第12話 譲れないもの

「驚いた……」

 フレイミングパイのマネージャー候補、さとう愛未は呟いた。

 ライブハウス「ROCK STEADY」で、フレイミングパイのメンバーは愛未に、課題の三曲を聴かせた。

 シーの重厚な曲調から、ポンズの軽快なロックンロールへと変わる二曲のオリジナル。

 そして、バンド名の由来となったポール・マッカートニーの「Flaming Pie」のカバー。

 どれも、愛未の予想を遥かに超えていた。

「シーには、ソロでは自分の世界だけで完結してしまう。でもバンドは化学反応。予想もしない音楽が生まれる。ってこと、教えたかったのに、なんでこうもあっさりクリアしちゃうのよ!」

 愛未は、ひきつった笑顔でそう言いながら、ポンズを見つめた。

「ポンズちゃん、あんた只者じゃないね」

「え? うちは、したいようにしただけやけやし。うちのしたいことと、シーの足りんって思っとったことが一致したんよ。それにシーの柔軟性がすごいんと思う。エレキに慣れるんもめっちゃ早いし」

 ポンズは照れくさそうに頭を掻いた。

 愛未の頭の中で、フレイミングパイのサポートがシー中心だったのが、書き換えられていく。

 今の段階では、シーとポンズの融合がこのバンドを引き上げていくというのが明確となった。

 *

「いける! これなら、フェスで埋もれることなく、フレイミングパイの爪痕を残すことができるよ!」

 愛未は興奮気味に語った。

 そばで聞いているオーナーの岩田も期待感で胸を膨らませている。

 その二人を見て、フレイミングパイのメンバーは顔を見合わせ、ニヤついた。

 そしてポンズが言った。

「サトちゃんさん、もう一個聞いてくれる?」

 ポンズたちは、さらに用意していたバンドのオリジナル曲を愛未に届けた。

 シーの歌詞に、ポンズのメロディー。

 四人全員の個性が詰まった、フレイミングパイのテーマソング。

「えっ?」

 愛未はさらに追い打ちをかけられ、絶句した。

 *

 そして、松山インディーズフェスの当日の朝がやってきた。

 八月下旬。

 まだ残暑が厳しいが、朝の空気は少しだけ秋の気配を含んでいた。

 朝九時、四人はホームグラウンドである「ROCK STEADY」に集合していた。

 いつもの薄暗い店内も、朝の光が差し込むと違った雰囲気だ。

「みんな、おはよう!」

 愛未が白いハイエースで到着した。

「サトちゃん、運転できたんや」

 シーが機材を運びながら言う。

「そう、自分の運転で会場回ってソロ活動やってたのよ。今日の会場、知ってる?」

「うん、有名なとこや」

 ポンズが答える。

「三百人規模の箱やから、ROCK STEADYより大きいけど、そんなに緊張しなくても大丈夫」

 *

 四人で機材を積み込む。

 ポンズのベース、シーとカグラのギター、エフェクト機材、そしてレアのドラムセット。

「うわ、機材でパンパンや」

 レアが三列目に押し込められる。

「ドラマーの宿命やな」

 ポンズが笑う。

 助手席にシー、二列目にポンズとカグラ、三列目にレアと機材と、それぞれ着座すると、

「じゃあ、出発するよ」

 愛未がエンジンをかける。

 ROCK STEADYから会場までは車で十五分ほど。

 松山の市街地を抜けていく。

 *

「なんか、遠足みたい」

 カグラが呟く。

「遠足やったら、もっとお菓子持ってきたのに」

 ポンズが冗談を言う。

「あかん、二百円までや」

 シーも冗談で切り返す。

「今日、何組出るん?」

 レアが聞く。

「十組。うちらは七番目」

 愛未が答える。

「ちょうどええな。前半の盛り上がりを引き継げる」

 車内に少し緊張感が漂い始めた。

「大丈夫、いつも通りやれば」

 愛未がバックミラー越しに四人を見る。

「練習の成果、見せたらええ」

 車は会場の駐車場に入った。

 すでに他のバンドの機材車も停まっている。

「よし、着いた」

 四人は顔を見合わせ、深呼吸をした。

「フレイミングパイ、行くで!」

 ポンズの掛け声で、全員が車を降りた。

 *

 いよいよ、フレイミングパイの挑戦が始まる。

 フレイミングパイの一行は、関係者専用の駐車場に車を停め、楽器や機材を降ろし始める。

 すでに他のバンドの車も何台か停まっていて、それぞれが機材を運び出している。

 ここは松山にあるライブハウスの中でも歴史あるライブハウスだ。

 最新の音響設備を導入したメインホールと、より小規模なイベントに対応する多目的ホールの二つの会場を持ち、バンド、DJ、アイドル、弾き語り、お笑いなど、幅広いジャンルのイベントが開催されている。

 今日は十組のバンドが出演し、フレイミングパイは七番目である。

 *

 楽器や機材を降ろしている四人のもとへ、すでに到着している出演バンドの一人が声をかけてきた。

 黒を基調としたクールな衣装に、さらっとした黒髪の気の強そうな女の子だった。

「へえ、レア、このバンドにいるの? 助っ人で?」

 その声を聞いた瞬間、レアの表情がこわばった。

「マキ……うちもメンバーやで」

「ふうん、皆さんくれぐれもお気をつけて~」

 マキは何やら含みをつけて、ポンズたちに忠告するように言った。

 その目は笑っていなかった。

「ちょっとマキ!」

 他のメンバーが、すみませんと頭を下げて、マキを連れていった。

「何あれ?」

 シーがレアに尋ねた。

「あの子ら、うちが前におったバンドなんよ~、まあうちが悪いんやけどね~」

 レアはいつものようにのんびりした口調で言ったが、その目は笑っていなかった。

 ポンズとシーは、以前解散ライブをしたバンドリーダーの言葉を思い出した。

 確か前のバンドをクビになったと。

 二人ともそれ以上はレアに何も聞かなかった。

 *

 ライブ会場では、出演バンドのリハーサルが、一組ずつ行われている。

 フレイミングパイも順番待ちをしている。

 ポンズとシーはいつもと様子が違う雰囲気に、胸が躍り、意気揚々としていた。

 大きなステージ、プロ仕様の音響設備、そして数々のバンドが腕を競い合う空気。

 それに引き換え、カグラは終始無口で、レアも心ここにあらずだった。

 リハーサルが迫ると、愛未が声をかける。

「私、ソロの時は毎回吐きそうだったよ。全部一人で背負わなくちゃいけないから。でも、あなたたちは違う。四人で一つ、支え合える」

 その言葉を噛み締め、四人は拳を合わせ、ステージへ向かう。

「フレイミングパイです。よろしくお願いします」

 ポンズがPA卓や調整のスタッフに向かって丁寧に挨拶した。

 自分達の編成や、ギターのエフェクトの種類、モニターの音量などをスタッフと調整し、一曲通してみた。

 十代そこらの可愛い女の子たちが、思わぬ演奏を始めたので、出演バンドのメンバーたちが、足を止めた。

「へえ……」

 さっき忠告してきたマキが、腕を組んで感心しながら聴いている。

「あ、マキおった。レアんとこ、結構やるやんか」

 さっきポンズらに謝ってくれたメンバーに、感心している様子を見られて真っ赤になったマキは、

「さ、さあ、どうやろかね」

 と、ぶっきらぼうに言って去っていった。

「何よ、レア見てから様子が変やで」

 *

 控室に戻ったフレイミングパイ。

 ポンズとシーは演奏中、カグラとレアの異変に気づいていた。

 シーが口を開いた。

「うちが、ソロデビュー決まりそうな時、どうしよかと悩んだままライブしたら、ポンズに見透かされてた。ポンズ、今もそう感じてるんやろ」

 ポンズはうなずいて、意を決したように語りかけた。

 愛未は黙って見ていた。

「うん、レアちゃん、何があったか教えてもらってもかまん?」

「ああ、うち? ごめ~ん、後ろから煽るとか言うてたのにな~」

 レアは深く息を吐いて、前のバンドでのことを話し出した。

 *

 元気で派手な格好で、アクセをたくさんつけているレアは、前のガールズバンドでも目立つドラマーであり、パフォーマンスも十分だった。

 しかし、バンド内での立場は微妙だった。

 レアは技術的には優秀だったが、自分のスタイルを貫くことに固執していた。

 特に、バンドリーダーでベーシストのマキとは、音楽的な方向性を巡って度々衝突していた。

「レア、もっとシンプルに叩いてよ。うちらの曲には派手すぎるわ」

「でも、ファンの子たちはうちのドラムを気に入ってくれとるよ?」

「ファンのことも大事やけど、バンド全体のバランスが崩れてるんよ」

 マキは真剣だった。

 バンドのサウンドスタイルを追求するために、レアに注文をつけていた。

 でも、当時のレアには、それが理解できなかった。

「バランスって言うけど、マキだって結構目立ちたがりやん」

「何それ、私が目立ちたがり? レアの方がよっぽど……」

 こんなやり取りが日常茶飯事だった。

 レアは自分なりに一生懸命やっているつもりだったが、マキからは常に「もっと控えめに」「もっとバンドのことを考えて」と要求された。

 でも、レアにとってドラムは自己表現の手段であり、抑制することは自分を殺すことのように感じられた。

 *

 そして、あの日がやってきた。

 ライブでの演奏中、レアは口論での苛立ちから、いつも以上の力でドラムを叩いていた。

 マキたちも力が入り、テンションが高く、演奏に熱が入っている。

 それに呼応し、レアも負けじと激しく、どんどん煽るようにドラムを叩いていく。

 ライブ終盤、熱くなりすぎて、いつもとは違うオーバーアクションのせいで、レアのアクセの一部がクラッシュ・シンバルに引っかかった。

 ライドシンバルやマイクと共に転倒転落させ、アクセのビーズが弾け飛び、演奏をストップさせてしまった。

「最悪や……」

 レアは心の中でつぶやいた。

 観客からは悲鳴とも歓声ともつかない声が上がり、他のメンバーは困惑の表情を浮かべていた。

 そしてマキの顔が、怒りで真っ赤に染まっていくのが見えた。

 *

「そっからライブがしらけてしもてね~、さっきのマキがそれはもう怒ってしもて、それでうちから身い引いたんよ」

 レアはそう言うと、マキとの最後の会話を思い出していた。

 ライブの後、楽屋で二人きりになった時のことだ。

「レア、うちらのバンド抜けるってほんとなん?」

 マキの声は怒りを抑えているようで、でもどこか震えていた。

「これはうちのスタイルやし……変えれんけん」

「スタイル? バンドより自分の見た目とか、好きに叩くことが大事なん?」

 マキの言葉が突き刺さる。

 本当は、マキがバンドのことを考えて言ってくれていたことは、わかっていた。

 でも、素直になれなかった。

「そんなん言うたって、マキかて自分の好きなようにベース弾いてるやん!」

「うちとあんたは違うわ! うちはバンドのことを考えてる! 抜けるんやったら好きにしたらええ。うちらとは音楽性が合わへんみたいやし!」

 マキの目が潤んでいるのが見えた。

 怒っているだけじゃない。

 悔しいんだ、悲しいんだ。

 でも、レアはそれ以上、何も言えなかった。

「……ほな」

 レアは静かに身を引いた。

 ライブを台無しにした責任を感じていたから。

 そして、マキの期待に応えられなかった自分が情けなかったから。

 *

 レアの話を聞いて、ポンズは言った。

「そっか、で、あの子らのおるところでは、ちょっと気が引けちゃったってことなん?」

「面目ない……でも、本番では大丈夫やから」

 レアは無理に笑顔を作った。

「カグラちゃんは緊張してるだけやもんね」

「ああ、えっと、あの、その」

「あははは、心配してへんよ、カグラちゃん火ぃつくの遅いだけやから。絶対うまくいくよ」

「うん……頑張る」

 カグラは他に何か言いたそうだったが、愛未が割って入って、にっこり笑って言った。

「よし、心配なさそうね。それじゃ、本番まで時間があるから、フェスを楽しもう!」

 *

 松山インディーズフェスが開催された。

 四人はホールの後ろで他のバンドの演奏を見て、レベルの高さに圧倒されたり、すでに固定ファンがいるバンドの盛り上がりに気圧される。

 それでも四人は自分たちの演奏をすることに意識が向き始めていた。

 レアは過去の失敗を思い出しながらも、今回は違うと感じていた。

 フレイミングパイでは、自分のドラムスタイルを否定されることはない。

 むしろ、ポンズやシー、カグラには自分の個性をぶつけていかないと置いていかれる。

 そしてぶつけていくと、それを活かそうとしてくれている。

「今度は絶対に失敗しない」

 レアは心に誓った。

 *

 そして、控室に戻ろうとした時、マキたちのバンドと鉢合わせた。

 レアが、マキの前に歩み寄って立ち止まった。

 メンバーたちは固唾を飲んで見守った。

「マキ」

「何よ」

 マキは腕を組んで、挑戦的な目でレアを見た。

 でも、その目の奥には、複雑な感情が渦巻いているように見えた。

「うち、ずっとあの時のライブぶち壊したの後悔してるんよ。だからドラムの助っ人ばっかりやって、さまよい歩いてた。でもつまらんのよ。マキらの後ろで楽しかったんよ。けど、この子らがそれを思い出させてくれたん」

「だから?」

 マキの声は、まだ硬かった。

「マキらに負けんバンドになるけん」

 そう言うと、マキは吹き出した。

「プッ! 謝ってくれる流れか思たら、挑戦状でも叩きつけに来たん?」

「あれ? そう聞こえてしもたな」

 マキとレアは笑い合った。

 これまでのつかえが取れたかのように心ゆくまで。

「レア、あんたのドラム、うちは嫌いやなかったよ。ただ、うちらが目指すスタイルに合わせてほしかっただけで」

 マキが小さな声で言った。

「わかっとる。今はな」

 レアも静かに答えた。

 ポンズたちとマキのバンドのメンバーは、握手をしてお互いの健闘を誓い合った。

「負けへんで」

 マキがレアに言った。

「望むところや」

 レアが笑顔で答えた。

 その目には、もう迷いはなかった。

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