第4話 100で止まるって分かったのに、先生が数字を聞いてくる

 翌日。


 HRが始まる前からクラスがざわついていた。昨日の「好感度チャレンジ」が思ったよりおもしろかったらしく、女子だけじゃなく男子まで寄ってきたのだ。


「おい春川、俺のは?」

「お前のは聞かなくていいだろ」

「いや彼女に見せたいからさ、『今クラスでこれくらい好かれてる』って」


 お前の彼女、たぶんそういうの見たくないぞ。


 そんなカオスの中、担任の霜田が入ってきて、全体を見渡した。


「はいはーい、席ついてー。……で、なにこの“数値の行列”」


 水無瀬がすかさず手を挙げる。


「先生、うちのクラス、好感度が見える人がいるので、科学的に青春してます!」


「科学……?」


「『おはよう』で+2とか実証できました!」


「なにそれ楽しそう。私もやる」


 先生、思ってたよりノリが軽い。


「じゃあ朝の健康観察のついでに、私の数字も見て。昨日職員室で怒鳴られたから、たぶん落ちてる」


「職員室の分は見えないですよ」


「えー。じゃあ私のことどれくらい好きかだけ言って?」


「先生を好きかどうかを公言させるシステムはアウトでしょ」


「いいじゃん減るわけじゃないんだし」


 減ります。先生は今32です。さらに騒がれたら30になります。言わないけど。


 そこで、先生がふいに俺の席まで来た。机に手をついて、どさっと腰を落とす。


「で、春川。昨日の噂、ほんとなの?」


「噂?」


「図書委員の子が∞ってやつ」


 先生まで知ってるのかよ。誰だ職員室でしゃべったの。


「……まあ、ほんとです」


「ふーん……」


 先生が腕を組んで、ちょっとだけ真面目な顔になった。


「いいじゃん、可愛いじゃん。そういう“もう下がりません”って好意。大事にしなよ」


 なんか、いきなり正論が来た。クラスがちょっと静かになる。


「でもねー」


 先生はそこで、小さく首をかしげた。


「数字が見えちゃう人ってさ、だいたい途中で疲れてくるのよ。『あ、今日この子機嫌悪いな』『怒らせたな』って全部バレるから。いちいち反応してたらしんどいでしょ?」


「まあ……慣れましたけど」


「で、そういうときに一人でも“変わんない”って子いると、バランス取れるんだよね」


 ……。


 たぶん先生も、見える側なんだろう。


 今の言い方は、経験者のそれだった。


「だからさ。∞ってのがいるのは、あんたにとって多分いいこと。——で、質問」


「はい」


「その子の数字を“下げたい”って思ったこと、ある?」


 教室がまた静かになった。


 俺は、少しだけ考えて。


「……今のところは、ないですね」


「そっか。ならいい」


 先生はそれだけ言って立ち上がった。黒板に「4/xx 連絡事項」と書き始める。

 周りのやつらは「なんか今いい話してたな」「先生ずるいな」とひそひそ。


 でも、そこで終わらないのがこのクラスだった。

 水無瀬がまた手を挙げる。


「せんせーい、せっかくなので先生のも上げてあげましょう!」


「え、なにそれ嬉しい」


「全員で“おはようございます”すれば+5くらいいきません?」


「やろやろ」


 瞬間、クラス中が立ち上がって、そろって叫んだ。


「「「おはようございます!!!」」」


 ……すげえ。たぶんこのクラスには本気の「おはようございます」がこんなにあるんだ。


 俺の視界で、先生の頭上の32→38に跳ねた。

 6も上がった。結構効くな集団挨拶。


「やだ、上がった?何点になった??」


「38です」


「えー!うれしー!すごーい!」


 先生、素で喜ぶな。かわいいかよ。


 クラスがキャッキャしてると、後ろのドアがそっと開いた。


「すみません、図書室からの貸出リストを——」


 雪村さんだ。


 全員の視線が「∞だ」「∞来た」になる。

 本人はそれに気づいて少しだけ肩をすくめた。


「……また、数字の話してるの?」


「してるしてる!雪村さんもやってこ!」


 水無瀬が駆け寄って腕を取る。雪村さんはされるがまま、教卓の前に立たされた。


「じゃあせっかくだから先生も聞きたい。雪村さんは今何点?」


「∞です」


「だよねー!!」


 先生が机に突っ伏した。


「ずるいってこういうことね……」


 そこで、雪村さんがふっとこっちを見た。黒目がすっと細くなる。


「……でも、この“∞”は、春川くん専用なので」


 その一言で、クラスの空気がわずかに熱くなる。


「専用……だってよ」

「はいはいはいきた〜専用〜」

「専用ってなに語?甘味語?」


 茜なんかは机を叩き出した。


「そーゆーとこー!!!!!」


 雪村さんはきょとんとしている。たぶん発言の破壊力を分かってない。


 先生が、頬杖をつきながら言った。


「じゃあさ、逆に聞くけど。——春川の“彼女になった人”の数字って、下がるとこ、ちゃんと出る?」


「え」


 クラスが一斉にこっちを見る。


「いや、ほら。もしも春川に彼女ができたとして。毎日一緒にいて、たまにケンカして、仲直りして……ってやってたら、普通は上がったり下がったりするでしょ? でも“∞専用”がいるなら、他の子の表示がどうなるか、ちょっと興味あるな〜って」


 先生は完全に視聴者だ。


 でも、その質問は、俺の中でも一番触れたくないところだった。


 ——もし、彼女ができたら。

 茜かもしれないし、このクラスの誰かかもしれない。

 でもその子の頭の上に“78”“95”“100”“99”って出てる横で、雪村さんだけがずっと“∞”って出てたら——


 そりゃあ、複雑だ。


「……さあ、どうなんすかね」


 曖昧に笑ってごまかすと、横から茜がすかさず挟む。


「先生〜!そんなことなる前に、私を先に100にしといてくださーい!」


「了解。じゃあ今日の家庭科の調理実習、春川と組んで。そういう小さな積み重ねが数字を上げるのよ」


「やった!」


「先生、俺の意思は?」


「あなたの意思を踏んでこその青春です」


 やっぱりこの先生、見えてる側だ。


 黒板には「4限 調理実習(春川・茜)」と書き足された。

 ∞は動かない。

 でも、その周りでみんなが100を目指して動き出した。


 ——これ、後でめんどくさいことになるな、って思いながら。

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