水木真穂

第1話 「私の後輩」


真穂まほ先輩、ボクにも手伝わせてください!」


 放課後の生徒会室に、一際明るい声が響く。

 その声は真穂にとって聞きなれたもので、それでいてひどく心地よいものだった。


 もう、暦の上では夏なんてとっくに終わっているはずで、それでも関係なく暑い日が続いている今日。水木真穂みずきまほは、この秋に先輩から、生徒会長としての役目を引き継がれたばかりだった。


 高校生という身分の者にとっては、生徒会長といえば、それなりに特別感のある役職といえるのではないだろうか。けれども真穂にとって、その役目は別に重いものではなかった。


 生来真面目な性格だった真穂は、小さな頃から勤勉な努力家で、責任感もあり、教師などの大人から好かれやすい性格だった。

 そんな真穂が、大人や周りの同級生たちから期待されて、何らかの役職を与えられることは、当然の成り行きのようなもので、真穂は中学の時から生徒会に所属し、会長職も立派に務め上げた。


 高校に入ってもそんな流れが変わることもなく、現にこうして、真穂は高校でも生徒会長になっている。つまりは真穂にとって、生徒会長など慣れたものだということになる。その役目を面倒に思う事もなく、生真面目な真穂は、やりがいを持ってこの仕事に進んで取り組んでいた。


 それでも本来なら、少しのプレッシャーと、それなりの負担は、真穂の両肩を少しずぐ重くしていたことだろう。

 けれど幸運なことに、真穂にはその重しを、進んで一緒に持とうとしてくれる存在がいた。


「ありがとう恵人けいと。こっちの頼んでいい?」


 真穂が声をかければ、幼さの残る顔つきの少年が、その笑顔をさらに満開に花開かせた。


 少年の動きに合わせて、短い黒髪がサラサラと揺れる。下手をすれば、手入れしている女子の髪より綺麗かもしれないそれに、真穂は束の間目を奪われた。線の細さも相まって、小柄な少年は男らしさをまるで感じさせない。


 その中性的な容姿は、姿を見慣れている真穂でさえ、少年に女子の制服を着せたとして、違和感を感じることができないかもと、そう思わせるほどに個性的だ。もし少年がその綺麗な髪を伸ばしたら、絶対に似合ってしまうことだろう。

 そんな少年の持つ独特な特徴は、真穂にとっては忌避するようなものではない。見慣れている真穂には、むしろ親しみを感じるほど、好ましいものになっている。


「はい! 終わったら他に残ってるのもやりますね!」


 溌剌とした返事をするやいなや、まるでスイッチを入れ替えるように表情をかえて、置いてある書類を手に取る。

 その少年の名前は、三澄恵人みすみけいと

 真穂の一つ下の学年で、中学の時からの付き合いのある、真穂にとって大切な後輩である。


 恵人は見た目は幼いのに、その性格は同年代の男子が、子供に見えてしまうくらい落ち着いていた。真摯で誠実な性格で、中学の時から今のように、生徒会で真穂のことをよく支えてくれていたのが恵人だった。


 進んで仕事の手伝いを申し出てくれて、嫌な顔一つせず、遅くまで一緒に頑張ってくれる。真穂にとっては、とても頼りになる存在であり、自分と似た性格のこの後輩のことを、真穂は率直に気に入っていた。


「えっと、まずは……」


 集中しようとしている表情とは裏腹に、声色から張りきっているのが丸わかりだ。

 真穂は別だが、大抵の学生にとって、わざわざ生徒会に入ってまで仕事をするということは、そこまで楽しいことではないだろう。面倒だと感じる者の方が多いだろうことは、誰にだって用意に想像できる。


 そんな本来ならば楽しい類のものではないことへ、こんなにも意欲的に取り組む後輩を見ていると、真穂はいつも口元が緩んてしまうのだ。


「恵人は真面目で偉いね」


 真穂は、自分でも意識していなかった自分の声に驚いた。

 考えてはいたけれど、直接言うつもりはなかった言葉だったから。

 真穂の殻からあふれ出したそれに驚いたのは、かけられた側も同じだったらしい。見れば恵人は、顔を上げて固まってしまっている。

 邪魔をしたことを謝ろうと、真穂が口を開くまえに、恵人の頬が急激に赤く染まった。


「ぃ、ぃえ、普通、ですよ」


 か細い声でそれだけ言うと、書類に目を落として動かなくなってしまう。

 うつむいていても見えるその横顔は、まるでリンゴみたいな色をしていて、その色を見ていると、真穂は何故か自分の顔が熱くなっていくのを感じた。


「ごめん。集中乱しちゃって」

「いや全然。真穂先輩は何も悪くないです!」

「そ、そう?」

「はい! むしろ褒めてもらえて嬉しかったです。ボク、もっと頑張りますね」



 先輩のために、


 そんなふうに続きそうだった恵人の口からは、声ではなく吐息がもれただけで、彼はそのまま口を閉じた。

 それでも真穂には、たしかに聞こえた気がしたのだ。


 どうしてそんな想像をしてしまったのか、真穂にもそれはわからなかった。

 いや、正確にはうっすらと、最近はその感情の輪郭が見えてきていた。


 意識すると気恥ずかしくて、息苦しい。ともすれば身体が悶えそうにもなる。けれど、そっと手を添えれば、とても暖かくて愛おしく、手放したくないと感じるそれ。


 真穂はこれまでの人生で、同じものを感じたことはない。

 だからこそ確証がなく、今はまだ自分の感情を持て余してしまっていた。


「真穂先輩、ボク、先輩の役に立てますか?」


 真穂に向けられている期待のこもった眼差し。恐る恐るといった声色だというのに、恵人はまっすぐに真穂を見つめている。澄んだ恵人の瞳に、はっきりと真穂の姿が映っていた。


 鏡のように、鮮明に自分の姿を映すその瞳を見ているだけで、真穂は自分の身体の奥から湧き上がってくる熱を感じた。

 心の殻の中、今現在成長中の感情が脈を打つ。

 もうすぐ殻を破り、生れ落ちそうなそれを、真穂はまだ何か知らない。


「恵人がいてくれて助かってるよ。いつもありがとう」

「ホントですか? へへ、よかったぁ」


 ふきこぼれそうな熱を隠して、真穂は平静な先輩としての殻を被る。

 けれど恵人のくったくない笑顔と、素直な言葉が、すぐにその殻を壊そうとしてきて、頼りになる先輩という肩書を守るために、真穂は必死になる必要があった。


 冷静な仮面の下で、真穂がそんな苦労をしているとは、夢にも思わないのだろう。無邪気な笑顔の恵人は、純粋に今このときを楽しんでいるように見える。

 そんな恵人を見ていると、自分の感情だけ乱されている気がした真穂は、純真無垢な後輩に、少しだけ意趣返しがしたくなった。


「ねぇ恵人。これからもよろしくね」


 意趣返しとは言っても、真穂に言えたのはその程度。

 されどその程度のはずの言葉の効果は、真穂が考えていた数倍は強力だったらしい。


 真穂を映していた綺麗な瞳を見開いて、そのままの姿で固まってしまう恵人。

 彫像みたいだと真穂が思ったのもつかの間、恵人は頬を急激に朱に染めて、あたふたと動き出す。


 自分の言葉一つで、こうまで行動に影響がでる恵人を見て真穂は、ストレートにかわいいとしか思えなかった。

 男子に対して失礼だろうかと、そんな考えがよぎったのは一瞬だけ、目の前にいる年下の男の子に抱く感情として、かわいいは何もおかしなことではないと、真穂はすぐにそう納得した。恵人には、絶対に直接言わないけれど。


「はい! ボク頑張ります!」


 まるで熱暴走を起こしかけている機械のような後輩は、ぎこちない駆動ながら、それでも溌剌とした返事を返してくれた。真穂にはそれが何よりも嬉しくて、意趣返しだとかそんなことは、もう頭の中からは消えていた。


「ありがとう恵人。じゃあ今日もよろしくね」

「はい! 任せてください!」


 自分は今、しっかりとした先輩をできているだろうか。そんな真穂の不安は、恵人を見ればすぐに杞憂だとわかる。

 顔を赤らめたまま、それでも必死になって集中しようとしている今の恵人に、自分以外のことを気にする余裕なんてないのは一目瞭然だから。


 緩んでしまいそうな表情筋に力をこめる。

 高鳴る心臓が、これ以上大きな音を立ててしまわないように、軽く深呼吸をする。

 同じ空間にいる後輩に、万が一にもバレないように、何度も、何度も。


 そうしてやっと、真穂は自分もやるべきことに視線を落とした。一緒にいてくれる後輩を見ていると、いつまでも仕事が手に付かない気がしたから。

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