第5話 調理実習で+何点?と、∞のほうがさりげなく効くやつ
四時間目、家庭科室。
白いエプロンをつけただけで、女子たちの数字はちょっと上がる。たぶん“かわいく見られたい”っていうモチベが自動で+1とかしてるんだろう。こういうの数値化されると面白い。
「はいじゃあ今日はオムレツねー。失敗してもいいから協力して作りましょうー」
家庭科の先生が説明してる横で、茜が小声で聞いてきた。
「ねぇ透、今のあたし何点?」
「80になってる」
「やった。ついに80台の世界……!」
「エプロンが似合ってる判定で+3だな」
「判定甘くて助かります」
となりのテーブルを見れば、水無瀬が同じ班の男子に「ねーエプロン結んでー♡」って背中を向けてる。結んでもらった瞬間、彼女の数字は66→69に跳ねた。どう見ても計算だ。好感度ゲーマーおそるべし。
「春川、私のも結んで!」
「はいはい」
茜の腰のリボンを結ぶ。背中越しだと顔が見えないから、数字だけがふわっと見えた。80→82。
「おお」
「上がった?」
「上がった」
「やっぱエモい行動はポイント高いんだな〜」
くるっと振り向いた茜は、ちょっと頬を赤くしてた。そういうところでまた+1されるから、結果83。もうすぐ雪村さんの“∞”の写メでも貼っておかないと現実を忘れそうだ。
「じゃ、卵割るよ」
「頼む。俺がやるとだいたい殻入るから」
「知ってる。小五のときからそう」
懐かしい情報を普通に出してくるな。そういう幼なじみ補正でまた+1されて、84。
そこへ、家庭科室のドアが開いた。
「失礼しまーす。図書室の本、返却に——」
まただ。ほんとに図書室に住んでるのかこの人。
雪村さんが、外履きのまま少しだけ顔をのぞかせる。白いブラウスにカーディガン。調理実習の甘い匂いがする教室で、ひとりだけ図書室の空気をまとってる。
「あ、春川くん。……授業中だった?」
「まあ、実習中」
「そっか。……がんばってね」
にこっと笑った。
はい出ました。∞。
なにもしてないのに授業中にエモ度をぶつけてくるのやめてほしい。
「ずるい!!」
すかさず茜の抗議が入る。
「なんで私がここで卵割って好感度を1とか2ずつ上げてるのに、そっちは覗いただけで∞なの!?」
「いや、これは……その、最初からだから……」
雪村さんが困ったように笑う。ほんとに悪意がないから余計にタチが悪い。
「茜さんも、がんばってね」
「がんばってるよ!ずっとがんばってるよ!!」
そのやりとりで茜の数字は84→85になった。ライバルの前で“がんばってる”って見せたのが効いたのかもしれない。
家庭科の先生が「はいはいおしゃべりは後にしてー、焦げると一気に−10だからねー」と声を飛ばす。
「−10はでかいな」
「ね、がんばらないと」
俺たちは卵を混ぜ、フライパンを温める。
この世界、料理って案外“数字の差が出やすい行動”なんだなって分かった。ヘタな男子がやると「かわいい」って+1されるし、上手い子がやると「家庭力」って+3される。
俺がフライパンを持って、茜が卵液を流し込む。
「せーの……!」
じゅっ、といい音がして、黄色が広がる。
フライパンを少し傾けると、茜の横顔が近くなる。
数字がまた、85→86。
「今のは?」
「近かったから+1」
「ふふーん。じゃああと14で100じゃん」
「そう簡単にはいかないだろ」
「じゃあご飯つくってあげるわ。毎日」
「それは上がるな」
「でしょ?」
そんな話をしていたら、家庭科室の隅で水無瀬たちがなにかをやっていた。
「はい、じゃあ“彼氏に味見させるときの距離”いきまーす!春川見ててー!」
「見てますけど」
水無瀬が、同じ班の男子にスプーンを向ける。顔の距離10cm。
男子、真っ赤。
数字、58→64。
「はい6ポイント入りましたーー!!」
「おおおおお!!」
「これはでかい!!」
「ねぇ春川、あたしもやっとく?」
「やっとくってなに」
茜がこちらにスプーンを向けかけたとき。
「調理室では私語と接近はほどほどにねー。火を使ってるからねー」
家庭科の先生に速攻で注意された。
茜の数字が86→85に下がる。注意されるとやっぱちょっと減るらしい。
「うわ、もったいない……」
「数字のために怒られるな」
そのとき、家庭科室の入り口でまだ本を抱えてた雪村さんが、こそっと言った。
「……あの」
「ん?」
「火を使ってて危ないときに、肩に手を置くのは、+5になります」
実演するでもなく、ただ情報だけ置いていく。
しかもこの人の場合、自分では+5にならない。どうせ∞だから。
「ほら!透!危ないから肩に手おいといて!!」
「はいはい」
肩に手を置く。茜の数字は85→90に跳ねた。
「と、跳んだ!?」
「すご……」
「やっぱ“守られてる”判定は高いんだね」
家庭科の先生まで感心してた。
こうして、茜は実習一回で78スタートから90まで駆け上がった。
“安全にオムレツをつくる”という授業目的はどこかで置いてきた気がするが、まあ美味そうなのはできたしよしとしよう。
授業が終わるころ、雪村さんは静かに家庭科室を出て行った。
通りすがりに俺のほうを見て、小さく手を振る。
∞は、やっぱり動かない。
でも、その一瞬だけ——俺の目に、ちがうマークがふっと重なった気がした。
∞の横に、すごく小さく、光るハートみたいなやつ。
(……今の、なに)
まばたきしたら消えてた。
もしかしたら見間違いかもしれない。
でももし、∞にも“表情”があるのだとしたら——
俺が昔のことを思い出したとき、あれがもっとはっきり見えるのかもしれない。
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