2.大悟と蓮司とみかん女


ー2177年8月6日PM3:20ー


──悟さんと別れたあと、私は北へ向かい、3軒先を右に曲がった。

薄暗い路地の少し奥まった場所に、外へ無造作に吊るされた服がいくつか見える。

きっと、あそこだ。


扉は開放されていて、奥のカウンターでは女性がみかんを頬張っていた。

その姿は店番というより、店主が昼寝の途中に誰かが紛れ込んでいるのような緩さだ。


『いらっしゃい。』


──低い声が、みかんを頬張る合間に聞こえた。


『どうも。初めまして。私に合うサイズの服を探しているのですが、ありますか?』


──女性は何も言わずに、右側を指差す。

私は軽く会釈をして、示された方へ向かった。


ラックには古びた服が雑多に並んでいた。

軽く何着か手に取ってみる。タグの数字はどれも250円。


安い。だが、安すぎる。


ジーンズ、シャツ、靴を数種類のコーデを合わせても合計で2,500円ほど。

確かにこの街では、私の服装は異物だろう。


『これでお願いします。』


レジらしき机の上に服を置くと、女性が無愛想に言った。


『2,500円。』


『これでお願いします。』


──私は1万円札を差し出した。

だが、彼女は顔をしかめた。


『ダメだね。お釣りなんてないわよ。』


『お釣りがないなら、1万円分ちょうど買います。少し見てきます。』


そう言いかけると、彼女はみかんの皮をテーブルに投げ捨て、ため息をついた。


『それもダメ。1万円札なんて、いらないのよ。』


『……どういう意味ですか?』


──やれやれ、という仕草を見せながら、ようやく説明してくれる。


『この街の値段、見ればわかるでしょ?

1万円札なんかで買い物する場所じゃないの。

この街は基本1,000円以下で収まるのよ。

千円札以外必要ないわ。』


『では、どうすれば……』


『両替してきなさい。路地のずっと奥に両替屋があるわ。

そこに行けば、替えてくれるわ。

ほら、さっさと行ってきなさい。店閉めるわよ。』


両手で追い払われた私は慌てて店を飛び出し、この路地の奥の方へと向かった。


みかんを頬張る姿とは裏腹に、なかなか忙しない人だ。


ー2177年8月6日PM3:45ー


──奥の方に見てみると、両替と書かれた看板が薄暗く光っていた。

この通りは何というか、鼠が好みそうな雰囲気がある。

湿った空気がこの路地の雰囲気を、より不気味にしている。

服屋より奥はシャッター街のようだ。


凝ったスプレーアートの隣には、殴り書きに近いものが乱雑していたり、スラムと言えば想像してしまう”あれ”だ。


怪しい古本屋を抜けて、両替屋の黒い扉を開けて中を覗いてみると、スキンヘッドで口にピアスをあけたいかにもな男が、1人でタバコを吸っていた。


男は私を見て、ゆっくりと火を消し訪ねてきた。


『いらっしゃい。何かお困りごとでも?』


──両替以外にもやっているような口ぶりだが、気にしないでおこう。


『はい。1万円札が街中で使えないので、両替をしてほしくて訪ねてみました。』


『そういうことですか。千円札1枚10円でできますが、1万円で?』


── 1枚10円。つまり1%。暴利か、あるいはこの街のルールか。


『ちなみに、何枚までできますか?』


『.....。ちょいと数えるのでお待ちいただけます?』


男はそう言って金庫を開けてまた、タバコに火をつけ数え出した。


『いまは、86枚までならいけるかな。さあ、何枚にいたしましょう?』


『そしたら、それ全てお願いします。ちなみに500円玉はありますか?』


──両替屋に行ったのに、2,500円のものを購入してお釣りをせがんだら、またあの女性に怒られそうだ。


『全部!?まさか偽札じゃないですよね?』


『それはこっちのセリフです。10万あります。確認してください。残りの4,000円を500円玉に交換お願いします。』


──男は頭から足先まで静かに私を目でなぞり、私の出したお札を確認しながら話を続ける。


『確かに本物だ。んじゃ、手数料引いて9万9千円のお返しで良いですか?』


『いいえ。手数料はこちらでお願いします。』


──私はそう言い、一万円札をそっと差し出した。

男は困った顔をしながらこう返す。


『.....。お釣りはありませんよ?』


『いえ。追加で仕事を頼みたいんです。残りの90万円分を両替するために、お金を調達してほしいのです。90万円は先払いで構いません。』


男はややニヤつきながら、眉を少し上げ答えた。


『それはお安い御用ですが、見ず知らずの俺に急にそんな大仕事を頼んで、”裏切られない保証”でも?』


──私も少し笑いながらこう返した。


『ええ、ありますよ。あなたは、ここで商売をしている。ということは、去勢をしていませんよね?目的は知りませんが、それは何か目標か楽しみがある証拠だ。私はここに来るまでに、先ほどの服屋を含め、何人かに接触しています。そして、あなたも私の素性はわからない。もしかしたら、私には追っ手がいて、私に危害を加えたり、殺害を行えば、ここに来るまでに接触した人たちや追っ手のせいで、足がつくことになる。それはあなたの楽しみや目標の足枷になるのでは?』


──ほう、という顔をしながら口を少しすぼめたあと男は、


『確かにそうですね。』とだけ言い、私は続けた。


『そして、あなたが現在いくら持っているのか知りませんが、私がいま出した100万円は、ここスラムでは大金かもしれません。しかし、スラムを出れば、そのお金で長くは続かない。それに、私はこの場所であなたの望みを叶えてあげられる"唯一の存在"かもしれない。長期的にみて、私と手を組む方が、あなたにとってメリットが大きいはずですよ。それに、簡単に手に入れたお金は、”大事に使わない”ですからね。』


男は笑いながらこう言った。


『はははっ、気に入った。これは俺の負けだ。確かにあんたの言う通りだ。それならそうと、いっそ儲けさせてもらうよ。両替には3日はかかると思ってくれ。3日後の同じ時間に、また来てくれると助かる。』


『かしこまりました。3日後ですね。とても助かります。』


『それにしてもあんた一体何者だい?鎌かけてみたら、一瞬で俺を土俵際まで追い込むなんて。ただ者じゃないのは確かだが、裏の世界の人間にも見えない。』


『あなたもきっと知ってるけど、忘れている。そういう男です。』


『そうかい。まあ、何はともあれこれが今回の両替分だ。俺は”蓮司”って言う。これから長い付き合いになるなら、1つよろしく頼むよ。旦那。』


──蓮司はそう言い、私に両替分のお金を渡した。


『ありがとうございます。私は大悟と申します。こちらが先払いの90万円です。ご確認ください。こちらこそこれからもよろしくお願いします。』


『大悟さんか。確かに聞いたことあるような...。まあ、また3日後待ってるわ。他にも何か手伝えることあったら、何でも言ってくれ。』


──彼と小さく握手を交わし私は店を出た。


彼はまた、タバコに火をつけ、

上機嫌にどこかに電話する声だけ聞こえた。



ー2177年8月6日PM4:20ー


──私が早足で服屋に戻ると店主の女性が、不機嫌そうに叫ぶ。


『あんた、両替にどれだけ時間かかってるの!この路地の一歩道を迷ってたわけ?』


──私は、苦笑いをしながらなだめるように答えた。


『いえいえ、少し混みいった話があったもので...。申し訳ございません。』


『まあ、いいわ。2,500円ちゃんと両替してきたんでしょうね?』


『はい。ちゃんとしてきました。こちらお代です。』


──そう言って私は、お金をレジに置いた。


店主の女性が、頭でも打ったのか心配そうに私に聞く。


『3,500円あるわよ?あなた変な薬でも飲まされてきたの?』


『いいえ。これは、待たせてしまった"迷惑料"です。受け取ってください。ご迷惑をおかけしました。お陰で色々と助かりました。ありがとうございます。』


──彼女は、肩を撫で下ろし顔を傾けながら私を見て答えた。


『あら、そう。なら、受け取っておくわ。でも、こんな貧乏店主に媚び売ったって何も出ないからね。』


──どうやら機嫌を直したようだ。


『それではまた、何か必要な物ができたらお邪魔させていただきます。ありがとうございました。』


『はいよ。』


──軽くお辞儀をして、私は店を出た。


後は宿を見つければ今日はようやく休める。


日が暮れる前に、重たい荷物を下ろそう。

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