株がほとんど分からないのに運用ごっこをしていた会社、クビになった私が救う話

@pepolon

第1話 減るって言ったら即クビの投資部門

金曜17時半。

外はもうオレンジが抜けて、窓ガラスにオフィスの蛍光灯だけが映ってる。

会社の小さい会議室には、どう見ても“これから大事な運用を決めます”って顔をした人たちが4人。

でも机の上にあるのは、せんべいとペットボトルのお茶と、コンビニのプリン。


モニターには証券会社の画面。

けど、ほとんど動いてない。

真ん中にでかく「現金 5,500,000円」。右下にちょこんと「保有株 280,000円」。

……それ、ほんとに投資って言うのか。


上座にいるのが御堂課長(42)。グレーのスーツに、ちょっと高そうなネクタイ。

腕を組んで、ゆっくりといつもの台詞を言った。


「今月も“安全運用”でいきます。現金は目減りしてません」


部屋の空気が「よかった〜」になった。

誰もまだ、株の話をしていないのに。


俺――長谷川 凛は、そこでA4を配った。

自分で作った、1枚完結の投資メモだ。インクの匂いがまだ残ってる。


【銘柄A】買付理由/想定ホールド/中止ライン

・国内需要が今期盛り返してる

・ニュースが月末に出る予定

・ここまで落ちたら一回やめる(3%)

・再エントリーは指標を見てから


御堂がそれを持ち上げ、眉をひとつ上げる。

周りの空調の音がちょっとだけ大きく聞こえた。


「……“中止ライン”?」


「はい。ここまで下がったら、いったん現金に戻す場所です」


「うちはね、そういうの言わないの」


「でも実際には下がるので」


「下がるって言うなって。怖いから」


御堂はイスをきいっと鳴らして、モニターに視線を戻した。

右のほうで、先月みんなで“安全そうだから”って買った地味な株が、わずかに赤くなって点滅している。

誰も触れない。


「怖くないように、先に書いてるんです。

 “ここまでなら許す”って決めておけば、パニックにならないので」


「だからそういう現実を持ち込むなって。

 うちは“預金で寝かせるのはもったいないから、ちょっとだけ運用してま〜す”って上に言う部署なの。

 “ちょっとだけ負けることもあります”って言ったら、もうそれ投資じゃなくなるの」


後ろの席で、保科先輩(つみたてNISAしか知らない人)がうんうん頷く。

隣の山名さん(元・経理で、株は「評価差額ってやつでしょ」レベル)も、資料をろくに読まずにうんうん頷く。

全員の目が、「そうだよ凛くん、ここはそういうとこだよ」に寄っていく。


俺はモニターを指した。


「でもこれ――」


赤く点滅している地味株。

外食チェーンの親会社。配当がいいからって満場一致で入れたやつだ。


「これ、マイナスですよね」


御堂の視線が一瞬だけそっちに飛んで、すぐ戻る。


「見なきゃマイナスじゃないんだよ」


「え」


「見なきゃ、だよ。

 評価を開かなきゃ、今月も安全運用。

 “今月も預金が減ってませ〜ん”って言える。

 だからいちいち“ここでやめます”とか書くなって言ってんの」


「見ないでおく投資なんですか?」


「そう。“見ない投資”」


「じゃあ買わなくてよくないですか」


「バカ。買ってるって言わないと、『投資部門なにしてるの?』って言われんだよ。

 でも“負けました”って言ったら『じゃあやめなよ』って言われんだろ。

 だから“買ってますけど負けてません”って状態を保つの」


「……」


あまりにも堂々と言うから、一瞬だけ笑いそうになる。

でも御堂の顔は真剣だ。これは彼にとってはルールなんだ。


「でも課長、株って“動く”ものですよね。

 動くってことは、いつかは下がるじゃないですか。

 下がったときに“ここまでなら想定内です”って言えるようにするのが、この――」


A4を指でトントンと叩く。


「これなんですけど」


「うちは“想定内の負け”って言わないの。

 “負けてません”で行くの。

 そうすりゃ俺も昔みたいに――」


そこで御堂はぴたりと口を止めた。

ほんの一瞬、バツの悪い顔をした。

何を言いかけたのかは、そこで飲み込んだ。俺は追わない。


すぐに彼はいつもの顔に戻って、言い放つ。


「とにかく、そういう現実主義は要らない。

 お前がいると“減ることもあります”って雰囲気が広がる。

 だからお前が出てけ。はいクビ。」


「早くないですか」


「早いよ。だけど一番早く切るのは“減るって言ったやつ”からって、俺は決めてんの。

 “株って減るんだよ”って言い出すやつがいると、全員が“じゃあ見たくない”ってなって、俺の“安全でした〜”が崩れるの」


「“安全”って言うなら、買う前に“どこまでが安全か”書いたほうが安全ですよ」


「それ言われると、俺が今まで安全じゃなかったみたいになるだろ」


「実際には?」


「……」


御堂はモニターをチラッと見た。

赤い。

でも「赤い」とは言わない。そういう人だ。


「とにかく。ここは、そういう“ちゃんとやる投資”をするところじゃない。

 “怒られないで済む投資”をするところ。

 ゲームが違う。お前は違うほうのゲームやりたいんだろ。だったら出ろ」


会議室の外、廊下のLEDがまっすぐに光ってる。

俺はA4をしまわずに、最後だけ言った。


「じゃあこれだけ置いていきます。

 『買う理由』と『やめる場所』を同じ紙に書けば、株がわからない人でも後から説明できます。

 “言わなきゃ減ってない”でやると、本当に減った日だけ地獄になるので」


保科先輩が小さく「それは分かるかも…」と呟いた。

でも御堂がすぐかぶせる。


「分かるな。分かるな。分かったら『今までどうしてたんですか』って話になるからな。

 いいから出てけ。ここはずっと安全でやってんだよ」


「はい。じゃあ“投資したいけど安全かどうか不安”って困ってる人のところに行きます」


ドアを開けると、夕方のビルの空気がひやっと入ってきた。

振り返ると、会議室の中で御堂たちがまだモニターを見ている。

さっきよりも、赤い点滅が増えてるのに、誰も「下がりました」って言わない。


――分かった。

ここは“お金を増やす場所”じゃない。

“お金が減ってるのを誰にも見せない場所”だ。


だったら俺は、ほんとに増やしたいけど「怖い」って言ってるほうに行く。

そっちはまだ、書いた紙をちゃんと読むはずだ。

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