ちの方が湧きやすいようだ。しかし、今ので目は覚めた。この店主に感謝しよう。
『お陰で目が覚めました。ありがとうございます。ちなみに今は何の映画をご覧になられているのですか?』
『おお、これかい?これは、"ラスベガスをやっつけろ"ってやつだ。掘り出し物で見つけたずいぶん古いやつだ。記者と弁護士を名乗る二人が、今の時代じゃありえないような感じで、ホテルのスイートルームを借りまくって、ドラッグやりまくって、ツケて、壊して逃げ回る話だ。昔の人間がこんなでたらめな奴らだらけだったなら、こんな管理社会で監視が徹底されてもおかしくはねぇな。アメリカってのは、いまも昔もぶっ飛んでるぜ。"良い奴は良いビールを飲む"なんつってな。はっはっはっ。』
『とても古い映像ですが、本当に色々な映画をお好きなんですね。今度詳しくお話し聞かせてください。ありがとうございます。では、買い出しに行ってきます』
『おう。気をつけてな。』
──私は外に出た。光が目を刺すように眩しい。サングラスも買おう。
ー2177年8月7日PM1:15ー
──私はいつもよりゆっくり歩いている。なぜなら、いまの身体は操り人形のように、少し離れたところから操作している気分だからだ。そして、暑い。日陰が少ないため、日陰にいる時間を長めにしておきたいのだ。
前から男3人が並んで歩いてくる。
少し端に寄ろう。そう思い、避けて歩いたが結局絡まれた。
『よお、兄ちゃん。見かけない顔だなぁ。ここのもんかい?』
『いいえ、昨日来たばかりです。』
『そうかい。あんたは、ここに何しに来たんだい?スラムで、商売でもやるつもりかい?』
──ポケットから手を出し、彼らの縄張りをアピールする仕草を目にしたが、気分が悪く、構ってられない。3,000円もあれば片付くだろうか。
『いいえ。ただ、あまり人に話す気にはならないんです。』
──私は、左足を半歩だけ斜め前に出してみた。
目の前の男が、足と腕を組みかえ話す。
私とチンピラの間を、生ぬるい風が吹き抜ける。
『なんだ、心配するなよ。俺らが、相談に乗ってやっても良いんだぜ。後で、しっかり感謝してくれればな。』
──この程度なら、お金もいらないだろう。
『結構です。急いでいるのでそれでは。』
──喉がカラカラで、喋るのも億劫になってきたので、私は立ち去ろうとした。
『ちょっと待てよ。話は終わってねぇよ。俺たちが、何を言いたいかわからないわけじゃないよな?』
──私がしらを切ろうとしたとき、声が聞こえた。
『てめぇら、何やってんだ?』
──チンピラ達が、急に縮こまり挨拶した。
『れ、蓮司さん、お疲れ様です。』
『よぉ、省吾。ここで何してんのか教えてくれよ。』
──省吾とかいう目の前のチンピラが泳いだ目で気まずそうに答える。
『見かけない顔の奴が歩いていたので、"この街のルール"ってやつを教えてあげようと思ってですね...。』
──どうやら、両替屋の蓮司には頭が上がらないようだ。
『お前がか?やめとけ。この人は、俺の太客だ。俺はいまこの人から大仕事任されてるんだ。それを何か、お前はそれを台無しにしようってのか?それとな、昨日この人に仕事を任されて、口で相撲とろうとしたら、俺があっという間に土俵に追い詰められ負けた相手だぜ?お前が勝てるのか?』
──蓮司は上手い。昨日も思ったが、引き際も追い詰め方も、しっかりと熟知している。お陰で助かった。
『え!?蓮司さんがですか?あ、ありえない...。』
『お前ら、俺が間に入らなかったら、コテンパンにされてたぜ。わかったらさっさとどっかいけ。それとも俺が、この街のルールお前らに教えようか?俺のは、お前らより高いぞ?』
『勘弁してください。すみませんでした。』
──チンピラ達は足早に去っていった。
『よぉ、旦那、災難だったな。いま車取りに来たんだけど、これからあんたに頼まれた仕事で出かける予定だ。千葉の方まで行くから、明後日になるけど約束の時間までには店にいるから、よろしく頼むよ。』
『千葉まで行かれるんですね。両替は、そんなに遠くまで行かないとやってくれないんですか?』
蓮司はタバコに火をつけ、答えた。
『スラム近辺はややこしくてさ、銀行も相手してくんねぇのよ。千葉の方のコネがある銀行まで走んのさ。一応ほら、これは両替屋の営業許可証。他にも色々あるから、手続き長いと面倒で困っちゃうんだよ。あと、千葉に着いたら用事があるから、少し遅くなるってわけ。』
『商売は苦労が絶えませんよね。でも、忙しい内が華ですもんね。頑張ってください。』
──蓮司がタバコを踏みつけ、私を見た。
『おう、ありがとよ。また、何かあったら俺の名前出しな。気をつけろよ。んじゃ、一仕事しに行ってくる。』
──少しだけ彼を見送り、私は商店街へ向かった。
ー2177年8月7日PM2:05ー
──商店街に着いた私は、コーラを買い、がぶ飲みしている最中だ。
通りに水が撒かれてるおかげで風は、先ほどより気持ちがいい。
あぁ、生き返る。どこの国に行ってもコーラだけは美味いとはよく言ったものだ。
氷と書かれたレトロな旗があちこちにぶつかりながら店内を扇いでいる。
普段は飲まないが、今日はあと2本は飲める。
私は空き缶を捨てて、ペットボトルのコーラと洗剤、ブレンド茶、シャンプーセットなどを買い、服屋に向かった。
服屋のある路地は、日が当たらないので助かる。
ベンチがある。少し座ろう。
私はベンチに腰掛け先ほど買い足したコーラを開けた。血糖値はいまは気にしないでおこう。コーラが空っぽの胃を刺激して変にまとわりつく。
締めのラーメンという文化があったことの意味を、今は少し理解できる。
『この街にラーメン屋なんてあるのかな。』
『兄ちゃん...タバコあるかい?』
──しゃがれた声が聞こえた。前に小柄の痩せ細ったおじいさんが立っていた。何だか震えている。
『すみません。持っていません。』
『そうかい。...タバコあるかい?』
『タバコですか?』
──私は吸う動作をして聞き直した。
『...そう。...タバコ...』
『持ってません。』
──手を横に振りアピールした。
『そうかい...』
そう言い残すと、ゼンマイを巻いたおもちゃのように小幅で歩き、路地を抜けていった。
......色んな人がいるようだ。
よし、そろそろ服屋に行こう。
先ほどみかんも買っておいたのだ。
服屋に入ると店主の女性は椅子に座りながら、扇風機の前で器用に昼寝をしていた。
両手を口の前で開き、あまり大きすぎない声で、話しかけてみた。
『ごめんください。』
店主の女がはっとして、起きる。
『あら...あんた昨日の、何かあったのかい?』
『はい、実はタオルなどを買い忘れてしまって。こちらに売ってますか?』
『うちはタオル屋じゃないんだけどね。あんたみたいな人が絶えないから、用意してあるよ。ほら、あそこ。』
──また、ぶっきらぼうに指を指して教えてくれた。
『ありがとうございます。今日はみかんを買ってきたんです。良かったらぜひ。』
『あら、あんたは昨日から随分と調子が良いね。私を口説いてるのかい?可愛い顔してるんだから、D地区で遊んできなさいな。』
『いえいえ。昨日からとても助かっていますので。』
──店主の女性が、レジに肘をつき顔を傾けて不思議そうに話す。
『私は商売してるだけだよ?あんたは不思議な子だね』
『そうですかね。あっ、タオル選んできます。』
──そう言って、私はタオルを何枚か手に取りレジへ戻った。
『550円』
──やっぱり安い。だが、安すぎる。
『ちょうどあります。』
──私はお金をレジに置いた。
『ありがとね。また、いつでも来な。私は美紗子よ。あんたは可愛い顔してるから、暇つぶしにでも寄ってきたら、みかんの皮くらい剥いてあげるよ。』
『私は、大悟って言います。そうですね。今度一緒にみかん食べながら、この街のこと教えてください。それでは、また来ます。ありがとうございました。』
『はいよ。ありがとね。気をつけなよ。』
──2日連続来て不機嫌になることを想定して、みかんを持っていったが、逆に気に入られたみたいだ。彼女からスラムの事情も知れるとありがたい。今度、ちゃんと顔出そう。
ー2177年8月7日PM3:20ー
──私は裏路地を抜けて、右側を見てみた。
陽はまだ高い。暑さはまさにピークだ。
昨日と同じくみんな賑やかで、この時間から飲んでいる。
その中にやはり、悟さんらしきシルエットの男性がいる。
誰かと、話しているみたいだ。
昨日のお礼だけしてすぐ帰ろう。
私は、恐らくいつもの席に座っている悟さんに向かって歩を進めた。
『いやぁ、今日も酒が美味いねぇ。あいつはやっぱり面白いやつだ。』
──悟さんの声とグラスを置く音がここまで聞こえる。
今日も上機嫌だ。あの人が不機嫌になることあるのだろうか?
何をされたら怒るのだろう。
.....あ、猫か。
そんなくだらないことを考えてるうちに、悟さんが私に気づいた。
『よお、兄ちゃん。随分大荷物だな。買い物帰りかい?暇なら、こっち座りなよ。』
『こんにちは。はい、買い物帰り悟さんが見えたので、昨日のお礼だけでもしようかと思って。あれ?』
──グラスのお酒を飲み干し、空になった中身で氷がぶつかる音と同時に彼女が振り向いた。
『やっほー‼︎昨日ぶり〜』
『咲楽さん...』
──悟さんと飲んでいたのは咲楽さんだった。
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