第5話 ポンズの挑戦状

 松山市内の音楽スタジオ。狭い防音室の中で、ポンズとカグラは向かい合っていた。

 スピーカーからは、シーのCDが流れている。

「じゃあカグラちゃん、具体的にどうやってシーに挑むか考えよう」

 ポンズは真剣な目で言った。

「うちらの世界観をぶつける、って決めたけど……実際どうしたらええんやろ」

「……詩音さんの曲に、わたしたちの音を乗せるんじゃなくて……」

 カグラは考えながら言った。

「詩音さんの曲の上で、わたしたちが好き勝手に暴れる……とか?」

「それや!」

 ポンズの目が輝いた。

「シーの曲に寄り添うんやなくて、シーの曲を舞台にして、うちらが主役みたいに弾きまくる」

「で、でも、それって詩音さんに失礼じゃ……」

「失礼なくらいでちょうどええんよ」

 ポンズはニヤリと笑った。

「挑戦状なんやけん。シーに『こいつら、やるな』って思わせんと意味がない」

 カグラは少し不安そうだったが、やがて小さく頷いた。

「……やってみる」

 *

 そこからの練習は、今までとは全く違った。

 ポンズはヘフナーのヴァイオリンベースを抱え、シーのCDに合わせて弾き始めた。でも、それはシーの曲に寄り添うベースラインではなかった。

 攻撃的で、挑発的で、まるでシーに喧嘩を売っているようなフレーズ。

「カグラちゃんも、好きなように弾いて!」

「わ、わかった……!」

 カグラもIbanezのAZ2402を構えた。

 最初は戸惑っていた。シーの曲を壊してしまうような気がして、遠慮がちにしか弾けなかった。

 でも、ポンズのベースがどんどん激しくなっていく。その音に引っ張られるように、カグラのギターも変わり始めた。

「そうそう!もっと!」

 二人は汗だくになりながら、シーのCDの音源を置き去りにしていった。

 もはやシーの曲は、二人が暴れるための舞台でしかなかった。

 ポンズとカグラは、競争するように自分の音を重ねていく。どちらがより派手に、どちらがより印象的なフレーズを叩き込めるか。

 スタジオの空気が熱を帯びていく。

「はぁ……はぁ……」

 練習が終わった後、二人は床に座り込んでいた。

「……楽しかった」

 カグラが、珍しく自分から言った。

「やろ?」

 ポンズはニカッと笑った。

「これをシーにぶつける。シーの心を揺さぶるんや」

 *

 同じ頃、シーは自分の部屋にいた。

 机の上には、レコード会社からもらったデモCDが置いてある。

 ずっと聴く気になれなかった。聴いてしまったら、何かが決まってしまう気がして。

 でも、いつまでも逃げているわけにはいかない。

 シーは意を決して、CDをプレーヤーにセットした。

 再生ボタンを押す。

 聴き慣れたイントロが流れてきた。

 でも、何かが違う。

 ストリングスが加えられている。ドラムのビートが派手になっている。シンセサイザーの音がキラキラと彩っている。

 確かに、豪華になった。今の若者がSNSでダンス動画にしてくれそうな、明るくて楽しい要素が詰め込まれている。

「これがプロの仕事……」

 シーは息を呑んだ。

 芸能事務所、レコード会社、売れっ子プロデューサー。何人もの人が関わって、自分の曲がここまで生まれ変わっている。

 そのスケールの前に、自分のちっぽけさを思い知らされた。

 でも……

「これ、うちの曲なん……?」

 確かに、メロディーは自分が作ったものだ。歌詞も自分の言葉だ。

 でも、アコースティックギター一本で歌っていた時の、あの生々しさがない。シンプルだからこそ伝わっていた、心の痛みや希望が、豪華なアレンジの中に埋もれてしまっている気がする。

「自分の音楽を自由にすることって、許されんのかな……?」

 シーは呟いた。

 初めてギターを手にしたとき、誰かの曲を弾くことより、思ったことを詞にして、曲をつけて歌うことで、自分の世界が変わった。

 自分の詞と曲で、どんなことも出来たし、どんなところへも行けた気がした。

 知らない人々が足を止め、自分の音楽を聴くようになった。

 技術的にシンプルでも、自分の感情を表現に叩き込み、その時々で空気を変える。同じ曲でも、全く同じライブはなかった。

 この前のライブは、歌っただけだった。それは強く感じていた。

 でも、このプロのアレンジを聴いていると、自分の音楽が別の次元に昇華されているのも事実だった。多くの人に届けられる力がある。路上ライブだけでは到達できない場所に、自分の音楽を運んでくれる可能性がある。

「でも、これは本当に自分の音楽なんやろうか……?」

 シーの心は揺れていた。

 プロの道を選べば、確実に多くの人に自分の音楽を届けられる。でも、その過程で自分らしさを失ってしまうかもしれない。

 シーはこれではいけないと、今日もまた路上ライブに出かけることにした。

 自分の答えを、自分で見つけるために。

 *

 アーケード街近くの駅前広場。

 夕暮れの空が、オレンジ色に染まり始めている。

 シーはいつものように、父のギター、ヘッドウェイのHMJ-WXを背負って準備を始めた。

「こんばんは~」

 聞き覚えのある声が、背後からした。

 振り返ると、そこにはポンズが立っていた。いつものようにニコニコしている。

「ポンズ……」

「今日は、紹介したい人がいます~」

 ポンズの後ろから、おずおずと姿を現したのは……

「あ、キミは!」

 以前、CDを買っていった女の子だった。背中に大きなギターケースを背負っている。

「か、か、神楽坂奏多です……ポンズちゃんには、カグラって呼ばれてます……」

 カグラは緊張で顔を真っ赤にしながら、ぺこりと頭を下げた。

「そういえば、CD買ってくれた子やね。ギター背負って来てたの覚えとるよ」

 シーは、カグラのことを覚えていた。

 シーはポンズに目を向けて言った。

「今日もセッションしてくれっての?」

 ポンズはニヤッと笑った。

 その笑みには、いつもとは違う光があった。

「違うよ」

「は?」

「今日はうちらからの挑戦状」

 シーは一瞬、耳を疑った。

「挑戦状……?」

「シーの曲、好きなように弾かしてもらう」

 ポンズの目は、真剣だった。

「それでどうなろうが、今日で最後にする。こないだみたいに腑抜けた演奏してたら、食っちゃうけん」

 まさかの宣戦布告に、シーは呆気に取られた。

 腑抜けた演奏。

 その言葉が、胸に刺さった。

 自分でも気づいていた。前回のライブは、どこか空回りしていた。レコード会社の話を聞いてから、自分の音楽が自分から離れていくような感覚があった。

 それを、この子は見抜いていたのだ。

「……好きにすれば」

 シーはそっぽを向いて言った。

 でも、口元は緩んでいた。

 面白い。

 久しぶりに、心の奥底で何かが燃え始めた気がした。

 *

 ポンズとカグラは、持ってきた楽器やアンプの準備を始めた。

 シーの横で、二人は黙々と機材をセッティングしている。

 カグラの手が震えているのが見えた。緊張しているのだろう。無理もない、初めての人前での演奏なのだから。

 でも、その目には確かな覚悟があった。

 シーはマイクを手に取った。

「チェック、チェック、ワンツー、ワンツー……真白詩音で~す!ライブやっていくんで、ぜひ聞いていってくださ~い」

 いつものように、マイクチェックと客引きの声を出す。

 通りかかった人々が、足を止め始めた。

 シーは今日のセットリストを描いたメモをポンズたちに渡した。

「今日は前に来てくれたポンズと、加えてギタリストのカグラちゃんが来てくれてます」

 シーはマイクに向かって告げた。

「初めて合わせるけど、いいもの見られるかもしれませんよ~!」

 観客からざわめきが起きる。

 シーは深呼吸した。

 何が起きるかわからない。でも、それでいい。

 今日は、挑戦を受けて立つ。

「いくよ。ワン、ツー、スリー、フォー!」

 シーのカウントとともに、一曲目が始まった。

 *

 最初の数小節で、シーは異変に気づいた。

 ポンズのベースが、自分の曲に寄り添ってこない。

 ヘフナーのヴァイオリンベースHCT-500から放たれる音は、攻撃的で、挑発的だった。まるで「ついてこれるか」と言わんばかりに、シーの歌を押しのけようとしてくる。

 そして、カグラ。

 IbanezのAZ2402を構えた彼女は、最初は緊張で精彩を欠いていた。

 でも、ポンズがアイコンタクトを送った。

「カグラちゃんなら、絶対大丈夫!」

 その目を見て頷いた瞬間、カグラの音が変わった。

 遠慮がちだったギターが、急に牙を剥いたように暴れ始める。

 シーは驚いた。

 これがあのオドオドしてた子なの?

 ポンズとカグラの音が絡み合い、うねりとなってシーに襲いかかってくる。

「こいつら……!」

 シーの表情が変わった。

 目は鋭く、でも口元は笑っている。

 自分の曲なのに、支配されてたまるか。

 シーは、父が取り付けたピックアップのボリュームを上げた。

 アコースティックギターの音が、電気を通して増幅される。

 負けてられない。

 シーは声を張り上げた。今までの空回りしていた演奏とは違う、魂を込めた声が響く。

 *

 一本のマイクに、ポンズが寄ってきた。

 コーラスパート。

 シーとポンズの目が合った。

「やりやがったな!」

「挑戦状つったやん!」

 声には出さない。でも、目が叫んでいた。

 二人の声が重なる。ぶつかり合いながら、でも不思議と調和している。

 そして、間奏に入った。

 *

 カグラがソロを弾き始めた。

 シーの世界とポンズの世界がぶつかり合っている、その間から……

 まるで火山が噴火するかのように、カグラの世界が吹き出してきた。

 丸めた背中から凄みを発している。

 あの内気な女の子が、ギターを弾いている時だけは、まるで別人のようだった。

 指が弦の上を駆け巡り、感情が音となって溢れ出す。

「キタキタキター!」

 ポンズは表情で喜びを爆発させた。

 カグラはただただ夢中にギターを弾いているだけ。

 でも、その姿は誰よりも輝いていた。

 シーはギターをかき鳴らしながら、カグラを凝視した。

「これが、あのオドオドしてた子なん……?」

 でも、口元は笑っていた。

 認めざるを得ない。

 この子たちは、本物だ。

 *

 ライブは終盤に入っていた。

 シーの中で、何かが弾けた。

 レコード会社の言葉、デモ音源の変わり果てた自分の曲、前回の空回りしていたライブ……そんなものは、全部どうでもよくなった。

 今、目の前にいる二人と、音で勝負する。

 それだけでいい。

 シーは歌詞を叫んだ。

 アドリブで自分なりのフレーズも弾いてみる。

 ストロークに力が入る。

 バチン!

 シーの弦が切れた。

 でも、止まらない。

 ピックが飛んでも、自分の爪でかき鳴らした。

 血が滲んでも、歌い続けた。

 観客は体を左右に揺らし、手拍子や歓声が増えていく。

 広場全体が、熱狂に包まれていた。

 *

 そして、全ての曲が終わった。

 三人は肩で息をしていた。

 汗だくで、髪は乱れ、シーの指からは血が滲んでいる。

 観客は一瞬、呆然としていた。

 何が起きたのか、理解が追いつかない様子だった。

 でも、一呼吸置いてから……

 大歓声が上がった。

 拍手喝采。

「すげー!」

「カッケー!」

「何これ~!」

 歓声の嵐が、三人を包み込んだ。

 *

 シーは、観客の様子にしばらく圧倒されていた。

 頭の中を、いろんなことが駆け巡る。

 父のギターの音色。

 父の死。

 寂しさを紛らわすために初めてギターを手にしたときのこと。

 初めて曲を作ったときのこと。

 初めて路上で歌ったときのこと。

 高校進学をやめて母と口論したこと。

 ポンズとの出会い。

 芸能事務所の人の言葉。

 デモ音源の、変わり果てた自分の曲。

 そして、今日の演奏。

 これらがぐるぐる、シーの頭の中で回りだす。

 やがて、シーの瞳に、何かが確信に変わったような光が宿った。

 シーは不意にマイクを取り、叫んだ。

「ありがとう!」

 観客が静まり返る。

 シーの次の言葉を、誰もが待っていた。

「うち、この子らとバンドで武道館目指します!!」

 *

 その瞬間、ポンズの心臓は高鳴った。

 全身がブルブルと震える。

 ついに、ついに、あのシーとバンドが組めるのだ。

 シーはソロデビューではなく、自分たちとの音楽を選んでくれた。

 しかも、シー自ら宣言してくれた。

 ポンズとカグラは、シーの世界を変えることに成功したのだ。

 自分たちの音楽で、シーの心を動かした。

「シーーーッ!」

 ポンズは感激のあまり、シーに抱きついた。

「やめて」

 速攻でシーに拒否られた。

 でも、シーも少しだけ笑っていた。

 *

 シーは、レコード会社のデモ音源では絶対に味わえなかった、生の音楽の力を改めて実感していた。

 プロのアレンジも素晴らしい。多くの人に届けられる力がある。

 でも、仲間と作り上げる音楽には、それとは違う魂がこもっている。

 観客の熱狂的な反応を見て、シーは確信した。

 自分の音楽は、一人よりも仲間と一緒の方が、もっと多くの人の心に届けられる。

 そして、それは決して自分らしさを失うことではない。

 むしろ、自分一人では見つけられなかった「自分らしさ」が、仲間との演奏の中で花開いた気がする。

 *

 カグラも、初めて味わった人前での演奏の興奮と、仲間との一体感に包まれていた。

 これまで一人で部屋にこもって練習していた日々。

「自分みたいな陰キャには、バンドなんて無理だ」と思っていた日々。

 でも、全ては、この瞬間のためにあったのだと感じた。

「武道館……」

 カグラは小さく呟いた。

 そんな大きな舞台、想像もつかない。

 でも、ポンズちゃんと、シーちゃんとなら……

 もしかしたら、夢じゃないかもしれない。

 *

 観客が去っていった後も、ポンズは興奮が収まらなかった。

 機材を片付けながら、何度もシーとカグラの顔を見てしまう。

 本当に、この三人でバンドを組むんだ。

 本当に、武道館を目指すんだ。

 おじいちゃん、見とってや。

 うち、最高の仲間を見つけたけん。

 ポンズが自分にとってのジョージに続き、自分にとってのジョンを手に入れた瞬間だった。

 あとはリンゴだ。

 そして、武道館への道が、今、始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る