第3話 リードギタリスト

 神楽坂奏多かぐらざかかなたは、普段学校帰りは路面電車に乗って帰る。

 でも、たまに気分転換でアーケード街を歩いて帰ることにしている。今日はその「たまに」だった。

 背中にはエレキギターを背負っている。メンテナンスに出していたギターを受け取りに、ロープウェイ街にある楽器店に寄っていたのだ。

 奏多の通う私立高校はその近くにあるので、土日に持って行き、学校帰りに受け取って帰るのがいつものパターンだった。メンテナンスといっても大したことではない。フレットの減りをチェックしてもらったり、ネックの調整をしてもらったり。プロでもないのに、ちょっと過保護かもしれない。

 もうひとつ古いものを持ってはいるが、このギターだけは奏多にとって唯一の友達みたいなものだから。

 *

 奏多は学校では目立たない生徒だった。

 背は少し高めだが、髪は後ろで一つに結え、いつも猫背気味。部活動にも入らず、放課後はさっさと帰宅して、家で大好きなギターに触れている。それが何より幸せだった。

 クラスメイトとは必要最低限の会話しかしない。グループ課題の時は一応参加するが、自分から話しかけることはほとんどない。昼食は教室の隅で一人で食べる。

 別にいじめられているわけではない。ただ、人と話すのが苦手なだけ。

「……陰キャ、だよなあ、わたし」

 奏多は自分でもそう思っている。

 *

 そんな自分みたいな陰キャのギタリストが活躍するアニメが、最近大ヒットした。

 主人公は人見知りで内向的な女子高生。でも、ギターの腕前はプロ級で、ひょんなことからバンドに誘われて……という話だ。

 奏多はそのアニメを見て、少しだけ希望を持った。

(こんな自分にも、誰か声をかけてくれたらいいのにな……)

 淡い期待を抱きながら、アーケード街を歩く。

 もしかしたら、どこかのバンドが「ギタリストを探してるんだ!」って声をかけてきて、「君、良かったらうちのバンドに入らない?」なんて言われて……。

(いやいやいや、ないない。そんなこと、あるわけない)

 奏多は自分の妄想を打ち消した。

 現実は厳しい。クラスメイトは自分に興味を示さないし、音楽の話ができる友達もいない。ギターはある程度上手だと自分でも思うが、それを披露する場所も機会もない。

 学校には軽音同好会がある。でも、あそこは陽キャの巣窟だ。入口を覗いただけで、眩しいオーラに目が眩んで撤退した経験がある。

「無理無理無理無理……」

 奏多はあの時のことを思い出して、小さく震えた。

 *

(こんなわたしにも、いつか誰かと一緒に演奏できる日が来るのかな……)

 奏多はそんなことを考えながら歩いている。

 結局、誰も声なんてかけてくれない。当たり前だ。こんな地味な見た目で、猫背で、目も合わせられないような人間に、誰が声をかけるというのか。

 家に帰れば、自分だけの時間が待っている。今夜も自分の愛機と思う存分語り合うのだ。ヘッドフォンをつけて、好きなバンドの曲を流しながら、一緒に演奏する。その時だけは、自分もバンドの一員になれた気がする。

(まあ、それでいいんだけどね……)

 奏多は諦めたように、とぼとぼと歩き続けた。

 *

 アーケード街を歩いているうちに、奏多は人だかりを見つけた。

 少女が歌っている。知っている歌声だ。

 以前からよく見かけるストリートミュージシャンで、最近は人だかりが多くなっていた。ショートカットにメッシュの入った髪。力強い歌声。奏多は何度か足を止めて聴いたことがある。

 でも今日は、何かが違った。

 よく聞くと、ギターの音が二つ聞こえる。

(あれ? 今日は誰かと一緒にやってる?)

 時々コーラスが入り、ハーモニーが美しい。二人の声が重なって、楽曲に厚みが生まれている。

「何、これ……いつもと違う」

 奏多は人だかりの後ろから、そのパフォーマンスを見ようとした。

 背の高い彼女でも、演奏している二人がよく見えない。人の壁が厚くて、小柄な二人の姿は隠れてしまっている。

 それでも、演奏はパワフルだった。人の壁を越えて、音楽が飛び込んでくる。

 *

 前に見かけた時も、すごい子だなとは思っていた。

 でも、今日みたいな衝撃は初めてだった。

 メインボーカルの少女の声は、力強くて感情がこもっている。歌詞もしっかり聞き取れて、日常の中の小さな痛みや希望について歌っているようだ。

 もう一人のギタリストは、アコースティックギターでベースラインとメロディラインを同時にこなしている。技術的にもかなりのレベルだ。

 二人の音楽には、確かな技術と心がこもっていた。

 そして、奏多の頭の中で、何かが動き始めた。

 *

 自室にこもり、有名なバンドの曲を何曲も練習してきた。そのバンドの曲をヘッドフォンで聞きながら、一緒に演奏をする。そんな毎日を送ってきた。

 その経験が、今、奏多の頭の中で発火した。

 二人のパフォーマンスの間に、自分のギターソロを割り込ませることができるのでは?

 そんな感覚を覚えた。

 Aメロでは控えめなアルペジオで支える。二人のアコースティックギターの音を邪魔しない、繊細なタッチで。

 Bメロでは少しだけメロディラインを加える。ボーカルを引き立てるような、さりげないフレーズを。

 そしてサビでは、感情を込めたリードラインを。二人の音楽をさらに盛り上げるような、力強いプレイを。

 特に間奏部分。あそこには、自分らしいソロを入れてみたい。

 頭の中で、自分のエレキギターがその音楽にどう絡んでいくかを想像していた。フレーズが次々と浮かんでくる。

「よくわからないけど……引き寄せられる。この感覚は、何……?」

 奏多は自分でも不思議だった。

 これまで一人で練習してきた技術が、誰かの音楽と合わさったらどうなるのだろう。想像するだけで胸が躍る。

「わたしも一緒に演奏できたら……」

 奏多は、自分でも気づかないうちに、その音楽に心を奪われていた。

 *

 ライブが終わった。

 大きな拍手が起こり、二人がお辞儀をしている。そして、手作りのCDを購入するための列ができ始めた。

 二人と話してみたい。

 奏多はそう思った。

 でも、何を話せばいいのかわからない。「すごかったです」とか「感動しました」とか、そんな薄っぺらい言葉しか浮かばない。

(いや、でも、話しかけないと何も始まらないし……)

 奏多は勇気を振り絞って、CDの手売りの列に並んだ。

 心臓がバクバクしている。手が少し震えている。

 列がゆっくり進んでいく。前の人たちが、笑顔で二人と言葉を交わしている。

(みんな、どうしてあんなに普通に話せるの……?)

 奏多には、そのコミュニケーション能力が眩しかった。

 そして、ついに奏多の番が回ってきた。

 *

 目の前に、メインボーカルの少女がいた。

「あ、あ、あの~」

 声が裏返った。恥ずかしい。

「今日はありがとう。CD? 握手だけでもいいですよ」

 少女は優しく微笑んでくれた。名前は確か、真白詩音。ポップに書いてあった。

「あ、千円……」

 奏多は震える手で千円札を差し出した。

「ありがとう、はいCD」

 詩音はCDを渡しながら微笑んだ。

「どうも……よかったです」

 なんとかそう言った。

 でも、それだけだった。緊張して、それ以上何も喋れなかった。

 本当は、「わたしもギターやってるんです」「よかったら一緒に演奏しませんか」そんなことを言いたかったのに。

 何も言えないまま、奏多は列から外れた。

 もう一人のギタリストの方を見ると、何やらCDを買った他のファンの人に囲まれていた。「ポンズちゃん!」「また来てね!」という声が聞こえる。

(ポンズ……? あの子の名前?)

 奏多は近づくことができなかった。

 *

 人だかりが解けて、落ち着いた頃。

 奏多は二人が見える位置で、ずっと眺めていた。

 二人は何やら真剣そうな話をしているようだった。表情も硬い。近づける雰囲気ではなかった。

(話しかけたいけど……でも、邪魔しちゃいけないし……)

 奏多はうろうろと、二人の前を行ったり来たりした。

 時々、背中のギターケースをわざとらしくアピールしてみたりもした。「ほら、わたしもギター弾くんですよ」という無言のアピール。

 でも、二人は全く気づいてくれなかった。

「…………」

 当たり前だ。こんな地味なアピール、誰が気づくというのか。

 奏多は自分の行動の虚しさに、顔が熱くなった。

「はあ……」

 諦めて帰ることにした。

 奏多は肩を落として、駅の方へと歩いていった。

 *

 駅のホームで、奏多は電車を待っていた。

 そして、この内気な自分の性格を呪った。

(なんでわたしは、こうなんだろう……)

 もし、自分がもっと社交的だったら。もっと堂々と話しかけられたら。

「わたしが、あんたらの音楽にリードギターをつけてやる!」

 そうやって胸を張って言えたら、今こんな毎日を送ってなどいない。

 奏多は頭の中で、自分が堂々と二人に話しかけるシーンを想像した。

「いい演奏だったな。でも、何か足りない。そう、リードギターだ。わたしが入れば、お前らの音楽はもっと輝く」

 そんなクールなセリフを言って、颯爽とギターを取り出し、即興で完璧なソロを決める。二人は驚きと尊敬の眼差しで自分を見つめ、「ぜひうちのバンドに!」と懇願する……。

(……あるわけないじゃん)

 奏多は自分の妄想に呆れて、頭を振った。

 顔を隠してでも動画配信する勇気もないし、自分がどれほどの腕前なのか、他人にどれほどの影響を与えられるのか、全く知らない。

 ギターの腕前には、多少の自信がある。でも、それを誰かに見せる勇気がない。

 結局、自分は一人で部屋にこもって弾くしかないのだ。

 *

 電車が来るまで、少し時間がある。

 奏多はスマートフォンを取り出した。

(さっきの真白詩音さんの動画、どこかにないかな……)

 SNSで検索してみる。真白詩音。路上ライブ。松山。

 いくつか動画が出てきた。でも、今日のライブはまたいつかアップされないかな…?。

 そんな時だった。

「ねえ! ギターするの?」

 ドキッとした。

 後ろを振り返ると、さっきパフォーマンスをしていたもう一人のギタリストが立っていた。

 *

「あ、あ、あなたは!?」

 奏多は目を見開いた。なんで? どうして? さっきまでアーケード街にいたはずなのに?

「うち、光月寛奈みつきかんな。ポンズって呼んで。今日からそう名乗ってるんやけど」

 少女は屈託のない笑顔で自己紹介した。

「え? え? ポンズ?……わたしは神楽坂奏多かぐらざかかなた……」

 混乱しながらも、なんとか名乗った。

「カグラちゃん!」

「え?……そっち?」

 名前じゃなく、苗字の方でいきなりあだ名をつけられた。しかも「ちゃん」付き。

 奏多は戸惑った。こんな風にフレンドリーに接してくる人は、クラスにもいない。

 *

「何かうちらに話があるんじゃないの?」

 寛奈は、いたずらっぽい目で奏多を見た。

「ごめんねえ、ちょっとシーと……さっき歌ってた子ね、ちょっと深刻な話になっちゃってね。でも、気づいてたんよ」

「え……?」

「ギターケース背負った子が、うちらの前をウロウロしてたやん? なんか話しかけたそうにしてたし」

 奏多の顔が、一気に赤くなった。

「あ、あ、あ……見られてた……?」

「うん。だから追いかけてきたんよ」

 寛奈は当然のように言った。

 奏多は恥ずかしさで死にそうだった。あのウロウロ、全部見られていたのだ。背中のギターケースをアピールする、あの痛い行動も。

「あ、あ、演奏すごかったから、その、でも、いや、おこがましいから……」

 奏多は言い訳のような言葉を並べた。

 すると、寛奈はニヤリと笑った。

「へっへっへ~、リードギターが入ったらもっといいのにー、って思った?」

「あ、いや、そんな……」

 図星だった。

 奏多は目を逸らした。この子、なんでわかるんだろう。

 *

 寛奈は今回、詩音とセッションするために自分のアレンジを加えた。

 でも、もちろんリードギターが入る余地を残していた。わざと、そうしたのだ。

 リードギターに自信がある人なら、あの音楽を聴いて物足りなさを感じるはず。「ここに自分のギターを入れたい」と思うはず。

 そして、まさにそんな子が現れた。しかも同年代の子が。ギターケースを背負って、話しかけたそうにウロウロしている子が。

 詩音との話の最中に気づいた時、寛奈の胸は高鳴った。

(あの子だ……!)

 だから、詩音と別れた直後、駅の方へ向かう奏多を追いかけたのだ。

 *

「ねえ、カグラちゃん」

 寛奈は突然、自分のギターケースを下ろした。

「カグラちゃんも見せて」

「え!? ここで?」

 奏多は周りを見回した。駅のホームだ。人もそこそこいる。

「いいからいいから!」

 寛奈はテキサンを取り出し、構えた。

 奏多は少し躊躇したが、周りの視線を気にしながら、自分のギターを取り出した。

 Ibanez の AZ2402。美しいメタリックブルーのボディが、夕日に照らされて輝いている。

「わあ、綺麗な色やん!」

 寛奈は目を輝かせた。

「あ、ありがとう……」

「ねえ、ここの部分、カグラちゃんならどうする?」

 寛奈は詩音の曲の間奏部分を、コードで鳴らした。

 さっき、奏多が頭の中で自分のリードを当てはめた、あの部分だ。

 *

 奏多はスマートフォンのアプリでチューニングをした。

 そして、既に頭にあったフレーズを、軽く弾いてみた。

 クリーントーンで始まり、徐々に感情を込めて盛り上げていく。メロディアスでありながら、テクニカルなフレーズ。さっきの演奏を聴いて、頭の中で組み立てていたソロだ。

「すごい!」

 寛奈は目を丸くした。

「そうかな……?」

 奏多は自信なさげに答えた。

 でも、寛奈は本気で驚いていた。さっきそこで演奏したばかりの曲なのに、一発で自分の想像のフレーズを……いや、それ以上のものを弾いてみせた。しかも、曲の雰囲気にぴったり合っている。

「すごいすごい! カグラちゃん、めっちゃ上手いやん!」

「え、いや、そんな……」

 奏多の顔が、さらに赤くなった。

 *

「音は? 音色はどうする?」

 寛奈は興味津々で聞いた。

 奏多は、音作りの話になると、少しだけ緊張が解けた。これなら話せる。

「あ、えと、あの時の感じだと、クリーン系のエフェクトに軽くリバーブをかけて……それだけでもいいんだけど、オーバードライブかディレイを徐々に追加して、サビに向けて音を厚くしていって……は!」

 奏多は急に我に返った。

「いや、その……ごめんなさい、勝手に色々言って……」

「すごいすごい! カグラちゃんって天才ギタリスト!?」

 寛奈は興奮した様子で言った。

「え? いやいやいや、わたしが? そんな……」

 奏多は慌てて首を振った。

 天才なんて、言われたことがない。というか、ギターのことを誰かに褒められたこと自体、ほとんどない。

 自分ではある程度上手いと思っていたけど、所詮は井の中の蛙かもしれないと思っていた。部屋で一人で弾いているだけだから、自分のレベルがわからない。

 それを、「すごい」「天才」と言ってもらえた。

 奏多の心の中で、何かが溶けていくような感覚があった。

 *

 寛奈は確信した。

(この子だ。この子しかいない)

 技術は申し分ない。音楽的なセンスもある。そして何より、詩音の音楽に合うギターを弾ける。

「カグラちゃん!」

 寛奈は奏多の手を取った。

「うちとバンドやろう!」

「…………え?」

 奏多は固まった。

 バンド。

 何度も何度も妄想した、バンドへのお誘い。

 それが、今、現実になろうとしている。

 *

 奏多はただただ困惑していた。

 嬉しい。嬉しいのに、なぜか全く違う言葉が口から出てしまう。

「い、い、いや、わわ、わたしなんてとても、その、二人にはついていけないと思うし……」

「そんなことない! カグラちゃんは相当上手いよ!」

「そうかな……」

「そうだよ! さっきのソロ、めっちゃかっこよかったもん!」

「そうかな……」

 奏多は同じ言葉を繰り返していた。でも、その顔は、さっきまでの暗い表情とは全く違っていた。

 真っ赤になった顔が、完全に弛んでいる。口元がにやけそうになるのを、必死に抑えている。

 嬉しいのだ。

 誰かに認められるって、こんなに嬉しいことなのか。

「音色の話も、すごく具体的やったし、センスあるなって思った!」

「あ、ありがとう……」

「だから、うちとバンドやろうよ! カグラちゃんのギター、絶対必要なんよ!」

 寛奈は熱心に言った。

 奏多は、その真剣な目を見つめた。

(本気で言ってくれてる……)

 この子は、本気で自分を必要としてくれている。

 奏多は小さく、でも確かに、頷いた。

「わたしで……よければ……」

「ありがとう!」

 寛奈は飛び上がらんばかりに喜んだ。

 *

(やった……! 一人目の仲間、うちにとってのジョージ……!)

 寛奈は心の中でガッツポーズをした。

 詩音には断られた。でも、諦めていなかった。バンドを組むなら、まず仲間を集めよう。そして、いつか詩音が気持ちを変えた時、最高のバンドで迎えられるようにしよう。

 そう思っていた矢先に、奏多と出会った。

 これは運命だ。

「あのポンズ……ちゃん」

 奏多がおずおずと聞いた。

「じゃあ、さっきの子と三人……なの?」

 寛奈の表情が、少し曇った。

「ああ……シーは、ソロでデビューが決まりそうなんやって」

「……え?」

 奏多は驚いた。あの素晴らしいボーカルの子が、ソロデビュー。それは素晴らしいことのはずなのに、なぜか寛奈は寂しそうだ。

「だから、バンドは組めないって言われたんよ」

「そう……なんだ」

 奏多は、寛奈の気持ちが少しわかった気がした。あんなに息の合った演奏をしていたのに。あんなに素晴らしい「化学反応」が起きていたのに。

「でも、諦めてないけんね!」

 寛奈は急に元気を取り戻した。

「いつか、シーも一緒にやってくれるかもしれん。その時のために、最高のバンドを作っておくんや!」

「うん……」

 奏多は頷いた。この子の前向きさが、眩しかった。

 *

「あの~、そこで演奏はやめてください」

 突然、声がかかった。

 振り返ると、駅員さんが困った顔で立っていた。

「あ……!」

 二人は慌ててギターをケースにしまった。

「すみません!」

「ごめんなさい……」

 寛奈と奏多は、駅員さんに深々と頭を下げた。

 駅員さんは「今後は気をつけてくださいね」と言って、去っていった。

 二人は顔を見合わせて、思わず吹き出した。

「やばい、怒られた」

「うち、こういうの多いんよね……」

「えっ、多いの……?」

 寛奈は照れ笑いを浮かべた。

 *

「じゃあ、連絡先交換しよう!」

 寛奈はスマートフォンを取り出した。

「あ、うん……」

 奏多も自分のスマートフォンを取り出す。

 二人はLINEを交換した。

「また連絡するけん! 練習とか、色々相談しよう!」

「うん……楽しみにしてる」

 電車が来た。

「じゃあね、カグラちゃん!」

「うん、またね……ポンズちゃん」

 寛奈は手を振って、反対方向のホームへ走っていった。

 奏多は電車に乗り込みながら、その背中を見送った。

 *

 電車の中で、奏多は寛奈からもらった連絡先を何度も見返した。

 本当にバンドができるのだろうか。自分なんかが、あの二人のように演奏できるのだろうか。

 不安はある。でも、それ以上に胸が躍っている。

 寛奈の「すごい!」「天才!」という言葉が、頭の中で何度もリピートされていた。

 誰かに認められるって、こんなに嬉しいことなんだ。

「もしかして、わたしにも音楽仲間ができるのかな……」

 奏多は小さく呟きながら、松山の夕暮れを電車の窓から眺めていた。

 これまでの孤独な音楽生活から、新しい世界への扉が開かれた瞬間だった。

 *

 奏多にとって、この出会いは人生を変える瞬間だった。

 これまで一人で部屋にこもって練習していた日々が、突然輝いて色を変えた。自分の音楽が誰かに必要とされている。そんな実感が、心の奥底から湧き上がってきた。

 家に帰ったら、さっそく真白詩音さんのCDを聴いてみよう。そして、自分なりのリードギターアレンジを考えてみよう。

 今度は想像じゃない。本当のセッションのために。

 *

 その夜、奏多は詩音のCDを何度も聴き返した。

 一人でギターを弾きながら、三人でのセッションを想像した。

 詩音のボーカルとギター。寛奈のベースライン的なギター。そして、自分のリードギター。

 三つの音が重なったら、どんな音楽になるだろう。

 想像するだけで、ワクワクが止まらない。

 しかし、聴いているうちに、詩音の歌詞が内気な自分に突き刺さってきた。

 日常の中の小さな痛み。孤独。誰かに認められたいという願い。

 詩音の歌詞は、まるで自分のことを歌っているようだった。

 気がつくと、涙がこぼれ落ちていた。

「なんで、泣いてるんだろ、わたし……」

 奏多は自分でも不思議だった。

 こんな自分でも、音楽を通じてなら、今日出会った二人と肩を並べられるかな。

 そんな、今まで感じたことのなかった感情が、奏多の心を揺り動かしていた。

 *

 そういえば、寛奈の話では、詩音とはバンドを組めないかもしれないと言っていた。

 こんな素晴らしいシンガーには、そう簡単に出会えるものではない。

 バンドができることの嬉しさと緊張感。

 詩音とは組めないかもしれないという残念さ。

 色々な感情が、奏多の胸の中でぐるぐる渦巻いていた。

 でも、一つだけ確かなことがある。

 今日、自分は変わった。

 一人で部屋にこもっていた自分が、誰かと一緒に音楽をやろうとしている。

 それだけで、十分だった。

 奏多はギターを抱きしめながら、静かに目を閉じた。

 明日から、新しい毎日が始まる。

 そんな予感に、胸が高鳴っていた。

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