"表裏"の合わせ鏡 祈りの間
眠りの前の祈りを創世神様に捧げるため、私は部屋でメイドの手を借りて身を清める。
身に纏うのは聖女として誂えられたシルクの白いドレス。
シンプルなデザインが私のお気に入り。
袖に手を通すたび、背筋が伸びて――私は”聖女”なんだって自覚する。
長い髪は丁寧に梳られると、艶々と背中に流れる。
耳元にはアメジストのイヤリング。
白いヴェール、アメジストのラリエットで頭を飾る。
平民だった頃では考えられない姿。
大きな一枚鏡に自分の姿を映してたおやかに微笑めば、鏡に映る私もまたたおやかに微笑む。
「お支度、終わりました。聖女様」
「いつもありがとう。感謝しているわ。聖女とはいえ平民の私に仕えてくれて」
「いいえ。感謝して頂けるだけで、私は満足です。聖女様に平民も貴族もございません。創世神様に聖女と認められた時点で、特別な存在なのです」
特別な存在……今でも私には分からないわ。
言いたいことが言える立場になったという認識だ。
メイドは微笑んで、今日は少し冷えますので、とシルクのドレスと同じ白い色のショールをかけてくれた。
感謝の気持ちで胸がいっぱいだわ。
「今日はもう休んでちょうだい」
「よろしいのですか? 戻られたらお着替えなどは……」
「ありがとう。でも自分でできるわ。あなたには、ゆっくり休んで欲しいの」
彼女は私の身の周りの世話をすることで、私を支えてくれている。
私にできることは少しでも彼女の仕事ぶりを認めて休んでもらうことだけ。
「……わかりました。聖女様がそうおっしゃるのなら、有難く休ませていただきます」
「明日またお願いね。じゃあ、創世神様にお祈りをしてくるわ」
「はい。いってらっしゃいませ」
部屋を出て白亜の回廊を進んでいくと、やがて細やかな装飾が施されたドアが見えてきた。
そのドアを開けて中へ。
月明かりが差し込んでステンドグラスが美しく床を染めていた。
私はすぐにドレスの裾をさばいて祭壇の前で膝を折り、手を組んだ。
「創世神様――」
目を閉じて祈り捧げる。
深い、深い……祈りのその先へ。
その瞬間、私の意識は遠くへと引っ張られた。
目を開くとそこは闇。
天もなく、地もない、無の空間。
私は、ここを知っている。
祈りを捧げ、毒を吐き、世界を呪っていたら聖女と認められたあの時に見た空間。
「本当にこれで良かったことなのかしら?」
「これが本当に良かったことなのかしら?」
「――あなたはどう感じる?」
「――あなたはどう考える?」
一枚の大きな鏡が立っていて、同時に問いかけ相対するのはもう一人の私。
艶めいた長い黒髪。
整った顔立ち。
大きくて少しつり上がった紫の瞳。
聖女として白を基調としたシンプルながらシルクを使ったドレスに白いショール。
黒髪が透けて見える白いレースのヴェール、アメジストの宝石を使ったシンプルなラリエットが額の前で揺れる。
鏡の向こう側にいる私が、鏡のこちら側にいる私を見ている。
「断罪を拒んで王子達をその毒の舌で刺した聖女リン」
冷え切った空間に、私の声が重なって響く。
「断罪をされて王子達をその毒の舌で刺した聖女リン」
空気がさらにピリリと研ぎ澄まされたような気がした。
鏡写しのような私。
「断罪を拒んだ私は……正しかったの?」
「断罪をされた私は、間違っていたの?」
「何が正しいことなの?」
「何が間違っているの?」
私と、もう一人の私が問いかけ合う。
「毒を吐くことで守れるものがあるのよ」
「毒を吐くことで傷つくものもあるのよ」
二つの真実が、暗闇で交差する。
私が胸に手を当てればもう一人の私も胸に手を当てる。
「毒は」
「薬に」
「これからも私が」
「これからも私は」
私が口を開けばもう一人の私も言葉を紡ぐ。
「毒を以て毒を制するわ」
「毒を薬に変え制するわ」
あぁ、本当に。
世界が回っているみたい。
私はどっちの私?
どちらが夢でどちらが現?
暗い空間が白い空間に塗り替えられ、もう一人の私と私の姿は光に包まれてお互いの姿が見えなくなった。
「私は毒舌聖女、リン」
最後の瞬間。
今言ったのは私?
それとももう一人の私?
確かめようにも術はなくて、私はゆっくりと目を開いた。
一瞬の光。
まるで月光が私の姿だけを照らしたみたい。
舞台の上に立っているように、視界が月明かりと相まって淡く滲む。
「……戻ったのね」
祈りの間。
色とりどりのステンドグラスが床を染めて静かさを湛えていた。
「創世神様――ありがとう。私に素晴らしい”言葉”という武器を与えてくださって。お陰で毎日が刺激的なの」
これからも私は毒舌という武器で”世界の毒”を清めていきます。
それが、聖女になった私が唯一できる創世神様への恩返しよ。
あぁ、でも……どちらが本当の、”私”だったのかしら――。
了
毒舌聖女、ある日の断罪 詠月 紫彩 @EigetsuS09
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