第48話 陰キャ、女王の家に向かう ー何も起こらないよな?!ー

 翌日、日曜日。

 

 俺は昼過ぎまで寝ていた。


 カーテンの隙間から差し込む陽光が、まぶたを刺激する。時計を見ると、午後1時を過ぎている。完全に寝坊だ。


 ベッドから這い出て、洗面所に向かう。鏡に映る自分の顔は、寝癖だらけで酷い有様だ。目の下には、うっすらとクマができている。


「……昨日、疲れたな」


 小さく呟きながら、顔を洗う。冷たい水が、眠気を吹き飛ばしてくれる。


 タオルで顔を拭いて、もう一度鏡を見る。少しはマシになった。髪を適当に整えて、部屋に戻る。


 部屋のカーテンを開けると、眩しい陽光が部屋中に降り注いだ。外は快晴だ。雲一つない青空が広がっている。


 こんな日は、普段なら一日中部屋に引きこもる。

 

 ゲームをするか、小説を書くか、動画を見るか。それが陰キャの休日だ。


 でも――。


 スマホを手に取った。

 

 通知はない。


 グループチャットを開く。

 

 昨日の夜以降、特にメッセージはない。


「……みんな、何してるんだろうな」


 ふと、そんなことを考えた。


 不知火先輩は今日も練習だろうか。瀬良先輩は優雅に読書でもしているのだろうか。浅葱は――きっと、何か楽しいことをしているんだろう。


 そんなことを想像していると、スマホが震えた。

 

 メッセージの通知だ。


 見ると――瀬良先輩からの個別メッセージだった。


『高一くん、今日暇?』


 その一文を見て、俺は少し驚いた。


 瀬良先輩から、直接誘われるなんて珍しい。


 俺は少し考えて、返信した。


『特に予定はないですけど……』


 送信ボタンを押す。


 数秒後、返信が来た。


『じゃあ、少し付き合ってもらってもいい?』


『え、何をですか?』


『会ってから話すわ。1時間後、駅前で』


『分かりました』


 返信を終えて、俺はスマホを置いた。


「……何だろう」


 疑問が頭をよぎる。


 瀬良先輩が、わざわざ俺を誘う理由。


 何か用事があるのだろうか。それとも――。


「まあ、行けば分かるか」


 そう呟いて、俺は着替え始めた。


 ※ ※ ※


 1時間後。

 

 俺は駅前のロータリーで待っていた。


 日曜日の昼下がり。駅前は人で賑わっている。買い物客、カップル、家族連れ。様々な人々が行き交っている。


 俺はベンチに座って、瀬良先輩を待っていた。


 空を見上げると、相変わらず快晴だ。太陽が容赦なく照りつけている。暑い。


 数分待つと、人混みの中から瀬良先輩の姿が見えた。


 白いブラウスに、黒のロングスカート。大きなサングラスをかけて、まるで芸能人のような佇まいだ。周りの視線が、明らかに彼女に集中している。


「おまたせ」


 瀬良先輩が微笑む。

 

 サングラスを外すと、いつもの美しい瞳が現れた。


「いえ、今来たところです」


「そう。じゃあ、行きましょうか」


「どこにですか?」


「ついて来れば分かるわ」


 瀬良先輩はそう言って、歩き始めた。


 俺は――その後を追った。


 ※ ※ ※


 瀬良先輩が向かったのは、駅から少し離れた静かな住宅街だった。


 大通りを外れると、急に人気が少なくなる。閑静な住宅が立ち並び、時折通る車の音だけが聞こえる。


 木々の葉が風に揺れる音。遠くで鳴く蝉の声。夏の午後の静けさが、辺りを包んでいる。


「……こんなところに何が?」


 俺は疑問を口にした。


「もう少しよ」


 瀬良先輩は答えながら、さらに奥へと進んでいく。


 そして――ある一軒の家の前で、立ち止まった。


 それは、古い洋館だった。

 

 二階建ての建物。蔦が壁を這い、門には錆びた鉄の装飾が施されている。窓は大きく、どこか異国情緒を感じさせる作りだ。


「ここ……?」


「ええ。私の家よ」


 瀬良先輩はそう言って、門を開けた。


「え、家!?」


 俺は驚いた。


 瀬良先輩の家に招かれるなんて、想定外だ。


「どうしたの? 入らないの?」


「い、いや……入りますけど……」


 俺は戸惑いながらも、門をくぐった。


 庭には手入れされた芝生が広がり、花壇には色とりどりの花が咲いている。小さな噴水もあり、水の流れる音が心地よい。


「すごい家……」


 思わず呟いた。


「そう? 私にとっては普通だけど」


 瀬良先輩は淡々と言う。


 玄関の扉を開けると、広いホールが現れた。

 

 大理石の床。天井から吊り下げられたシャンデリア。壁には絵画が飾られている。


 完全に――別世界だった。


「ここで待ってて」


 瀬良先輩はそう言って、奥の部屋に消えていった。


 俺は――ホールで一人、立ち尽くしていた。


 周りを見回す。全てが高級そうだ。触るのも怖い。


「……俺、場違いすぎるだろ」


 小さく呟いた。


 陰キャの俺が、こんな豪邸にいていいのだろうか。完全にアウェイだ。


 数分後、瀬良先輩が戻ってきた。

 

 手には、一冊のノートを持っている。


「これよ」


「これ……?」


「私の小説。読んでほしいの」


 瀬良先輩はそう言って、ノートを差し出した。


 俺は――そのノートを受け取った。


 表紙には、何も書かれていない。真っ白なノート。


「読んでもいいんですか?」


「ええ。あなたにだけ、見せたいと思って」


 その言葉に、俺は少しだけ驚いた。


「……分かりました」


 俺はノートを開いた。


 そこには――丁寧な文字で、物語が綴られていた。


 ※ ※ ※

 

 瀬良先輩の部屋。

 

 俺はソファに座って、ノートを読んでいた。


 部屋は広く、本棚には無数の本が並んでいる。窓からは庭が見え、カーテンが風に揺れている。机の上には、パソコンと原稿用紙が置かれていて、ここが彼女の創作の場なのだと分かる。


 瀬良先輩は隣に座って、紅茶を淹れてくれた。

 

 カップから立ち上る湯気。優雅な香りが部屋に広がる。


 俺は――ノートに集中していた。


 そこに書かれていたのは、ある少女の物語だった。


 孤独な少女。誰にも理解されない少女。ずっと一人で生きてきた少女。


 でも――ある日、彼女は出会う。

 

 一人の少年に。


 その少年も、孤独だった。

 

 誰にも心を開かず、一人で生きてきた。


 二人は――どこか似ていた。


 物語は進む。

 

 二人は少しずつ、心を開いていく。言葉を交わし、時間を共有し、笑い合う。


 そして――。


「……」


 俺は最後のページまで読み終えた。


 物語は、まだ完結していなかった。

 

 途中で終わっている。


「……どうだった?」


 瀬良先輩が静かに聞く。


「……すごく、良かったです」


 俺は素直に答えた。


「本当に?」


「はい。続きが気になります」


「そう……良かった」


 瀬良先輩は安堵したように微笑んだ。


「実はね、これ……私の実体験を元にしてるの」


「実体験……?」


「ええ」


 瀬良先輩は窓の外を見た。


「私も昔、ずっと一人だったの」


 その言葉に、俺は驚いた。


「成績は良かった。容姿も褒められた。でも――本当の友達は、いなかった」


 瀬良先輩の声は、どこか寂しげだった。


「みんな、私に近づいてくる理由は決まってた。成績を教えてほしい、とか。一緒にいれば自分も目立てる、とか」


「……」


「だから、ずっと一人だった。心を開ける相手なんて、いなかった」


 瀬良先輩は、少し笑った。

 

 でも、その笑顔は寂しそうだった。


「でも――あなたと出会って、変わったの」


「俺……ですか?」


「ええ」


 瀬良先輩は俺を見た。


「あなたは、私に何も求めなかった。ただ、自然に接してくれた」


「……そんなつもりは」


「分かってる。だから、嬉しかったの」


 瀬良先輩は優しく微笑んだ。


「だから、この物語を書いたの。あなたに、読んでほしくて」


 その言葉に――俺は、何も言えなかった。


 ただ――胸が、温かくなった。


「……続き、楽しみにしてます」


 それだけ言うのが、精一杯だった。


「ええ。頑張って書くわ」


 瀬良先輩は嬉しそうに笑った。


 その笑顔が――とても綺麗だった。

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