第三節「仁徳の選択」

劉備は馬を駆り、戦場を横切った。


目指すは織田本陣。三つ巴の戦いの最中、敵将に警告を伝える。それは戦の常識では考えられない行動だった。


「主公!お待ちください!」


趙雲が追いかけてくる。劉備は振り返らず、ただ前を見据えた。


「子龍、孔明の言う通りだ。曹操が織田本陣を狙っている」


「それはそうですが、織田は我らの敵...」


「敵も味方もない。目の前で死ぬ者を見過ごすことはできぬ」


劉備の声には、揺るぎない信念があった。趙雲はその背中を見つめ、そして頷いた。


「...承知いたしました。お守りします」


---


織田本陣では、信長が戦況を見ていた。


劉備軍は鉄砲隊に押され、徐々に後退している。曹操軍は動きを潜めている。このまま劉備を削れば、曹操との一騎打ちに持ち込める。


「殿、劉備軍がこちらに向かってきます!」


伝令の声に、信長の目が鋭く光った。


「何...劉備自らか?」


「はっ、少数ですが、確かに劉備の旗が...」


秀吉と家康が顔を見合わせる。なぜ劉備が、このタイミングで織田本陣に。


やがて、劉備が馬を止めた。本陣からわずか数十メートルの距離。鉄砲の射程内だった。


「織田信長殿!」


劉備の声が、戦場に響く。


信長は無言で劉備を見つめた。この男が何を言うのか。罠か、それとも...。


「曹操が貴殿の本陣を狙っている!張遼と許褚が動いているはずだ!」


その言葉に、信長の周囲が騒然となった。


「劉備め、我らを惑わす気か!」


「罠だ、殿!射殺しましょう!」


だが、信長は手を上げて制した。


「...劉備、貴様は何故それを俺に伝える」


「敵も味方もございません。ただ、目の前で人が死ぬのを見過ごせぬだけです」


信長の目が、劉備を射抜いた。この男は本気だ。敵である自分に、策略を教えている。


「信じろと?」


「信じる信じないは、貴殿次第です。私はただ、伝えるべきことを伝えただけ」


劉備は馬首を返した。背中を晒したまま、ゆっくりと本陣から離れていく。


秀吉が思わず呟いた。


「殿...劉備殿は、本当に...」


信長は沈黙していた。そして、ふと視線を戦場の左手に移した。


そこには、曹操軍の旗が動いている。劉備軍でも織田軍でもない、明らかに別の動き。


「...フッ」


信長は不敵に笑った。


「劉備玄徳...貴様、面白い男だな」


---


曹操本陣では、張遼と許褚が出陣の準備を整えていた。


「文遠、いいか。織田信長の首を取れば、この戦は終わる」


「承知しております」


張遼は冷静に答えた。その傍らで、許褚が巨大な身体を揺らす。


「俺は主公を守る。だが、織田の首を取るのは俺の役目だ」


「仲良」


荀彧が静かに二人を制した。


「お二人とも、油断は禁物です。織田信長は只者ではありません。そして...」


荀彧の視線が、戦場を横切る劉備の姿を捉えた。


「劉備殿が、織田本陣に向かいました」


曹操の目が細まる。


「...やはりな」


「主公?」


「諸葛亮が何も手を打たぬはずがない。あの男は、俺たちの動きを読んでいた」


曹操は舌打ちした。赤壁以来、何度となく諸葛亮の策に翻弄されてきた。だが、今回は...。


「文若、張遼、許褚。予定通り行け」


「しかし、主公...」


「劉備が警告しようが、織田が信じるかどうかは別だ。そして、たとえ信じたとしても...」


曹操は不敵に笑った。


「俺たちの武は、揺るがん」


---


織田本陣では、信長が決断を下していた。


「勝家、藤吉郎、元康」


三人が揃って信長の前に膝をつく。


「劉備の警告が本当かどうかは、すぐに分かる。だが...」


信長は立ち上がった。


「たとえ曹操が来ようとも、この信長、討たれはせぬ」


「殿...」


「鉄砲隊を半数、本陣の守りに回せ。そして残りは劉備軍への攻撃を続行だ」


「はっ!」


信長は刀を抜いた。


「曹操孟徳...貴様が来るというのなら、相手をしてやろう」


---


諸葛亮は、その全てを見ていた。


「主公、信長殿は動きました」


劉備が戻ってくる。その顔には、安堵の色があった。


「信長殿は、信じてくれたのか」


「半信半疑でしょう。ですが、警戒はしています。それで十分です」


諸葛亮は羽扇を動かした。


「さて、荀彧殿。貴殿の次の手は?」


---


その時、戦場の空気が変わった。


曹操軍の中から、二つの影が飛び出す。張遼と許褚。その武勇は、三国志随一と謳われた猛将たちだった。


「織田信長!その首、我らが頂く!」


張遼の声が轟く。織田本陣に向けて、一直線に突撃していく。


信長は不敵に笑った。


「来たか...」


そして、刀を構えた。


戦場に、新たな激突の火蓋が切られようとしていた。


だが、その時──。


「待てぇいっ!」


轟くような声と共に、一つの影が曹操軍の前に立ちはだかった。


張飛だった。


「曹操の犬どもが!織田に手を出すなら、まずこの張飛を倒してからにしろ!」


蛇矛を構えた張飛の姿は、まさに戦神そのものだった。


張遼が舌打ちする。


「張飛...邪魔をするか」


「邪魔?ハッ、笑わせるな!俺の兄者が命を懸けて守ろうとしている相手を、お前らには渡さねぇ!」


許褚が前に出た。


「ならば、まず貴様を倒す」


二人の猛将が激突する。張飛の蛇矛と許褚の大剣が、火花を散らした。


---


劉備は、その光景を見ていた。


「翼徳...」


諸葛亮が静かに言った。


「張飛将軍は、主公の想いを理解しています」


「ああ...」


劉備の目には、涙が滲んでいた。


自分の仁徳を信じ、命を懸けて戦ってくれる仲間たち。それがどれほど尊いものか。


「孔明、俺は...間違っていないだろうか」


「主公が間違っているはずがありません」


諸葛亮は断言した。


「貴方の仁徳こそが、人を動かすのです。それは、この戦場が証明しています」


---


織田本陣では、秀吉と家康が息を呑んでいた。


「劉備殿が...我らを救おうと...」


「そして、張飛殿が曹操軍を食い止めている...」


二人は顔を見合わせた。


信長は、静かに刀を鞘に収めた。


「...劉備玄徳。貴様のような男が、この世にいるとはな」


そして、呟いた。


「だが、それでも...天下は一つだ」


---


近江平野を覆う戦塵の中、三つ巴の戦いは、さらに複雑な様相を呈していく。


劉備の仁徳。曹操の策略。信長の野望。


そして、それぞれの武将たちの想い。


戦場は、いよいよ終局へと向かっていた──。

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