クマの出る温泉

ほっとけぇき@『レガリアス・カード』連載

クマの出る温泉

「ふっふっふ。到着しました、隈谷温泉‼」


 私の名前は泉穂香、趣味は温泉巡りのOLだ。


 今日は繁忙期も終えたから、久しぶりに温泉巡りも兼ねて某県へ旅行に来たのだ。

 

 「それにしても、『かわいい動物がたまに温泉に現れることがあります』か。どんな動物が出るんだろ?」


 猿が出るって言う長野の『地獄谷野猿公苑』にも行ったことがあるけど、温泉につかる猿めっちゃ可愛かったな。

 冬に行ったけど、頭のふさふさとした毛に積もる雪が、頭に乗せるタオルみたいで思わずのぼせかけるぐらい、素晴らしいものだったのだ。


 機会があれば、ぜひもう一度行ってみたいところ。


 とりあえず、今は目の前の温泉だー‼


 「ようこそ、隈谷温泉へ。」

 「予約していた泉です。」

 「今、確認いたしますので少々お待ちください。」


 そう言って、確認作業をする受付のお姉さんの名札ケースは可愛らしい熊のデザインだった。

 

 改めてみると、この場所って至る所に熊の置物が置いてある~‼


 もふもふで人一人分の大きさのティディベアに、鮭を加える熊の木彫り。熊をモチーフにしたソファにはくまの編みぐるみで敷き詰められている。


 「確認できました。泉穂香様、一名様でお間違いないですか?」

 「あ、はい。大丈夫です。」


 いかんいかん、手続きをしていたのをすっかりと忘れていた。

 あとで、温泉へ入る前にじっくりと見に来よう。こんなモフモフ天国、味わらない方がもったいない。

 

 「それでは、こちらルームキーになっております。」


 受付のお姉さんがそう手渡したルームキーも可愛らしい熊が刻まれている。

 もしかして、出るのって熊なのかな?さすがにそれはないか。


 単純に温泉の名前が『隈谷温泉』だからだろう。


 「客室棟はつき当たって右側に、温泉施設は左側にあります。露天風呂へ行かれる際は、入浴着を着て入ってください。何か質問はございますか?」

 「いえ、大丈夫です。」


 本当は何が出るのかを聞きたかったが、せっかくだしお楽しみと言うことにしておこう。

 それにしても、温泉に入るの久しぶりだなぁ。ここの温泉、全制覇しちゃおうかな。


 *


 「ふぅ、極楽極楽ぅ。……日々の疲れが取れていくのを感じるわぁ。」


 とりあえず室内温泉に入ってみたけど、湯船の温かさが疲れ切った体に効くぅ。

 この温泉の効能なのか、肌がすべすべになっていくのを感じる。


 これだけ上等な源泉かけ流しの温泉に入れたことだけでも十分満足だ。

 今日のところはこれで上がっちゃおうかな。

 

 「でも、せっかくなら見たいよね。動物が入ってくる温泉。」


 すでにこの湯舟を堪能しているし、わざわざ外に出るうまみはない。

 そんな当たり前のことは分かり切っているが、やっぱり直接見て見たい。


 いい年をした大人だって夢を見たいんじゃい。


 *


 「はぁはぁ、結構階段を上って来てみたけど、その甲斐があったわね。」


 『露天風呂はこちら』と書かれた看板が示す先にあった階段の段数を見てちょっと絶望したけど、何とか登り切ってみてよかった。


 乳白色の湯船はミルクのようで、視界が機能しなくなるほどの湯気はこの湯が熱いことをうかがわせる。


 「ふふふーん、いい湯だぁ。」


 今のところは動物なんて一匹も見ていないけど、温泉が気持ちいいからまぁいいか。


 そう、のんきに考えていたその時だった。


 いきなり、温泉が外にあふれ出した。ざっぱーんと重量感のある音と共に誰かが入ってきたようだ。


 あーあ、せっかくの楽しい湯船が台無しじゃない。入ってきたの一体、誰なのよ。


 「あのー、すみません。お風呂に、入、るな……え?」


 嘘、明らかに人間じゃないものが私の隣に座っている。

 湯気でその姿ははっきりと見えないけど、その影は人間にしては余りにも毛深い。


 ま、まさか、本当にいるの?


 「あ゛ぁ?……って、人間か。」

 「く、熊さん」


 低い男の声と共に大きな影がこちらに視線を寄こす。さっきよりも距離が近くなったから、姿もはっきりと目視できる。


 その姿は明らかに熊だった。


 「え、えぇ、あの噂って本当だったの?!」

 「マジで、俺が見えているのか。」


 ――あなた、自分のこと幽霊か何かだと思っているの?

 そう叫びたい気持ちを胸にしまって、今起きていることを整理する。


 噂の『動物が出る温泉』の隈谷温泉に来て、露天風呂に入った。

 そしたら、隣に熊がいた。しかも、人の言葉を流ちょうにしゃべる自認が幽霊の。


 ……って、分かるかぁ、そんなこと‼

 そんな三流小説みたいな展開、今更ないわ。

 まぁ、今自分の身に起こっていることだから、ぐうの音も出ない。


 「あー、嬢ちゃん。今日のことは忘れてくれや。女将に知られたらシバかれるから、堪忍な。」


 その言葉を最後に熊は姿を消していた。

 最初から最後まで何が何だかよく分からなかった。


 のぼせてみた幻想かもしれないし、現実で起こっていたことかもしれない。

 ただ、1つ言えることは私一人になった湯船の湯は目に見えるほど減っていた。


 まさに『事実は小説よりも奇なり』とはこのことであると、身をもって実感した一時だ。


 「また、ここに来よう。」

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