恋愛免許証

@Bootleg_Buddha

プロローグ

プロローグ

愛に笑い、愛に泣く。


愛が去って、また誘われる。




愛で争いが生まれ、愛で平和が訪れる。




この矛盾に満ちた存在を、人類は何万年も追い求め、彷徨い続けてきた。


国の発展のために。村のために。家族のために。


あるいは、己の一晩の欲のために。




いつしか恋愛は“自由”を手に入れた。


だが、テクノロジーとAIの進化は、人間を次々と淘汰し始めた。




21世紀末の米国の失業率や新規雇用の失速は著しく、アメリカンドリームはAIによって阻まれ、蜃気楼と化した。




失業保険の交付は遅延を重ね、米国民の多くは路頭に迷った。


大規模なデモが巻き起こり、街は荒れ果て、自由の女神は破壊された。




その影響は、世界中に津波のように広がっていった。




政府や国連、IMFはあらゆる策を講じたが、どれも失策に終わった。


結局世界は二分化が更に進み、その結果として金の価格は10,500USD/ozまで上昇した。




この地球は、未だに"楽園"を創ることにこだわり、手こずっている。




巷では、安価で粗末な薬物が流行し濫用され、強姦、DV、孤児などが激増。


社会から受けたストレスやトラウマは、更に弱い者へ伝染するのが人、いや、動物がつくる社会の歪みだろう。


男女間のもつれから企業同士の争い、政府とレジスタンスの対立や難民問題。




この世界は今もなお、コンクリートジャングルの中で、熾烈な弱肉強食を繰り広げている。




まだ人類にとってニルヴァーナは、木星より遠いようだ。




かつて"自由を手に入れた恋愛"は、テクノロジーの進化だけでは、お互いを深く理解することができず、今や恋愛には「国家資格」が必要になっている。




おかげで、DV、孤児、産後うつ、


冷え切った夫婦仲──あらゆる問題は劇的に減った。




とても、素晴らしいことだ。




職を失い、暴徒化する者たちは、


生物としての根源的な本能すら満たすこともできなかった。


知識がなければ、他者を理解し、


長期にわたって信頼し合うことはできない。




国はこれらの問題を根本から改善すべく、


AIによる膨大なシミュレーションの末、


ついに、過去から見れば狂気とも言える制度


──「恋愛免許証」の発行に踏み切った。




その結果、新たに産まれてくる子どもたちは、質の高い教育を受け、衣食住に不自由せず、夢と希望をもって生きる"確実な未来"を手に入れた。




試験に合格するには様々な知識が必要で、愛着理論、共感能力、性格、社会的地位、遺伝子の優位性、医学、コミュニケーション能力、心理学、男女別オーガズムの知識......。




──要は、AIに判定される時代になったのだ。




科学の発展とは、テクノロジーやAIだけではなく、心理学や医学、脳科学なども含まれ、人は"真理"に近づいているのだから。




”お前に、人を愛する資格など無い”


かつて、比喩的に使われていたこの言葉は、現実のものとなったのだ。






しかし、平穏を得るには、ある程度の大胆さと残酷さがつきものだ。


当初、批判が殺到したこの制度に、私は反論することができない。




──なぜなら、私はこの制度に”初めて合格した夫婦から生まれた子ども”だからだ。








── 2145年10月11日。


人々が秋の訪れを感じると共に私は生まれ、恋愛免許証取得後、初めて正式な結婚をした両親の間に産まれた子どもとして、世間を騒がせた。




2140年から"無免許での性行為"は違法となったため、公式記録上で私は5年ぶりに出生した子どもであり、同級生や幼馴染みなどといった者は存在しない。




学年が上がるたび、少しずつ下級生が増えていった。




"あなたが、これからの社会を創り、みんなを導くのよ。"




愛する両親や周りの大人は、私にそう言ってくれた。




"やっぱり大悟先輩は1番頼りになるね。"




下級生はみんな私を慕い、そう言ってくれた。




──別に嫌だったわけではない。


私自身もそう信じ、この国のために、家族のため、私を信じてくれている人たちのため、そして何より自分のために、子どもの頃からずっと"先頭"を走り続けてきた。




逞ましく成長していく私を疑うものなど、誰もいなかった。




大学では経営を学び、父の跡を継ぐ準備をした。


その合間にも、片手間であったが医学、心理学、地政学、宗教など他にも様々な学問や研究に触れてきた。




本だけが、私と同じ目線でそばにいてくれる唯一の存在だった。


そんな私の話を、教授もよく聞いてくれた。




なぜそこまでしたかと言われると、


愛する両親が取得した恋愛免許証を私自身も取得できるように。


そして、未来の愛する妻のため、この先産まれる子どものために。




私たちは、常に自然や時代に淘汰されぬよう進化を続けなければいけない。




私が怠惰に飲まれ退化する道、停滞する道に甘んじてしまえば、産まれる我が子や孫、曾孫の世代、更にその先まで不幸やトラウマは遺伝してしまうからだ。




しかし、いつだって誰だって人間は愚かで哀れな存在だ。


私自身も例外ではない。




歴史を遡り学んでみれば、文明の発展や人の偉業に感銘を受けると同時に、人間の滑稽さが如実に書き記されてる。




仏陀が"この世は苦だ"と断言したのなら、


私は"聖人など存在しない"とラップでも歌おう。




──だからこそ、私は歩みを止めずに、


"免許証"を手に入れることができたからだ。




しかし、強い光は強い影を生む。


雲ひとつない晴天が、夜を一層と静かにするように。






ー2177年8月6日PM1:25ー




──そんな私はいま、実の弟に裏切られて策略に嵌り、跡取りとして順風満帆な人生から転落した。


恋愛免許証も剥奪され愛する妻を失い、現代の泪橋と呼ばれる橋を溜め息混じりで渡っている。




ここ湘南の相模湾は潮風がただただ強く、いまのか弱い私は、飛ばされぬよう小さな歩幅で、この汚く今にも崩れそうなやたらと長い橋に嫌気を指している。




海と太陽は人を開放的な気分に押し上げてくれる自然の恩恵かもしれないが、いまの私は何かに照らされると気が気ではない。




ここから先のスラム地区にかかった橋を渡ると、一気に低所得者や流れ者、反逆者などで溢れかえっていると聞く。




いっそこの橋から海に身投げでもしてやりたいが、この手すりを超える気力すらないのだ。




──なぜ、実の弟は私を裏切り、陥れたのだろう。




後から生まれた者は、先に生まれた者を超える運命だとしても、これは陥れてるのであって超えていない。




弟は、私を慕っているとばかり思っていた。




──いや、もう考えるのはよそう。




少し歩き疲れたようだ。




歩く行為は人の脳が活性化してしまうので、これ以上歩くのは危険だ。




橋を渡ったらどこか座れる場所を探そう。




──あぁ、怖い。


今まで、1人で黙々と頑張ってきたことは何度もあったけど、それでも私の功績や悩み、起きた出来事は気軽に誰かに話せた。




しかし、もう話せる人は誰もいない。




──桃香はいつも私が帰るたび、笑顔で迎えてくれた。


いつも彼女から話始める。


今日の出来事。少し遠くまで買い物に出かけた話。私の話を聞いた後、欲しかったものが安く買えた話。


久しぶりに会った大学の友人と行ったカフェの話。




他愛のない話の最後に"あなたは今日どうだった?"と聞き返してくれる。


そのときの彼女の顔に何度癒されただろう。




彼女を抱きしめたとき、隣で寝ているとき感じる彼女の香りが懐かしい。




──彼女と出会ったのは6年前。


免許証を取得したばかりの私は、親の紹介でお見合いをすることになった。




その相手が桃香だ。




酒は前頭葉の働きを弱めるため、ホテルのレストランでは、酒の味をほぼ完璧に再現したドリンクと、タイミングまで計算されたコース料理を嗜みながら、お互い理性を保ち会話を楽しんだ。




レストランの雰囲気を包み込む、心が弾むグルーヴなジャズに乗せられ、艶やかなシャンデリアに照らされた似た者同士の私たちは、すぐに打ち解けた。




私は彼女の一挙一動に酔ってしまった。




もちろん彼女が試験に合格し、言葉でもノンバーバルでも、彼女のコミュニケーション能力は、この国の上位に匹敵するのは間違いないことなのに。




私は彼女の声が好きだった。


透き通っていて、夏のビーチと麦わら帽子が似合う素敵な声だった。




その声で朝を迎えられたら、寝る間も惜しんで聴いていたくなる。


けれど、早く眠って朝いちばんに聴きたいとも思う。




その矛盾が心地よかった。




──話すときの目、唇の動き。


ふと触れる髪の毛の艶。細く透き通った指で表す仕草。


その全部が、私を少しずつ侵食していった。


気づけば、私の心臓は彼女を感じるために動いている気がした。




彼女にも夢があった。


その夢を叶えたあと、「家庭に入って、誰かを支えたい」と言った。




その“誰か”が自分であってほしいと願った瞬間、私はもう逃げられなくなっていた。




私にとって彼女のためなら犬馬の労をとることなど、飴玉を舐めるのに等しかった。


仕事人間だったわけではない。


彼女に会えない時間は自己投資と仕事に勤めた。




仕事人間なだけでは浅はかな人間になると思い、私は自分の人生を満喫するため、彼女を飽きさせないために、様々な芸術やスポーツ、学問を堪能した。




家族とも定期的に会い近況を報告し合い、絆を深めていたつもりだ。




──なのに、なぜ弟は私を裏切ったのか。




あぁ、やっぱり歩きすぎた。


思考の回転速度が速すぎる。




侏儒の言葉を借りるなら、"幸福は不幸の種子であり、不幸は幸福の母"だと言う。


私の幸福から生まれ育ったこの不幸の木は、また甘い果実を実らせ、私に落としてくれるのか。




いまの私には、わからない。




スラムに着いたら、まずは座れる場所を探そう。

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