第3話

 ――風が鳴いていた。

 荒れ果てた大地の上、ひとり立つアルトは、ただ茫然とその音を聞きながら、辺りを眺めていた。


 どこから手をつければいいのか。いや――そもそも、何かを始めるべきなのか。


 そんな思考の底で、アルトはゆっくりと膝をついた。

 掌で土を掬い上げる。指の隙間から零れ落ちるそれは、黒く、乾いていて――けれど微かに光を含んでいた。


「……なんだ、これ!?」


 指でこねると、ざらついた土の粒子が、わずかに肌を刺すような熱を帯びている。

 魔力の名残。それは、まるでこの地がまだ呼吸しているかのような、弱々しい息遣いだった。


 アルトは、無意識に手を動かした。

 あるいは癖だったのかもしれない。あるいは現実から逃げるための儀式だったのか。


 慣れた指先が、土を練り、形を整えていく。

 生まれたのは、子供が遊ぶような小さなゴーレム――歪な、けれど確かな造形。


 懐から取り出した魔石を、その胸の中心に埋め込む。

 瞬間、土の体がびくりと震えた。


「……おいおい、まだ起動の詠唱すらしてないぞ」


 アルトは息を呑み、笑う。


 手元の小さな土人形に、人差し指で一文字ずつ刻む。

 『キューブ』。

 この小さなゴーレムの名前だ。

 そして、短い起動呪文を口にする。


 刹那、ゴーレムの腕が震え、次いで立ち上がった。

 まるで糸に導かれるように、しかし自らの意思を宿したかのように。


「……動け」


 アルトが小さく念じると、土の体がすぐに応えた。

 その動きは滑らかで、これまで作ってきたゴーレムとは比べものにならない。


「はは……なんだこれは。今までで一番、動いてるじゃないか!」


 興奮の中で、理屈が閃く。

 これまで用いていたゴーレムの素材はただの土や石とかだった。魔力の通り道が狭く、魔石だけが酷使されていたのだろう。

 だが、この地の黒土は違う。

 魔力の元となる魔素が多く含まれているのだ。


 魔素を含んだ大地そのものが導体となり、魔石の魔力を滑らかに循環させている。

 結果――動力効率は飛躍的に上がり、コアの魔石の消耗も抑えられる。


「……まさか、こんな場所で、理想の素材に出会うとはな」


 試しに命じると、キューブは自分の身の丈よりも大きな岩を、たやすく持ち上げてみせた。

 小さな体に不釣り合いな力。


「すごい……すごいぞ、キューブ!」


 歓声が、乾いた風に散る。

 その直後だった。


――茂みの奥で、低く唸る声がした。


 風が、息を潜める。

 木々のざわめきが消え、夜の帳が降ろされた為に音を失ったかのようだった。


 いつの間にか日が落ちており、辺りは薄暗くなっていた。


 アルトが振り向いた瞬間、茂みの奥から影が立ち上がる。

 獣――いや、もはやそれは自然の摂理を踏み外したもの。


 毛並みは燐光を宿した闇の焔だった。血走った双眸には、飢えと狂気と、僅かな理性の残骸が渦を巻いていた。


「……ま、魔獣……っ!」


 喉が凍りつくようだった。

 武器などない。逃げ場もない。すでにその巨体は、息づく空気を支配するほど近くにある。

 心臓が暴れ、鼓動が喉を打ち、胸の奥で焼けた鉄のような痛みが弾けた。


「キューブ、ま、前へ!」


 声が震えた。けれど命令だけは、かろうじて形を保っていた。

 小さなゴーレムが、ゆっくりと魔獣の前に出る。乾いた地を踏む音が、やけに大きく響いた。


 空気が張り詰め、風が止む。

 世界が一瞬、息を殺した。


 次の瞬間、獣が閃光のように地を蹴った。

 爪が空気を裂き、風鳴りが雷の音へと変わる。

 土煙が爆ぜ、土煙が舞い上がる。


 だが――ゴーレムもまた跳躍した。


 石の腕が唸り、拳が閃く。空気が鳴り、風が千切れ、重なり合った瞬間、世界の形そのものがひしゃげるような轟音が荒野を貫いた


 砂塵の向こうで巨体がのけぞる。

 その咆哮は短く、断末魔のように途切れた。喉の奥から血の泡が滲み、肉と石の激突が生んだ衝撃が、やがて静寂の底へと沈んでいく。


 ただ、風だけが生きていた。


 荒れ野を渡る風が、血の匂いと焦げた魔素の匂い、そして戦いの熱と恐怖の余韻をさらっていく。月明かりの下、それらは幻のように溶け、空気に溶けた。


 アルトはその中で、膝をつき、ゆっくりと息を吐いた。

 肺の奥に残る焦げた空気が、ようやく外へ逃げていく。


 目の前の小さなゴーレムが、魔獣を叩き伏せたのだ。

 信じ難い光景が、確かな現実として、眼前に残っている。


 アルトは土に手を伸ばし、掌で掬い上げた。

 黒ずんだ土には、魔素の光が微かに瞬いている。まるで大地そのものが息をしているように。


「これがあれば、なんとかやれる? かな……」


 かすれた声に、ほんの少しだけ希望の響きが混じった。

 その言葉は風にさらわれ、闇の中へと消えていく。


 空を見上げれば、雲間から覗く月が、冷ややかに世界を照らしていた。

 魔素を含んだ土が眠り、魔獣が彷徨い、空気すら微かにうごめく。


 そんな荒廃した地に、一人きりの若き領主・アルト。

 その瞳の奥には、微かな光が宿っていた。

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