第10話 人生を終える日
最近の私はもうベッドから起き上がることもできなくなっていて、話すのも一苦労だった。
医者が宣言した日からまだ半年も経ってないのに、私の身体は驚くほどの速さで崩壊していった。
意識も虚ろで、ふわふわとした世界にいたと思えばまた湖畔の部屋にいて、昼夜日付もよく分からなくなっていった。それでも、ゼノが側にいることだけは分かった。
ある日、目覚めると朝日がカーテンから差し込んでて、部屋がだんだんと明るくなっていって早朝だということが分かった。やっぱり日付はよく分からない。いつもならそこからぼんやりしてしまい、気がつくと夕方になるのだが、その日はいつもより調子が良かったのか意識がわりとハッキリしていた。それでも手足を動かしたりするのはおろか、息をするのも少ししんどかった。
そんな日にも彼は変わらず朝からやってきた。
「おはよう。」と声をかけながら部屋に入室してきて、窓のカーテンを開ける。私も「おはよう」と声を出すと、驚いた顔で振り返った。
「今日は調子がいいのか?ほら、天気も良くて湖も綺麗だ。」と言ってくる。私は静かに頷いた。
そこから日中は時々眠りながら過ごした。
おやつ時になるとゼノが紅茶を淹れてくれた。もう飲む体力はなかったけれど、ダージリンの香りがふんわりと鼻に入ってきて「いい香り」と私が言うと、ゼノは「君はこの紅茶が好きだな。いつも俺にこれを出してきた。」と言ってきた。言われてみれば確かにそうだった。
夜になるとゼノはいつもどおり部屋におかれているソファで本を読んでいた。
そしてしばらくたって、静かに立ち上がった。
「今日はもう帰るよ。また明日も来るから。」
いつもなら、またねとかおやすみとか言うけど今日はなんだか離れがたかった。
「行かないで。」
また私は彼を唐突に引き止めてしまった。
するとゼノは私の側にきて、ベッドサイドの椅子に座り変えた。
「どうした?」
「一緒に……寝よ。」
私の言葉に、ゼノの瞳が一瞬、強く揺らぐのが見えた。
「分かった。」
ゼノはまたなんの躊躇いもない様子で、スーツの上着を脱ぎ、ハンガーにかけると、ゆっくりとベッドに入ってきた。
「ねぇ。」
「なんだ?」
「……抱きしめて。」
また口に出てしまった。
「分かった。」と言ってゼノはゆっくりと私の体を包みこんだ。
身体に乗っかってくる腕の重みが心地よかった。
「いいベッドだな。身体への負担も少なくて、眠りやすい。」
「うん。」
「実はな、この部屋は私が選んだんだ。」
「そうなんだ。」
「だから、君がここを気に入ってくれて良かった。」
「いくつか見学したりした?」
「まあ、多少な。」
ゼノは少し黙って、深く息を吐いた。
「君の名前の意味を知ってたから、ここがピッタリだと思ったんだ。」
「あれ。名前、教えたっけ?」
「
私は心底驚いたけど、静かに頷くしかできなかった。
精霊たちとは契約をしなくてはいけないから本名を伝えていたけど、それ以外は霧の魔女で通っていた。ましてや、ゼノに本名で自己紹介したことも、名前を呼ばれたことも一度もなかった。きっとこの世界の人間には私の名前を知られないまま死ぬのだと思っていた。自分がいたという形跡を最小限に姿を消すのだと思っていた。
「なぜ知っているか教えてやろう。君がこの世界に来た時に持っていた財布を一時預かったの覚えてるか?その中に入ってたいくつかのカードに読めない文字が書かれていた。でも全く同じ字が一番大きく書かれているから君の名前なのだろうと思って控えておいた。読み方は君が世話になっていた精霊達から聞いた。精霊達はおしゃべりだから由来も一緒に教えてくれた。」
「そっか……。だからか。」
「知られたくなかったのであれば、自分の持ち物の管理と精霊たちへの口止めをしておくべきだったな。」
「あはは。そうだね。」
ゼノは私を抱きしめたまま、私を呼んだ。
「
彼に名前を呼ばれた。その重みに、涙腺が緩むのが分かった。
「君の名前を知っているということを内緒にしておくのもフェアじゃないからな。伝えておく。」
ゼノが鼻をすする音がする。
「この部屋ね、湖が見えて、毎日キレイだった。」
「それはよかった。」
「こんな綺麗な場所が、死に場所になるなんて思わなかった。」
「そうか。」
「ゼノのおかげだね。」
「そうか。」
ゼノの声が震えてる気がする。
「ゼノ」
「なんだ?」
「ありがとう。」
ゼノがゆっくりと私のことを強く抱きしめた。
抱きしめられるとやはり心地よい眠気がくる。
私はそれに身を任せることにした。
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