無名爆弾世界

都市と自意識

無名爆弾世界

   1


 あ


   3


 ああ。


   17


 なん、


   202


 わか、

 こと


   215


 そら。


   3689


 僕は爆発とともに生まれ、爆発とともに死ぬ。

 これはけっして比喩じゃない。

 文字どおり生まれ、死んでいる。文字どおりといっても、とはいえ僕は文字を書いたことはないが。

 僕の頭はありえない方向にねじれている。強い爆風でめりめりと勝手に皮膚と筋繊維と血管と骨がねじまがっていく。遅延された痛みがゆっくりとゆっくりと神経を伝ってくるのがわかる。後頭部に鈍い衝撃が広がっていく。その衝撃でいま粉塵と炎を見ているこの右目は絶対に飛び出るんだな~目が飛び出ると視界がちゃんと合わなくて気持ち悪いし嫌なんだよな~ということを呑気に思ったりする。

 ぎりぎりという感じでねじまがった首はやがてちぎれて僕は体を見る。

 僕のものであり僕のものじゃない体。

 さっき生まれたばかりの僕には一切馴染みがないけど僕の意識がやってくる前の“この人”にはずっと馴染みのあった体。

 その体はポロシャツを着ていた。紫色のポロシャツ。胸元には名札が貼ってある。

 ジェフ。

 ジェフの両手はバンザイしたみたいになっていてでも下半身と上半身は曲がっちゃいけない方向にねじれたままゆっくりと宙に浮かんで、まるでどこかに飛び立とうとしている。

 間抜けだ。そう僕は思う。ジェフ、きみがえーっと、たぶん腕毛の濃さからいって30歳ぐらいだろうけど、こんな間抜けなポーズで死ぬなんて思わなかっただろう。気の毒だけど。でもこれが運命だったんだ。きっと。

 かわいそうに、ジェフ。

 僕の頭は厨房を飛び越えてレジカウンターの方までぶっ飛んでいく。レジカウンターにいた人たちは爆発が起きたことにようやく気がついたみたいで驚いた姿勢で後ろを振り向こうとするような中途半端なポーズになっていた。彼らはきっと救われない。あの生っ白い学生バイトの男の子も、この太っちょの黒人女性も。レジで注文している口ひげの立派なパパさんも。彼に手を引かれている男の子が頭だけ飛んでいる僕と目が合う。僕はゆっくりウィンクをしようとするけど、そういえば右目はもうないんだった。ない方の目でウィンクしても格好はつくだろうか。

 とかなんとか考えているうちに僕の頭は窓ガラスをゆっくり突き破る。ガラスが割れる瞬間はいつだってきれいだ。透明だったガラスに一気に亀裂が走り、砕けていくさまは氷や雪のようだった。炎の熱で飴細工みたいにぐにゃぐにゃになるところもそれはそれで好きだった。でもあれを突き破る瞬間はめちゃくちゃ熱いからあまり好きじゃない。

 ゆっくり回転する視界で僕は店頭のポールサインを見た。タコベルだ。ということはアメリカだ。アメリカに来るのは久しぶりだった。最近は埃っぽいところばかりだった。

 視界が黒くなっていく。もう少しで意識がなくなる。ジェフが完全に死ぬのがわかる。僕が死ぬのがわかる。引き伸ばされつづけた痛みは終わる。

 僕は爆発とともに生まれ、爆発とともに死ぬ。

 最後に見たのはタコベルのポールサイン。

 でも、あと何万回も同じようなことを経験するだろう。これまでもそうだったように。

 タコベルに行ってみたいと僕は思う。タコベルじゃなくてもいいから一度でいいからエンチラーダを食べてみたい。サルサソースがたっぷりかかったとびきりホットなやつを。


   3689.5


 僕はレンタルビデオストアの通路にいた。透明で輪郭だけある両腕の向こうに棚が見える。DVDが陳列されている。

「おーい、先生ー」

 僕はない喉で発声した。どこかからごろごろという音がする。小さな車輪とタイルカーペットの擦れる音。近づいてくる。

「先生、ここでーす」

 僕が言った瞬間に目の前の通路を誰かが通り過ぎていった。と思ったらまた戻ってきた。ツーブリッジの金縁メガネをかけた男性が現れる。先生だ。先生はいつものようにキックボードに乗っていた。

「ハイ」先生はにこやかに言う。

「ハイ」僕は透明な腕を振る。


 僕は先生といつものようにソファに座って映画を見る。途中、爆発シーンがあると先生は身を乗り出してテレビを食い入るように見る。そして僕に「ちょっとごめんね」と断りをいれるとリモコンを操作して巻き戻してタイムスタンプを確認し、爆発シーンが上映時間のどこから始まったのかノートに書く。いつものことだから気にしてないのに先生は毎回断りをいれる。

 メモをまじめに取っているときの先生は不機嫌なアナグマみたいな顔をする。そして口の端が吊り上がりすぎて奇妙な笑顔になる。自然とこういう表情になってるみたいだけど僕はべつに指摘したりなんかしない。面白い顔だから、やめられると困る。

 先生はこの州のなんとかっていう大学で映画を研究しているらしい。映画における爆破シーンについて研究をしていて、特に爆破シーンとスローモーションの組み合わせがヒョーショーする速度がえーっと……とりあえずそういう研究をしていて、でまあこのレンタルビデオ店の店員でもあるらしい。

 学生バイトから名誉役員になったとか言ってたけど本当かどうかは知らない。どちらにせよ先生はこのお店にある莫大なVHS、DVD、Blu-rayといったものにアクセスできて、地下にある店員用の特別鑑賞室を使えるらしい。

 僕が先生と会ったのは600回目の爆発が終わったあとだろうか。

 爆発とともに生まれ、爆発とともに死に、また生まれまた死ぬ連続のさなか、突然このレンタルビデオ店に僕はいたのだった。僕は先生からいろんなことを教わった。


 映画を見終わる。映画の尺自体は2時間もないけどアクション映画だから爆発シーンがふんだんにあった。

 車がクラッシュして爆発する。船に車が突っ込んで爆発する。埠頭の倉庫が爆発する。埠頭のクレーンが倒れて爆発する。カーチェイス中にまた爆発が起きる。何台も爆発する。カーチェイスを低空飛行で追っていた悪者たちのヘリコプターが電線に引っかかって電線にスパークが走る。スパークが走るから爆発じゃなくね?と思うけどこれも先生は一時停止してメモする。ヘリコプターが完全に墜落する。爆発する。橋が崩落する。爆発はしてない。でも映画の橋の崩落描写を研究してる人も先生の友達にはいるからそれも先生は一応ノートの端っこにメモする。カブーム!なんやかんやあって敵のアジトが大爆発する。公開当時世界で一番火薬を使った爆破シーンと宣伝されたそうだけど僕にはそうは見えない。先生もパッとしないよねこれ、と言う。先生はメモする。パッとしない。そうつけくわえる。

 そういうことをしながら見ているから2時間もない映画なのに結局3時間以上かかる。スローモーションはあまり使われていない。使われているところもただ単になんかスローモーションにしていますという感じだった。

 だから僕も先生も、あーはいはいという感じで見てしまった。

 でも映画は面白かった。脚本にツイストがある。“ツイストがある”というのは先生の表現方法だ。ほかには“エスプリが効いてる”とか。意味はよくわかってない。よくわかってないけどなんとなく言いたいことはわかる気がした。


 人はスローモーションをなぜうつくしいと感じてしまうのか。ただゆっくりしているだけなのになぜそれはきれいに見えてしまうのか。映画を作ってる人はなんでスローモーションを使いたがるのか。いいスローモーションと悪いスローモーションの違いはなんなのか。

 爆発とともに生き死にを繰り返し、常にゆったりと伸びきった世界のまっただなかにいる僕が見えている世界を先生や、先生以外の人たちにも、映画を作ってる人たちにも見せられたらいいのにと思う。

 別にそれは現実はこうだからこう撮ってほしいとかそういうんじゃない。いや、そうなのかもしれない。

 ただ単純に、僕は知ってほしいと思った。僕の見ているものを。爆発のなかで何が起きているのかを。爆発はとても恐ろしいけどうっとりするほどうつくしいということを。死にゆく人々が最後に見ざるをえないものを。


   3733


 僕は爆発とともに生まれ、爆発とともに死ぬ。

 目の前が真っ赤な炎の壁で包まれる。ごうごうと僕は取り囲まれている。

 硬い破片が防弾ベストに突き刺さる。その下に迷彩柄の服を僕は着ている。なんの破片だろうと僕は思う。黒くて小さい。何かの部品だ。

 ゆっくりと僕は小さい空間の中に浮かんでいる。炎の隙間からかろうじて外の様子がうかがえる。運転席が見える。助手席が見える。隣の席で僕と同じようにふわりと空中浮遊する屈強な軍人がいる。立派な無精髭に白いものがまじってる。

 シュガーダディ。

 僕の脳は瞬時にその人の名前がわかる。こういうふうに瞬時にわかるときとわからないときがあって、今回はわかるときだ。シュガーダディはマジでいいやつで家族想いなのに高2になる自分の娘の同級生と金銭のやり取りが生じる肉体関係にあった。なんでそんなことを僕/おれが知っているのかと言うとバーで酔った勢いで静かに泣きながら僕/おれに懺悔してきたからで、そのマジトーンの懺悔に僕/おれはこんなやつもそういうことするんだなあとぼんやり思ったりした。シュガーダディはそういう援助交際をしてる男とかを意味する言葉だ。でも僕が言いふらしたわけじゃなく、シュガーダディは僕と会う前からシュガーダディだった。理由は甘いものが大好きだから。コーンフロスティのちっちゃい小箱をいつも持っていて暇なときはざーっとそれを口に流し込んでもりもり食べる。ガムもいつも甘いやつばかり噛んでる。ゼロカロリーの人工甘味料の炭酸飲料はフェイクだから飲まない。砂糖がちゃんと入ってる方がシュガーダディにとってのリアルだ。シュガーダディが高2の娘の友人とそういう関係になったのは同僚からシュガーダディ、シュガーダディと呼ばれてて、それで本人も無意識のうちに、あ~俺はいつか援助交際するんだろうな~とか思い込んでいたからかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 シュガーダディがどう思ってたかはこの後わかるだろう。

 なぜなら僕/おれの口から飛んでいった歯が彼の顔にばしばし刺さったり、バンの天井にヘルメットで覆われた頭がもうすぐでぶつかるからだ。奴の首が折れて死ぬかもしれない。

 いやでも首が折れて死んだら僕はシュガーダディに乗り移れないのか?もう何千回も経験してるけれど法則がうまく掴めない。法則なんてないのかもしれない。

 とかなんとか思っているうちに炎は僕/おれの身を外から炙る。タクティカルベストに装備していた弾丸が爆ぜる。手榴弾が爆発する。車体に衝撃がはしる。

 金属のひしゃげる音が僕の鼓膜をゆっくりと波打たせる。敵がロケット砲の第二射をバンの側面に撃ち込んだのだ。ちょうど僕が座っている側で、車体がふわりと浮き上がる。体の側面に衝撃波の予兆を感じる。炎に包まれている体が紙きれを千切るようにズタズタに引き裂かれるだろう。僕の主観でこの先、何分も、何十分もかけて。

 敵。

 敵ってなんだろう。僕はきっとこのおれ=ガレンとして死を迎えた後きっとシュガーダディになっているだろうし、助手席に座っているスニッフや運転席のインディゴになると思う。

 でも僕/おれ、つまりガレンの仲間を爆殺した民兵の誰かを、僕の仲間が手榴弾とかで殺したら今度は僕はその民兵の誰かになる。生まれ変わりまた死ぬ。そのときの僕にとっての敵は、今の僕らアメリカ合衆国兵士だ。

 この地域の空爆で殺された人になったことも過去何度も何十回もあったはずだ。

 おじいさんだったこともあったし女の子だったこともあったし生まれて数カ月の赤ん坊だったこともあった。

 僕は爆発とともに生まれ、爆発とともに死ぬ。爆発とともに死ぬ人のもとに僕は送られる。爆発とともに死ぬ人の最期の瞬間を僕は同時に体験する。

 僕は常に誰かとともにいる。だけどそれは同時に、僕は誰かの人生を一方的に奪っていることにもなる。彼ら彼女らからしたらどう思うだろう。誰だおまえはという話でしかないんじゃないか。

 意識が遠くなっていく。すべてが焼けていく感覚があるのに頭の奥は奇妙に冷えていく。

 また先生に会いたいと僕は思う。


   3756.5


 先生がまたメモを取っている。昔の人はこうやってビデオを簡単に巻き戻せなかったというからさぞ不便だったろうと僕は思う。

 映画を見終わってVHSテープをデッキから取り出して先生はソファから立ち上がった。

「なんか暑い気がするなあ」

 先生はそう言うとカーディガンを脱いだ。

「暑くない?」

 先生はそう僕に同意を求めるけど今の透明な僕には温度なんてなにもわからない。僕は肩をすくめる。

 先生はレンタルビデオ店でずっと働いているからなのか物質としての映画が好きだった。パッケージを舐めるように見る。パッケージをつるりと撫でる。裏のジャケットを見る。また表のジャケットを見る。結局棚に戻す。繰り返す。

 僕も棚に手を伸ばす。触れられる。でも触れたという感覚があるだけで細かい感触があるわけじゃない。硬いとか柔らかいとかはわからない。僕は何も取り出すことも持ち上げることもできない。僕の指はパッケージの背表紙の向こう側へと貫通する。この声はなぜか先生に伝わる。僕の存在は先生に見える。でも僕は透明だ。透明だけど先生には見えている。ガラスでできた幽霊だと彼は僕に言う。僕はガラスにぶつかって死んだことが何度もある。でも本当に死んだのは僕であって僕じゃない。

 僕は爆発するときだけ存在している。僕は誰かが死を迎えるときだけ存在している。

 映画というものは高速で動くフィルムに強い光を当ててスクリーンにその内容を映し出す。一コマ一コマだけだと静止画なのに、高速で動くことで生き生きと動き出す。

「映画って牛でできてるんだ」

 ある日突然先生が言った。なんでも、フィルムの原材料のひとつにはゼラチンがあり、そのゼラチンは牛の骨とか牛の皮とかそういう動物由来の原料から抽出されているらしい。ゼラチンは人工的に合成できないらしく、未だに動物を頼りにしている。

「僕たちは牛を通して映画を見ていたし、ある時代までの人類のほとんどが見ていた映画っていうのは、牛を通過した光だったんだ」

 先生は言った。テレビの中では異星人の乗り物が放つビームのせいで牛が派手に爆発した。先生はメモを取る。これも昔読んだ本からの受け売りだけどね。先生はそう付け足す。

 僕は牛と一緒に爆発したことがあった。あれはたぶんインドだった。バイクを買ったばかりの若者の不幸な事故だった。道端にいた牛の体はおおきく、そして分厚かった。左頬をぐにいっとやった、小山のような牛の白い背中のことを僕は思い出す。そしてその体温も。

「みんなそうと知らないまま牛を通過した光を見て笑ったり泣いたり怒ったり喜んだりしてたし、家族の写真や恋人の写真を牛に記録していた。戦争だって災害だってその悲惨さや愚かさを後世に伝えるためには牛が必要だった。もっとも、牛さんたちはそんなこと全然想像もつかないだろうけど」

 僕も誰かにとっての牛なんだろうか。

 僕が爆発とともに生まれて爆発とともに死ぬのは、フィルムに強い光を当てるのと同じで、何かの投影なんだろうか。

 僕という存在を通して誰かが何かを見ているんだろうか。

 でも意味なんてあってもなくてもどっちでもいいのだった。

 僕自身が牛でもフィルムでも映画でもなんだっていいのだった。

 それか、僕自身がネットフリックスとかアマゾンプライムビデオとかHBOマックスとかなのかもしれなかった。

 僕自身が無意識のうちに誰かの死を操作してないと誰が言えるんだろうか?

 先生は物質としての映画が好きだけどリサーチにはもちろんストリーミングサービスは欠かせない。なんだかんだそれが一番画質もいいし取り回ししやすいからだ。ストリーミングの仕組みなんて僕にはわからない。デジタル信号がどうやってテレビに映像を映し出してるのか僕にはわからない。

 それでも映画を見ることは可能だった。

 映画はそこにある。ただそこに。

 僕はあちこちにいる。爆発とともに。


   3906


 女の子になっている。ジャングルのなかでもう何十年も前に埋められた地雷を踏む。地雷っていうのは命を取らないで肉体だけを損壊させるものと大人から聞いていたけど、連鎖的に爆発して僕/わたしは何度もからだがばらばらになる。


   4110


 爆弾ベルトによって自爆した僕の意識はなぜか空中を飛ぶ腕に乗り移っている。腕は奇妙なことに飛びつづける。僕がなんとなく動けと思うと腕はぴくりと動いて粘度の高い空気のなかでゆっくり軌道を変えられる。砂漠の中に小屋が見える。小屋の中に教官がいる。

 教官は僕らに厳しかったけど、年も近いしお兄ちゃんみたいで、たまにジョークを言って笑わしてくれるし、練習用の的に上手く銃弾を当てられると髪をくしゃくしゃと撫でて褒めてくれた。

「自爆攻撃が君を成長させる。自爆攻撃が君を大人にする」

 そう繰り返し教官は言っていた。迷彩柄のバンダナから覗くその目は何かを諳んじてるみたいだった。誰かに教わったことをとりあえずそう言ってるみたいだった。教官も僕と同じでどこかから連れてこられたのかもしれなかった。

 僕の腕は小屋の上空にたどり着く。小屋の屋根は劣化で一部が欠けている。僕の欠けた腕からは骨が突き出ている。僕は筋肉を微小に動かして照準を合わせる。

 落下する。僕には結末が見えている。落下しつづける。そしてそのとおりになる。僕の骨が教官の頭に突き刺さり、彼はあっけなく死ぬ。そこから遠く離れた土地で僕も死ぬ。口のなかに砂と鉄の味がする。

 子供を洗脳してきたやつの最期にふさわしいな、ざまあみろと僕は思うけど、僕だった少年はこの教官のことが好きだったとも思うし、この教官も同じ境遇だったんじゃないかとも思う。

 僕は何もわからなくなる。逃げたくなる。

 映画が見たい。あのソファーに座りたい。


   4566


 どこかの偉い人になっている。役人とか政治家とかだ。車ごと吹っ飛ぶ。アクセルを踏んだ瞬間に爆発したのだ。こういうふうに暗殺されるのは結構久しぶりだった。


   4584


 洋上の巨大なオイルリグで爆発事故が起きる。屈強な男たちが避難をしている。僕は人々を送り出し、避難誘導をしているさいちゅうに運悪く爆発に巻き込まれる。

 ちょうど、嵐が来ていた。凶悪な綿菓子みたいなどす黒い雲が見える。大きな雨粒が炎に包まれ吹っ飛んでいる僕の体を叩く。マッサージするように皮膚につぎつぎと波紋を起こしていく。

 雨は結構すきだった。

 雨は僕にだけ降りそそいでるわけじゃないから、雨が降ってると僕以外にも僕と同じような体験をしてる人がいるんだなと思える。爆発に巻き込まれながら雨に降られているのは僕だけだけど、それでもよかった。


   4979.5


 先生がタコベルの紙袋を持ってキックボードに乗ってビデオ棚のあいだを滑っている。僕は先生を呼ぶ。先生は僕のいる通路を一発で当てられるようになっている。

 いつものソファに腰を下ろす。先生が袋を開けて取り出したのは、紙に包まれた平べったい物体だった。

 ケサディーヤ。

「ケサディーヤ」僕は言う。

「タコベルにはエンチラーダはないからさ。一応それを買ってきた。ブリトーは前にも実験したしね」先生は笑って、メガネの位置を調整する。

 先生は僕の口らしきものがある場所にケサディーヤを持ってくる。温かさを感じる。スパイシーな香りを感じる。僕には鼻がない。僕には舌がない。僕には喉がない。でも僕は、ない鼻をひくつかせて透明な肺いっぱいにそれを吸い込んだ……と思う。口をパクパクとやる。何も感じられない。やわらかなトルティーヤも、チキンも、のびるチーズも、僕のなかには入ってこない。

 べつに、期待していたわけじゃない。僕はこういう存在だ。そもそも食欲だってない。ただ単に気になっていただけだ。

 それでもやっぱり、すこしかなしい。

 先生がすこしバツの悪そうな顔になって、ケサディーヤを食べ始める。

「おおっ、これは」大げさに言う。「ホーリーモーリー!ホットソースで味付けされたこのグリルチキンは、あー……そう、僕の舌の上で今にも踊りだしそうだ!」

 僕は思わず笑ってしまう。

「なにそれ、日本のアニメの真似?」

 ふ、と先生も笑う。

「前に、もっと詳しく説明して教えてくれって言っただろ。お気に召さなかった?」

「うーん、まあ、舌は爆発の衝撃で噛み切ってることも多いけど、でもまあ、想像できた。……かも」

 僕の返事に先生は一瞬イヤそうな顔になる。

「ごめん。食事中に。つづけて?」

「どっちを?」

「食べるのも、大げさなリアクションも」

 先生はにやりと笑うと、一口食べるごとにおいしすぎてオーバーなリアクションをとる昔の日本のアニメキャラや、大昔の劇映画みたいに身振り手振りも交えてなんとか表現しようとする。先生の演技は、まあ悪くなかった。あくまでも、「まあ悪くなかった」だけど。


   5037


 僕は数字を刻む。爆発のたびに数える。数字の中に死んだその人の人生がある。僕は覚えている。覚えようとする。僕はすべてを目に焼き付けようとする。僕は皮膚にはしる衝撃をすべて覚えようと思う。

 僕は宙を舞う。僕は地面に叩きつけられる。

 僕は燃え上がる。

 炎がやってくる。

 風がやってくる。

 切り裂かれる。

 僕が乗り移った人にとっては一瞬かもしれない。その方がその人にとってはいいことだと思う。

 でも僕はそうじゃない。

 僕は引き伸ばされる。

 手足を引っ張っても千切れないゴム人形みたいに僕の死はひたすら伸ばされる。

 ゴム人形はいずれ壊れて破れて中からどろっとしたスライムみたいなやつとか砂みたいなやつとかを出して結構大変だとむかし先生が言っていた。

 僕が本当に死ぬとき。

 僕が本当に死ぬときは来るんだろうか。

 そのとき、僕のこの透明なからだからはなにがこぼれだすんだろうか。

 それとも、僕の透明なからだは透明なだけで何も詰まってないのかもしれない。

 僕はフィルムではなく、スクリーンなのかもしれない。テレビなのかもしれない。


   5240.5


 先生がソファで横になり寝ている。テレビだけはつけっぱなしでニュース番組が流れている。工場の爆発事故がありました。空爆による死傷者が出ています。最新家電のCM。クレジットカードのCM。ハリケーンが近づいています。

 チノパンツの裾から先生の足首がのぞいている。金色のすね毛がテレビの光を受けてつやめく。反射した曖昧なニュース映像が横たわった先生の上で繰り広げられている。

 先生は寝息を立てている。メガネをかけたまま寝ているから顔の上でずれている。胸が上下している。

 僕はゆっくりと気づかれないように手を伸ばす。透明な手の向こうに屈折した先生が見える。

 僕は先生の体温を想像する。僕は先生の皮膚の湿り気を想像する。僕は先生のやわらかな毛を想像する。僕は先生の脚の筋肉の反発を想像する。その奥の骨の硬さも。

 僕の指先が先生の足首にふれる。でも、ふれただけだった。僕は何も感じなかった。

 とっさに手を引っ込める。もう一度ふれてみる。何も感じない。僕の指先は先生の皮膚を貫通し、その奥に沈んでいく。

 僕の透明な手は先生のからだにはふれられない。その温度を感じることはできない。けれども、先生のからだのなかに入っていくことはできた。

 僕はゆっくりと先生の方にからだを近づけていく。もう片方の手を伸ばす。ゆっくりと、ソファの上に寝そべる。

 僕は先生のなかに沈む。もしくは、先生に重なる。先生を覆う。先生の目と同じ位置からテレビを見る。

 片ひじをついて上体を起こす。先生の脇腹から僕の上半身がにょっきり生えてみるみたいになる。僕は彼の髪に頭を近づける。化学的なにおいがする。石鹸工場の爆発に巻き込まれたことがいつかあった。そのときのとんでもない濃い石鹸のにおいを何百倍も薄めたみたいだった。

 このにおいと一緒になりたいと僕は思った。

 その向こうにある体温を感じてみたいと僕は思った。

 でも僕は透明で、そして先生は先生なのだった。それはできないのだった。できるとしたらそれは先生が爆発で死ぬときだ。

 一緒にごはんを食べてみたい。僕もキックボードに乗ってみたい。ビデオテープをデッキに入れるときのガシャッてやつを僕もやってみたい。タイルカーペットってごわごわしてるって先生は言うけどどんな踏み心地なんだろうか。ガラス窓を突き破るのにはもう飽きたから遠くから眺めてみたい。僕はどんな姿で映ってるだろうか。僕はどんな姿でいたいんだろうか。エンチラーダが食べたい。怖いと思ったときに怖いと誰かに素直に伝えたい。

 先生のくるくるの金髪の隙間に何かの欠片があった。僕はそれを取ろうとするけど取ることはできない。よく見るとそれはコーンチップスの欠片だった。投げ出された先生の指先をよく見ると、赤い粉がついていた。床にはドリトスの空袋。いつのまにか髪のあいだに紛れ込んでいたらしい。

 僕はそれを心に刻む。死をむかえたたくさんの人々の記憶と同じように僕はおぼえようと思う。今は僕だけがそれを知っている。


   5800.5


 巨大な牛がからだを横にして病院の廊下で通せんぼしている。なにもふれられないはずの僕はその牛を通り抜けることができない。

 必死に両腕で押す。牛はびくともしない。牛の表面の黒い模様が動いて、線になる。その線は牛の頭がある左からお尻のある右に向かってつーっと進む。

 線が脈動する。一定の間隔で上下にギザギザの模様をつくりだす。

 僕はすぐに気がつく。先生と一緒に見た映画にさんざん出てきたからわかる。

 心電図だ。

 それが誰の心臓の鼓動をあらわしているのか、僕はもう知っている。

 僕は匍匐前進して牛の下を通り抜けようとする。どっしりとした乳房が僕の頭をぐにいっとやる。長い乳首が顔にぺしぺしと当たる。

 牛の下を通り抜けて病室に入ると、そこには包帯でぐるぐる巻きになった人間がベッドに横たわっていた。左脚を吊られている。点滴が腕に刺されている。頭を覆う包帯の隙間からくるっとした金髪がのぞいている。プレートの名前を見る。先生だ。

 交通事故だ。そうレンタルビデオ店の人たちが言っていた……のを僕はすぐそばで聞いていた。先生以外の誰も僕が見えてないので、僕は近隣の病院に行くことにした。なぜか道のあちこちに僕にしか見えない牛がいて、体表に矢印を描いて僕を案内してくれたのだった。

 事故が起きたとき、先生はフロントガラス越しに何を見たんだろう。僕が誰かの爆発とともに生まれ、死ぬように、誰かが交通事故に遭ったときに生まれ、死ぬ、僕みたいな存在がいてもおかしくない。

 爆発だったらよかったのに、と僕は思う。思ってしまう。そして思ったことを後悔する。それでも僕は先生と一緒になってみたかった。一緒にフロントガラスの向こうを見てみたかった。彼が感じたことをずっと覚えていたかった。僕には何もできないけど、それでも。

 僕は病室をあとにする。廊下の牛はもういなかった。

 先生はまだ生きている。でも、普通の人よりも確実に死へと向かっている。高速で向かっているのに引き伸ばされているみたいだ。遅延だ。先生の命はゴム人形みたいに引っ張られつづけている。


   6007


「24時間サイコ」という現代芸術作品があると先生は教えてくれた。これはヒッチコックという人が監督した『サイコ』という映画を、24時間まで引き伸ばしたもので、カクッ、カクッとコマ送りの状態で上映されるものらしい。

 その作品にいったいどういう意味があるのか、見た人にどういう感情を抱かせるのかは僕は知らない。その作品のことを教えてくれた先生はいつか全編見てみたいと言っていた。

 その「24時間サイコ」は美術館に展示されているから、開館時間の関係もあって24時間ぶっ通しで見ることはできないはずだ。

 作品としては「24時間サイコ」は存在するのに、それをずっと上映しつづけることはできない。それをずっと見つづけることはできない。それはきっと最初から叶わない夢なのだった。じゃあ自分で『サイコ』をコマ送り再生して見ればいいじゃん、と僕は先生に言ったけど、先生はそれはちょっと違うかなと言っていた。

 僕はその気持ちがわかる。僕だって、ああしたい、こうしたいばかりだ。

 夜空が見える。星が広がっている。爆発に巻き込まれた僕はゆっくりと回転し、星が残像を瞳に残す。瞼の裏にうつくしい線をいくつも描く。

 僕はこうして今も誰かになって、誰かの爆発を、誰かの生と死を一緒に体験している。体験していると同時に遠くのベッドにいる先生のことも考えている。早くよくなってほしいと願っている。これはこれで、いま“僕になっている人”には失礼だよなと思う。けれどもたぶん僕とは逆の人もいて、そういう人たちはニュース映像で見る事故や災害を見て、遠くにいる誰かが酷い目に遭っていることを想像して真剣に心を痛めたりしているんだと思う。そしてその人たちにも生活はあって、生活をしているうちに楽しいこととかもあるから忘れてしまって、そして遠くで起きてる悲惨な出来事を忘れてしまったことにまた心を痛めてしまったりするんだろうと思う。

 僕たちは想うと同時に想われている。そう考えると不思議で、でも結局のところそれは想うだけで、無力なのだった。なにかをずっと考えつづけたりするのはとてもとても難しい。

 僕はその誰かのほんの少しの優しさとか無力さを引き受けるためにも、こういう目に遭っているのかもしれなかった。だとしたらそれはそれでいいかもしれないと思う。

「24時間サイコ」は作品の性質上、途中からしか見れないだろうし、そして多くの人は途中で見るのをやめるんだろう。僕は誰かの人生の終わりにしか寄り添えない。でも僕は覚えていたいと思う。

 僕はフィルム。僕は牛。僕はスクリーン。僕はガラス。

 瞼を開ける。月の光が僕の目を射す。赤い炎が迫っている。僕のなかをたくさんの光が通過していく。たくさんの人生が。

 数字を刻む。僕は数える。僕は爆発とともに生まれて爆発とともに死ぬ。僕は何もできないけどその人の痛みを覚えようとする。僕が覚えていたところで僕がいなくなったら全部消えるけどそれでも覚えようと思う。僕は炎の嵐に備える。向かっていく。

 だからこれからも僕は、爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する爆発する……

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