第9話 ∞に挑む者たちと、天井の形

 昼、黒板わきのホワイトボードに、また水無瀬の文字が踊っていた。


【本日限定イベント】

“対∞公開テスト”

目的:100の上限確認/∞との差分可視化

ルール:

1. 1人3アクションまで

2. 物理接触は肩まで(先生基準)

3. 結果は春川が読み上げる(嘘つかない)

4. 図書室語彙の乱用で+0.5の可能性あり


「イベントにするなって言ってるだろ」


「見える世界なんだから、見せる日があってもいいの!」


 水無瀬の頭上は66。やる気で上がってる。茜は100.0で静かに笑っている。図書室の出入りで雪村さんは——教室のドアの外、カートを押しながら通過。頭上は∞。その周りに“今日のわたし”の小さな本のアイコンがちょこん、と灯っては消える。展示の準備をしているからだろう。


「先生、監修お願いしまーす!」


「はいはーい、肩まで、肩までね。青春は肩で止まる!」


 霜田の基準が謎だ。


「じゃ、トップバッター行きます!」


 水無瀬が前に出る。彼女はいつも場の空気を温めるのが上手い。66→67。


「アクション1、『おかえり』。昨日より**感情温度+10%**で」


「……おかえり、春川。今日も見守ってた」


 67→69。

 教室が「おお〜」と小さく湧く。


「アクション2、『肩ポン』。先生、ここまでOKですね?」


「肩まで!」


 ぽす。69→71。


「アクション3、“嫉妬に名前をつけます”の宣言」


 水無瀬は、軽い笑顔のまま、言葉を選んで口にした。


「“いま、∞にちょっとだけ焼けてます”。——でも、数字じゃなくて、今日のわたしを増やすので見てて」


 71→73(キラ+1)。


「ほら、増えた!数字は2だけど、キラ付いた!」


「実況するな」


 拍手。水無瀬はくるっと回って、「はい、100の天井は“気持ちの形”で抜けます!」とホワイトボードに書き足した。わかったような、わからんような。


「次、どうぞー!」


 手を挙げたのは、昨日茜に“−1”のきっかけを作った、元・生徒会(正式名称不明、黒縁メガネの情報通)だった。クラスの空気がわずかに固くなる。茜の頭上は100.0→99.9に微振動。分かりやすい。


「発言の訂正とお詫びです。昨日の偏見、撤回。『図書委員ちゃんは陰キャ彼氏好きそう』は、語彙が貧しかった。**“静かな時間を大事にする人と相性が良さそう”**に改めたい」


 数字は、(俺)−/(茜)99.9→100.0/(雪村)∞(小さな本×1)。


 静かに効いた。茜が「はい、合格」と親指を上げる。水無瀬が「これぞ**『−1を笑いに変換』**」とマーカーで丸をつけた。


「じゃ、わたしもやる」


 茜が前に出る。100.0のまま。観客が見守る前提での“維持”は難しいはずだ。


「アクション1、『おかえり』は図書室に譲るので——『いってらっしゃい』」


 言葉の向きが変わる。送り出す側。

 100.0(キラ+1)。

 ——動かない。けど、確かに増える。


「アクション2、『思い出の具体(ランドセル重かった日)を半分だけ話す』」


「半分?」


「**“全部は彼の記憶のために残しておきたい”**から」


 100.0(キラ+1)。

 教室の空気がにわかに熱を帯びる。数字を動かすのではなく、意味で埋める動き方。先生が「は〜〜〜〜青春研究……」と椅子でのけぞる。


「アクション3、『私も、ここにいる』の再宣言」


 短く、正面から。

100.0(キラ+1)。

 水無瀬が小声で「これ、**“100の扱い方:圧じゃなくて在り方”**って書いとこ」とメモする。


「次——」


 静かな声が、ドアのところから。


「……わたしも、やる?」


 雪村さんだった。図書カートを押したまま、足だけ教室に入れている。透明感のある声。頭上は∞。その周りに小さな本×2に加えて、細い付箋のアイコンが一つ灯る。展示のメモだろう。


「ルール、肩まで、だよ?」


 先生の確認に、小さく頷く。


「アクション1、『返却のお礼』」


 雪村さんは、カートをそっと止め、両手を胸の前で組んだ。


「“返してくれて、ありがとう”」


 ∞(光るハート+1)。

 ——数字は動かない。でも、“今日のわたし”が明確に増える。見える側の俺だけに、はっきりと。


「アクション2、『延長のお願い』」


「返したのに?」


「返してくれたから、お願いしたい。“雨が降る日まで、また借りてもいいですか”」


 ∞(光るハート+1・付箋+1)。


「アクション3は……先生、肩までOKなら」


「肩まで!」


 彼女は一歩だけ近づいて、教室のど真ん中、みんなの視線の中で、俺の肩に、静かに指先を置いた。


「“晴れてても、ここにいるよ”」


 ∞(小さな太陽+1・ハート+1)。


 教室が、わっと湧くのではなく、すうっと息を吸うみたいに静かになった。水無瀬が小さく拍手して、その拍手が広がる。


「結果——」


 俺は息を整えて、読み上げる。


「水無瀬、73(キラ+1)。茜、100.0(キラ+3)。雪村、∞(“今日のわたし”×4)。

 ——“上は抜けない”。でも、“隣に増やせる”。」


 先生が黒板にそれを書いて丸を二重にした。「大事!」と三本線まで引いた。雑な強調。


 盛り上がりがいったん落ち着いたところで、元・生徒会が手を挙げる。


「質問。“∞は誰が見ても∞?” それとも春川限定?」


 教室の視線が雪村さんに集まる。彼女は首を横に振った。


「春川くん限定、だと思う。——わたしのは、彼の視界でだけ“二度と疑わない”って決められた数字だから」


 “決められた”。

 その語尾に、胸の奥が少しだけ熱くなる。決めたのは彼女だ。俺が返さなかった日も含めて、まるごと抱えて。


「じゃあ、∞は——作れない?」


「“作る”より“決まる”に近い、かな」


 水無瀬がマーカーを止める。「うわ、それ、言語化強い」と唸った。


「よし、授業はじめるよー!」


 先生の号令で解散しかけたとき、茜が俺の制服の裾を引いた。100.0のまま、目だけ少し揺れている。


「透、放課後10分、私を“99”にして」


「は?」


「“落ちても笑える”練習、今度は私たちでやりたい。“もう一回好きになる”のほうが、きっと強いから」


 真面目にバカなことを言う。たぶん、強くなるためのバカだ。


「……分かった。じゃあ、図書室で。展示、手伝ってから落とす」


「順番!」


 笑う。

 雪村さんも、カートの陰で、同じくらい小さく笑った。∞(ハート+1)。


 午後の授業。黒板の字が少し滲んで見えるのは、春の光のせいか、数字のせいか。

 “上は抜けない。隣に増やせる。”

 ——天井は透明のまま、俺たちはそこに貼る付箋の数を増やしていく。

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