幸福指数という檻

 下級区の学校は、灰色の箱みたいな建物だ。

 机も椅子も壁も、どれも同じ形をしている。

 「統一感がある」と言えば聞こえはいいけれど、ここまで揃っていると逆に落ち着かない。


「幸福指数を測定します。」


 机に手を置くだけで、脈拍・呼吸・筋肉の反応まで都市に吸い取られる。

 僕たちは“管理されている”というより、“調律されている”のかもしれない。


(昨日のこと、まだ消えてないな……)


 リアと空と、あの言葉。


「カイ・ユグド。幸福指数が定常値より1.4%低下しています。」


 教室に、静かに波紋が広がる。

 声は出さない。でも、確かに視線が集まる。


(うわ、見られてる……見られてるぞこれは……)


 僕は呼吸を整えるふりをした。

 ふり、という時点で全然整っていない。


 授業が終わり、帰路に向かおうとしたとき、視界の片隅で白が揺れた。


 リアが、街の片隅に立っていた。

 昨日と同じ姿勢で、空を見ていた。


 気づいたら、僕の足は止まっていた。


「来たんだね。」


「来るつもりはなかったんだけど、来たことになってる。」


「うん。それでいいと思う。」


 リアの声は小さいけれど、はっきりしていた。


「わたし、ずっと考えてた。

 幸福って、誰が決めるんだろうって。」


 その言葉は、昨日の空よりまっすぐだった。


「マザーは言うよね。揺らぎは苦痛になるって。」


「でも……揺らぎがあるから感じられるものもある。」


 気づいたら口が勝手に言葉を紡いでいた。


 リアは、ゆっくりと目を見開いた。

 その瞳の奥で、何かがわずかに震えたのがわかった。


 そのときだった。


 僕の机に埋め込まれた端末が、微かに振動した。

 半透明の表示が視界に浮かぶ。


【幸福指数:定常値より -1.4% → -1.7%】


(……下がってる。)


街灯の上の監視ドローンが、滑らかな動きでこちらへレンズを向けた。

都市は揺らぎを“観測”している。それは、ただの記録じゃない。判断だ。


【監視ログ更新:担当AI=ノア】


(……ノア?)


聞き覚えはない。人の名前っぽいのに、どこか“無機質”だ。

まるで、誰かが世界そのものに名札を貼ったみたいだった。


リアは、僕を見て言った。


「ここから先は、たぶん怖いよ。」


「でも、止まれない。」


それは、言い訳じゃなくて“理解”だった。


---

都市は、揺らぎを見逃さない。

だからこそ、世界が揺れ始めるのはいつだって——ほんの小さな一歩からだ。

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