第13話 進路希望調査と、“ずっと先の好き”マーク
その日、ホームルームはいつもより重かった。
「はーい、じゃあ配りまーす。“進路希望調査票”ねー」
霜田先生が配ったのは、薄いクリーム色の紙。上にはでかでかと「第一希望」「第二希望」「将来なりたい職業」とか書いてある。
教室がざわっとする。
「まだ一学期なのに?」
「なりたい職業とか急に言われても……」
「プロゲーマーって書いたら怒られるやつだこれ」
俺は紙を受け取りながら、無意識に頭の上を見回した。
——数字が、いつもより薄い。
茜の100.0も、水無瀬の69も、先生の40ちょいも、輪郭がぼやけてる。代わりに、その横に小さな道しるべみたいなアイコンが浮かんでいた。
(……なにこれ)
矢印みたいなマーク。まっすぐ伸びてるやつもあれば、途中で折れてるやつもある。
先生のは、教卓のほうへ向かってぐるぐるループしてる。職業柄だな。
「ねえ透」
隣から茜が、小声で紙をつついた。
「“将来なりたい職業”のところ、なんて書くの?」
「決まってない」
「だと思った」
「お前は?」
「“まだ未定”って書いて、“未定(幼なじみ枠)”って注釈つけとこうかな」
「職業じゃないだろそれ」
でも、茜の頭の上の道アイコンは、ちゃんと二本並んで伸びてる。一本は自分の進路、もう一本は俺の席のほうへ薄く延びている。
「……なあ茜」
「ん?」
「今日の“私”じゃなくてさ、“五年後の私”とか言えって言われたら、どうする」
「“五年後の私”?」
「うん。数字じゃなくて、それを言葉にしろって言われたら」
茜はしばらくペン先をくるくる回してから、真面目な顔で言った。
「“五年後の私”はね——『透がどこにいるか一回検索する人』」
「検索」
「進路調査書いて、大学とか就職とかバラバラになるでしょ。
そしたらさ、いったんスマホで“春川透 どこ”って探す。……それやってから、自分の進路決める」
「だいぶ重いな」
「重いのは知ってる。でも、五年後の話だから許して」
そう言って笑う。
数字は見ない。代わりに、茜の頭の上に浮かんだ道しるべマークが、俺の席のほうにくいっと曲がるのが見えた。
前の列。
水無瀬が紙をひらひらさせながら、前の子に囁いている。
「プロ“好感度ゲーマー”って職業ないかな〜。人間関係のコンサルとかさ」
「やめろその肩書き」
「だってさ、“好かれ方”のパターン集めるの楽しいじゃん。将来はちゃんとしたカタチにしたい」
水無瀬の道アイコンは、途中で分岐していくつも枝分かれしていた。イベント運営のほうとか、心理学のほうとか、どっかで先生のほうにも薄く繋がってる気がする。しぶといな。
「はい、書けた人から持ってきてー。空欄でもいいから一回出して。どうせまた一年ごとに書かせるから」
霜田先生の声に、みんながペンを走らせ始める。
俺は「第一希望」の欄をしばらく見つめてから、「未定」と書いた。
その下に、矢印を一本だけ、図書室の方向に向かって描いた。
(とりあえず、今はこっちでいいか)
放課後。
いつものように、茜と一緒に図書室に行くと、カウンターの奥で雪村さんが進路調査のコピーを閉じていた。
「司書の先生が、ちょっと見せてくれたの」
「個人情報……」
「名前は見てないよ。“どんな言葉が多いか”だけ。
“安定”“給料”“やりがい”“地元”“遠くに行きたい”“なんとなく”……」
彼女の頭上にも、例の道しるべアイコンが浮かんでいた。∞の横で、細い青い道が、図書室の棚から外のほうへ伸びている。
「雪村は?」
「わたし?」
「進路」
「“図書館司書になりたい”って書いたよ」
即答だった。
「……似合う」
「でしょ」
少し照れたように笑う。その瞬間、∞のまわりの道アイコンが、ぐっと太くなった気がした。
「じゃあ、春川くんは?」
「“未定”。矢印だけ書いた」
「どこに?」
「図書室の方向」
雪村さんは、ほんの一瞬だけ目を大きく見開いた。それから、小さく頷く。
「“来るかもしれない道”、ね」
「来ないかもしれないけどな」
「来ないかもしれない人には、貸出カード作らないよ」
カウンターの中から、彼女は新しい薄いカードを一枚取り出した。
としょしつかんれん
しょうらいよていカード
利用者:はるかわとおる
下の方に、小さく余白が残っている。
「これ、“予定は未定”カード。
——書きたくなったら書きに来て。
卒業してからでも、きっとここに置いておくから」
∞の横に、新しいアイコンが増えた。
細い紙飛行機みたいなマーク。“そのうち飛んでくるかもしれないもの”の印だ。
「……ずるいな、それ」
「ずるい?」
「“決めなくていいよ”って言いながら、“来る前提”でスペース空けてる」
「図書室って、だいたいそういう場所だよ?
——“読むかどうか分からない本の席”を、ずっと空けて待ってる」
言われてみれば、その通りだ。
背の高い本棚たちは、いつも黙って“まだ手に取られてない本”を支えている。
数字も、道も、そこには表示されない。ただ、ページがあるだけ。
「ねえ、今日さ」
茜がポップの棚を見ながら言った。
いつもの“ポイント”の話じゃない声。
「数字見ない日もやったし、道アイコンも見えちゃったし。
——“五年後の私たち”に、仮の名前つけない?」
「仮の名前」
「うん。
例えば、“五年後の茜”=『透の近況を時々検索して、勝手に安心する人』。
“五年後の雪村さん”=『図書館のカウンターで、“いつか来る誰か”の予定カードを整えてる人』。
——じゃあ、“五年後の透”は?」
図書室の静けさが、少しだけ濃くなる。
俺は、貸出カードを指でなぞりながら、言葉を探した。
「“五年後の俺”=『数字が見えない代わりに、“今日の誰か”をちゃんと聞く人』」
「……それ、今と変わらなくない?」
「変わるよ。
いまは数字が見えるから、サボっててもある程度分かる。
——でも、いつかこれが全部見えなくなったとき、“どうだった?”って聞けるかどうか、で違う気がする」
茜が、少しだけふっと笑う。
「じゃあ、“五年後の私”から一個だけお願いね」
「なに」
「“たまには、『今日のわたし』って自分の話もして”」
「自分の?」
「うん。“今日の透はねー”って。
聞く側ばっかだと、きっと数字が見えないほうがしんどいよ」
それは、考えたことなかった。
いつも“見る側”、“測る側”だった俺が、「自分も今日どうだったかを誰かに言う」って発想。
∞も100も関係ない、“俺の今日”。
「……できるか分かんないけど、やってみる」
「やれ。五年後の私が見張ってるから」
「未来越しの監視やめろ」
そのやりとりに、雪村さんが静かに笑った。
「じゃあ、“五年後の司書見習い”からもお願い」
「うん?」
「“本借りたら、ちゃんと感想持ってきて”。
——読んだのか読んでないのか分からない本が、一番さみしいから」
図書室の奥で、時計が静かに時を刻む。
数字は、見ようと思えばまだ全部見える。
でも今は、少しだけ目を細めて、道しるべと、カードと、三人の顔だけを見ることにした。
「よし」
水無瀬がいつのまにかポップ用のマーカーを抱えて参戦してきた。
「じゃあ、今日のホワイトボードまとめ——」
彼女はさらさらと書く。
【本日のまとめ】
・好感度:**“いまここ”の温度
・道アイコン:“これから”**の方向
・大事なのは:
→ 数字じゃなくて、“今日のわたし”と“そのうちの私”をちゃんと喋ること
「……それっぽくまとめたな」
「でしょ? 将来の夢:こういうのまとめる仕事って書こ」
笑い声が、静かな図書室に広がる。
窓の外の空は、もう少しだけ高くなっていた。
好感度が見える世界で、∞の子と100の幼なじみと、一クラス分の“今日”がある。
進路希望に「未定」と書いた高校生のくせに、
——“この物語の続きくらいは、自分で書けるようになりたい”と、ちょっとだけ思った。
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