第7話 生贄の儀式
次の瞬間、背もたれのある椅子の上に俺は座っていた。
立ち上がろうとしたが、全身が椅子に固定されており、両手は後ろ手に縛られていた。猿ぐつわがはめられ、頭の後ろできつく結ばれていた。
俺がもがいている姿が面白かったのだろう、獣人たちは笑い声を上げ、ワインを飲み、何かをかじる――パニックになった頭の中でも、それが人間の指を油で揚げたものであることは判別がついた。
そして、ジャック・オー・ランタン。それは、人差し指を突きつけた状態で、テーブルの対面に座っていた。ぴくりとも動かない。まるで置物のように。しかし、次の瞬間その頭が横を向いた。引き寄せられるように、その先に視線を向ける。
修道女めいたウサギ頭どもが、大きな台車を引いてやってきた。百年は酷使していそうなその台車の台の上には、軽自動車ほどもある大きな麻袋が載せられていた。俺は目を見張る。その麻袋からは、さざめくような鳴き声が聞こえてきたからだ。誰かがいる。あの中に。おそらく、人間が。
台車が止まる。
「ここはどこ! 助けて! 誰か!」
声がした。
女の声だった。
半狂乱で叫んでいた。
その声に聞き覚えがあったものだから、飛び出して行こうとした俺だが、体を縛りつける革紐のいましめの強さを、思い知らされる結果になった。
豚が立ち上がり、テーブルの上からワインとそれから出刃包丁を手に取った。傷だらけで黒ずんで、しかし金剛石よりも硬そうな出刃包丁を、ためつすがめつ眺めまわして、顔をほころばせる。それから、眉根を寄せ、ノシノシと袋の前に近づいていった。
「やめろ!」
そう叫びたかった俺の言葉は、声にならなかった。
豚は、袋に向かって包丁を振り下ろした。包丁が肉を切り、あたりに血を吹かせる光景が頭をよぎったが、そうはならなかった。豚が切り裂いたのは袋の表面だけだった。中から現れたのは、一糸まとわぬ男女の姿だった。女は花枝。そして、男はその伴侶だった。
大東は、花枝の長い髪をつかみ、そこに突っ立っていた。
おほほ、いひひ、あはは!
豚どもがわめく。『ご馳走』の登場に、目をむき、呼吸を高ぶらせ、口の端からよだれをしたたらせる。
「荒川哲治……!」
その声が言った。青前スカイスクレイパーの警備員。元大手テック関連会社のSE。その伴侶いわく〝鈍感な男〟。
「なぜここに俺がいるのかと言った顔だな。その顔が見たかったよ」大東は言った。「ここまで成し遂げるのに五年の歳月がかかった。五年。とても長かった。とても苦しかった。やっとお前たちに復讐を果たせるんだ。気分がいい」
そのむき出しの手には、黒い本が握られていた。俺はその本に見覚えがあった。もっとも最初に見たときはこんなに大きくなかった。言ってみれば、親指の先ほどの大きさだったはずだ。
「これがなにか気になるんだね? それこそが、今夜の主役だよ。この状況を作り上げ、そして絶望のエンディングを作り出すためのね。どこで買ったか教えてやろうか? 近所の古本屋だよ。ははは!」
それまで黙って見ていた豚が、ひとつふたつと歩みを進めた。その先で、不敵な笑みを浮かべながら大東が両手を広げた。
「奇跡を生むには代償がいる。等価交換というやつだ。
「やめて!」
花枝が叫んだ。
「ひどいことしないで! もう許して!」
大東は、切れ長の目を細め、その伴侶を見下ろした。口の端を歪ませ、油ぎった視線を向ける。
「この男が悪いのよ!」花枝は俺を指さして言った。「この男が私を強姦していたの! 私は悪くない! お願い許して!」
軽くウェーブのかった振り乱して、花枝はさめざめ泣いた。両目から流れた涙の雫が、そのむき出しの胸を、腹を、太腿を濡らす。
「嘘をつく必要はないよ、花枝」猫なで声で大東は言った。「君たちは愛し合っていた。俺たちのベッドの上で。本当の愛を感じたよ。録画した映像を見ていた限りでは」
花枝は絶句して、口をぱくぱくさせた。
「さあ、時間が近づいてきている」
大東は豚を見て、それから俺を見た。
「荒川哲治、お前はこの世界で永遠に生きることになる。こいつらに養われながら。縛られたままで。死よりも死んだ世界で永遠に生きろ!」
大東が言い終えた直後、大東の裸の腹に出刃包丁が突き刺さった。
ぎゃあああ! 花枝が悲鳴をあげた。
「うぎゅるるっる……ぅぅっふっ……」
包丁が動く。右に左に。上に下に。噛み締めた歯の隙間から血液をこぼしながら、やがて自らの身体を支えられなくなり崩れ落ちると、大東は眼球の光を失い、そして体はぴくりとも動かなくなった。
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