(38)晩餐

 「おめでとう。そしてようこそ」

 

 50代半ばの明らかに偉い人の第1声がそれだった。


 「君達の内定はもう決まったと言っても良い。お酒は無いが、無礼講で食事を楽しんでくれ」


 あ。内々定と言うやつだ。遂にこの瞬間が訪れたのである。広大な砂漠をさまよいながらも、ついにオアシスにたどり着いたのだ。正直実感はない。目の前の豪華なサンドイッチとお茶をほぼ同時に俺は口に放り込んだ。


 勝った!勝利の美酒(ノンアル)に俺は酔いしれていた。周りも全員同じ気持ちのようだ。少なくとも俺にとっては初金星である。ここまで自暴自棄にならずにやってきた甲斐があった。ほぼ自暴自棄になってはいたが。


 左の大きな窓からは都会のビルの照明が下の方に見える。上の方はお星様がギリギリ見えるか見えないかって感じだ。それほどまでに大都会東京の夜は明るい。


 正直安堵しすぎてなにを会話したかは全く覚えていない。右隣の俺のリクルーターも安堵していたことだけは覚えている。慌ただしく眼鏡を拭いている様子もなく、実に穏やかであった。素敵な晩餐会だ。


 俺はその日の終電で帰された。新幹線の中でも高揚が抑まることはない。イヤホンをしながら鼻唄でも詠じたいようなイイ気分であった。


 家にたどり着くと、真っ先に両親に報告した。2人とも6割方喜んでくれた。嬉しかった。残りはと言うと、他社選考は辞退するのかとか、メガバンで働けるのかとか、いまの俺にとっては現実的過ぎる目線でのフィードバックだった。


 移動の疲れや緊張から解放された俺はその後すぐに眠りについた。


 翌朝になると俺は友達全員にLINEで報告して回った。もちろん風花様にも。昨日の勝利の美酒(ノンアル)の2日酔いがしっかり残っていた。


 風花様からは一言『良かったね』とだけ返信があった。俺は『ありがとう!』と心の中で返した。


 そして冷静になった俺は考え始めた。今後についてである。もちろん他社選考を辞退するつもりはない。フタボシが残っているし、最終的な選択肢は多い方がいい。だが最終的に『企業を選ぶのは自分』だ。


 だがたしかに比重は見直すべきだ。地銀・信金の選考は全て辞退した。地銀勤めの両親には少し申し訳なく思ったが仕方ない。決めるのは俺である。


 7月下旬に入った。もうすぐ8月とも言うタイミングで2通のメールが届いた。


 1通は大手自動車部品メーカーのマッチング面談の案内だ。刈谷の本社で7月中に行われるらしい。先日2人目のリク面以降音信不通のところとは別の会社だ。


 もう1通はフタボシからだ。書類選考通過とGDを8/3(月)の9:00から実施される旨がそこには記載されていた。


 なるほど。朝イチか。根拠は無いが、期待値が高いと俺は信じるようにした。


 少し早めの金星の美酒(アルコール)を乾杯しようとしたそのとき。もう1通メールが来た。


 それは美国銀行からの最終面接の案内であった。日付は同じく8/3の午前中。3枠の中から選ぶよう依頼が来ていた。


 場所はどちらも同じ名古屋市内だが、移動には電車を挟む。念のため最も遅い時間枠である11時を選択し、返信した。


 形上の最終面接とやらであろうか。


 そう言えばと。俺はアノ日、東京で初めてもらったリクルーターの名刺を眺めながら、ソファでのんびり考えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る